二〇歳(一四)2

 ――とにかく前に飛び出してくださいね。

 スタッフ曰く「前に勢いよく飛び出さないと、フリーフォールみたいな感じで真っ直ぐ落ちてしまう」そうだ。それは怖い。

 こずえを含めて三人が一五時に飛ぶ。

 一人は無精髭が印象的な二〇代後半ぐらいの男性(ライターさんの取材かな?)

 もう一人は三〇代半ばの、お堅い勤め人といった感じの――これまた男性。

「営業の度胸づけにだってさ。そんな無茶苦茶な……」

 今日は二人の同僚に付き添われて、半ば連行されて来たそうだ。彼はずっと青い顔をしている。

「私は前々から飛んでみたいと思っていたので」

 こずえが笑顔で言うと、彼は「はぁ」と気の抜けた反応だった。

「女の子なのに君は凄いなぁ」

「ですよね。自分でも馬鹿なことしてるなぁって思います」

「馬鹿ができるのも若者の特権さ」

 二人の会話を聞いていた無精髭の男がしたり顔で言った。

「まぁ、お互い頑張りましょうや」

 へらへらしているが頬が少し強張っているあたり、軽口でも叩いていないと彼もやっていられないのだろう。

(袖振り合うもなにかの縁じゃないけど……)

「楽しみですね」

 目を輝かせながら言うと、二人揃って「若いなぁ」と口にした。


 バラエティ番組のバンジージャンプ特集などで、あとは飛ぶだけなのに芸人達がいつまでもジャンプ台で怖がっている気持ちが、今日よーく分かった。

 これは勇気云々の問題ではない。

 ――つま先を少し前に出してくださいね。

 スタッフの言葉に従ってジャンプ台からつま先を出すと、「ひっ」と声が出そうになった。

 つま先の先端が宙に浮いている!

 高さは三〇メートル。ジャンプ台から川を見下ろすと、怪獣が大きな口を開けてチャレンジャー達が飛び込んでくるのを待ち構えているかのようだった。

 いまさらながら(こんな怖い思いをするために一万円も払うだなんて狂気の沙汰じゃん!)と奈良までの旅費も含めると、激しく後悔しそうになった。

 しかし、あとはもう飛び出すだけ。ここで「やっぱり無理です……」と泣きを入れたら、あまりにも格好が悪い。

 好奇心と恐怖のせめぎ合い。心臓の音がさっきからうるさい。

 胸を押さえていたらスタッフに、

「緊張してますか?」と訊かれた。

「多少は」こずえの笑顔は引き攣っていた。

 もう一度川底を見下ろす。

(ひゃー)

 直前の緊張から高さが一層増したような気がする。

 最後に深呼吸していいですか、と訊きかけたときには、もうカウントダウンが始まっていた。

(え、嘘うそ!)

 ぎょっとなり、振り返りそうになった。

 カウントダウンは止まらない。

 こずえは(ええい!)と開き直り、「ゼロ」の声と同時にジャンプ台を力強く蹴った。

 頭から勢いよく飛び出した。

 地平線の彼方が見えたのはほんの一瞬。

 次の瞬間には落下していた。

 顔いっぱいに風が当たり、落下速度はぐんぐん増してゆく。水面はもう目の前。

 ――それでもこずえは悲鳴一つあげず、目をかっと見開いて落下の数秒間を目に焼きつけていた。

 水面すれすれ、ロープが最後まで伸びきったところで、こずえの身体は勢いよく空へと引っ張られた。

 その瞬間、装備がググッと身体に食い込み、「うえ!」と蛙のような声が出た。

 そこからはロープのゴムが伸びたり縮んだり、

 みよーん みよーん みよーん

 とバウンドが数回続いた。

 ロープが伸び縮みするたびに「うっ」と息が詰まりそうだったが、青空が近くなる、遠ざかる、近くなる、遠ざかる……。

 ジャンプ台まで引き上げられていく最中、こずえはくるくると回る空に笑いかけては、八月の眩しい太陽を挟み込むようにピースしていた。

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