二〇歳(一六)1※冒頭注意書きあり
※映画『卒業』(1967年)の結末箇所に触れます。ご容赦ください。
二〇歳(一六)
土曜日、正一とは昼の二時に駅前で待ち合わせた。
こずえが待ち合わせ場所に着いたのは約束の一〇分前だったが、それでも正一は既にいた。
彼はベンチで文庫本を読んでいた。
「お待たせ」と声をかけると、正一は文庫本を閉じて顔を上げた。
「よう」
彼が読んでいたのは、ポール・オースターの『リヴァイアサン』という作品だった。
「待った?」
「いいや。五分前に来たばかり」
柔らかな笑みを浮かべて、彼はベンチから腰を上げた。
「まずは誕生日おめでとう、倉野」
「ありがとう」
照れ臭そうに鼻筋を掻いている彼を見ていたら、(今日はいい日になりそう)と、こずえはなんとなくそう思えた。
「それで、今日はどこに行くの? 映画観に行きたいって言ってたよね」
「ああ。ときどき行く映画館なんだけど、なかなか面白いとこなんだ。――少し早いけど行こうか」
「うん。ちなみになんの作品?」
こずえが訊ねると、正一は意味深な笑みを浮かべて「さぁ」と言った。
こずえは(どういうこと?)と小首を傾げた。
駅から十分ほど歩く。
映画館『新名画座』は商店街の通りにぽつんと建っていた。
『新名画座』という名前の割にはずいぶんと古い建物で、いかにも古きよき単館系映画館といった感じだった。こういうレトロな雰囲気にこずえは弱い。自ずと「おぉ、いいねぇ」と口にしていた。
建物の入り口に看板が立てかけてあり、そこに今日の上映作品が書いてあった。
『卒業』(一九六七年)
妙に角張った字で、これしか書いていなかった。
「えっと……ずいぶんシンプルだね」
「館長が半ば道楽でやっているような映画館だからな。ホームページがないから現地に足を運ばないと、その日なんの作品が上映されるかも分からないんだよ」
正一が先ほど見せた意味深な笑みの理由が分かった。
彼はこの映画館に大学入学の頃から月一のペースで通っているらしい。なんの作品が上演されるかは、館長の道楽だけあって気まぐれらしい。
「ただ、二〇〇〇年以降の作品が上演されたことはいままで一度もないな。なんせ『新名画座』だから」
「あ、そういうことか。ニューシネマね」
「さすが宮原」正一は嬉しそうに言った。
「……で、今日の上演作は『卒業』と。アメリカン・ニューシネマのど真ん中だ」
「観たことある?」
正一は首を振った。
「実はない。宮原は?」
「私も」
「そりゃよかった。お互い観たことない映画で」
「『卒業』ってたしかあれだよね。式場から花嫁を攫って逃げちゃうロマンス映画。男の人、ダスティン・ホフマンだっけ?」
「だったと思う。……でも、アメリカン・ニューシネマだから、花嫁を攫ってチャンチャンで終わるとは思えないけどな」
「言えてる」こずえはくふふと笑った。
「二人で心中とかしちゃうのかな?」
「さぁな。なんにせよ、観てみないことには分からない」
「それもそうだ」
館内の黴臭いロビーで時間を潰してから、二人は三時からの映画を観た。
上演前によくある長ったらしい宣伝がばっさりカットされていたから、おおよそ二時間後には映画館を出ていた。
――夕食にはまだ少し早いな。
二人は商店街を適当にぶらつき、近くの河川敷まで歩いた。
河川敷のだだっ広いグラウンドでは、少年野球の子ども達が守備練習に励んでいた。
「なんというか」
「うん……」
二人はベンチで映画の感想について語り合っていたのだが、
「想像していた話と違ったな」
「ね」
シーンごとの受け取りかたに多少の違いはあっても、この感想だけは一致した。
「ヒロインとのロマンスよりヒロインのお母さんと不倫している時間のほうが長くなかった?」
「描写もずるずるずぶずぶしてたしな……」
どちらも穏やかじゃない感想だが、映画自体はよかった。
ロマンス映画の金字塔という評判も決して誇張ではない。花嫁を攫っていく有名なシーンをスクリーンで観られたのもよかった。劇場に足を運んだ甲斐があったと思う。なによりラストがよかった。
「ああいう終わりかたをするとは思わなかったね」
「ダスティン・ホフマンの表情、あれにはグッと来たね」
「だんだん興奮が冷めていくのがいいよね。『俺、やっちまったかも……』って、あの表情凄くツボだった! それから二人は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……で終わらなかったから、私の中で『卒業』は傑作認定だね」
「俺も最後の数分で評価が引っ繰り返ったな。……なんていうか、はっとさせられた」
「そうそう。あのラストいいよね。これまで観てきたものが引っ繰り返る感じがしてさ。あの二人、明日からどうなるんだろうって気になるよね」
「俺はあそこが幸せのピークだと思うよ」
「うんうん。だよね」
「二人にとっての最高は、式場から逃げ出してバスに飛び乗るまでだった……」
「倉野?」
やけに乾いた口ぶりなのが気になった。
彼は眉間に皺を寄せ、なにか一点を見つめていた。
「あの不安そうな表情は、観ていて胸が痛かったよ」
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