二〇歳(一三)2

 カーテンコール、撤収作業と済んだあと、非日常の居酒屋は全国チェーンの居酒屋へと舞台を移していった。

「それでは、舞台の大成功と赤本茜の引退を祝って――」

「待て待て待て」

 今夜の主役は、すかさず乾杯の音頭に物申した。

 舞台用のウィッグを外した茜は、赤色のショートカットと強烈な髪型だった。

「舞台の成功はともかく、あたしの引退を祝うのはおかしいっしょ! せめて惜しめよ!」

「お前がいなくなったあとのことを思うと、うう、エゴトリアムはどうなることやら……」

 お約束の流れに「あはは」と笑いが起こる。

「潰れるんじゃないの?」

「おいおいおーい!」

 いいぞ弁当屋ー、と誰かが高らかに口笛を吹いた。

 口笛を吹いた男に、茜は「うるせえよ!」と怒鳴った。

「この野郎、今度爆発したコロッケ食わせるぞ!」

 不器用! 飯マズ! 嫁き遅れ!

 乾杯もしないうちから、隣の座敷に聞こえるほどのコールが起こっていた。茜の隣で正一も声をあげて笑っていた。そんな彼を見ていたら、こずえも楽しくなってきた。

 乾杯!

 乾杯の音頭とほぼ同時に、茜は大ジョッキのビールをぐいぐい飲み始めていた。

 一息で半分近く飲み干し、「ぷはー」とおじさん臭い声を出した。

「舞台が終わったあとのビールは骨に染みるほど美味い!」

 いい飲みっぷり、と誰かが合いの手を入れた。

「どうもどうも。――ん、正一くん、いまなんか言った?」

「お疲れ様です!」

 わーわー盛り上がっている座敷では声を張らないと、会話が成立しそうにない。

「あんがと!」

 茜は正一とハイタッチをした。

 それから切れ長の瞳をこずえにも向けて、

「こずえちゃんも今日は来てくれてありがとう」

「こちらこそ凄い舞台が見られて楽しかったです。それに、打ち上げまで参加させていただいて」

「いいっていいって。こういうのは皆でワイワイやったほうが楽しいんだから。ね? 正一くん」

「そうすね」

「にしても、君も案外隅に置けないね。話で聞いてたよりも可愛らしいガールフレンドじゃん。……こずえちゃん、京都ではこのむっつりくんに悪さとかされなかった?」

「茜さん!」

「実は……」

 こずえがしおらしく言うと、

「出たー」と茜は正一を指差した。

「やることやってんなぁ、このむっつりすけべめ!」

「宮原!」

「いいじゃんいいじゃん。こんなに可愛い子と旅行に行って、手を出さないほうが不健全でしょ? ……え、マジでなにもなかったの?」

「ありませんよ」

 正一が抗議すると、茜は「うわぁ……」と引いた。

 どこか芝居臭かったが、そのわざとらしさが笑えた。

「正一くん、もしかして……ED?」

「『E.T.』みたいに言わないでください!」

「むふふ、お姉さんにほんとのこと言ってみ? 自分の恥部を曝け出せないようじゃ真の芸術家にはなれないぜ」

「だからなにもありませんでしたって!」

「そういう反応が童貞臭いっての」

「決めつけないでくださいよ!」

「しょうがないなぁ」

 そう言って茜は正一の肩に腕を回した。

「な、なんすか」

「お姉さんが、今夜、筆下ろし、したげよっか?」

 耳元で色っぽく囁かれ、正一はみるみる赤くなった。

「……茜さん、そういうの勘弁してくださいって」

(へー、あの倉野がたじたじだ)

「ねぇねぇ、誰かこの子の童貞もらってあげてくんない? 弟みたいなもんだからさ、優しく可愛がってあげてよー」

 正一はすっかり茜の玩具にされていた。

「ちょ、茜さん!」

 困ったふりをしていても、胸がしっかり当たっているからされるがままになっている。

(むっつりすけべめ)とこずえは思った。


 一次会で弄られまくった末に妙な覚醒をした正一は、二次会のカラオケで尾崎豊を歌いまくった。一次会でずいぶん飲まされていたというのに、二次会になると自らぐいぐい飲んでいた。

(酒弱いくせに……)

 正一が劇団員からこんなに可愛がられるとは思いもしなかったが、シャウトする彼、そんな彼を笑うエゴトリアムのメンバー、彼らを眺めているうちに、こずえは(ああ、そうか)と気づいた。

 打ち上げを兼ねた今夜の送別会が湿っぽくならないように、正一に美味しい役を譲ったのか。

 よく観察してみると、茜は話しかけられたときには一言二言答えても、自分から仲間に話しかけたりはしていなかった。

 午前零時を回る頃にはますます物憂げな顔になっていた。テーブルに頬杖をつきながら馬鹿騒ぎをぼんやりと眺めている。

 彼女はもう舞台にすべてを置いてきたのだ。

 茜との別れを一番惜しんでいたのは、髭もじゃ山男の座長だった。

 彼がUNICORNの『すばらしい日々』を歌い出すと、一人、二人……と目を潤ませ始め、鼻を啜り上げる劇団員もいた。

 歌が終わると、茜は「いままでありがとうございました」と、座長に丁寧な礼を述べた。

 それでまた場の空気がしんみりとした。

「参ったな……」

 茜を照れ臭そうにそう言って、

「ちょっと外の空気吸ってくるわ」と席を立った。

 こずえの目には、茜の感傷的な振る舞いすべてが演技にしか見えなかった。

(え? 皆、本気で信じてるの?)

 一人だけ場の空気に流されず、冷静なままでいるこずえに、茜も気づいたようだった。

「こずえちゃん、よかったら一緒に来てくれない?」

 突然の指名にはドキッとしたが、

(この人とちょっと話してみたいかも)

 そう思ったこずえは「はい」と茜のあとについて行った。

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