第四章 まだわたしを離さないで

二〇歳(11)1

   二〇歳(11)


 七月のある日、

「あんたバイト探すの?」

 夕食の準備をしていた母親から不意に訊かれた。

 タウンワークをテーブルに広げていたこずえは「そんなところ」とページに目を落としたまま答えた。

「大丈夫なの?」

「なにが?」

「だってあんた、ずっと元気なかったじゃない?」

 タウンワークを閉じて顔を上げる。

「そう?」

「ここ数日は顔色もよくなってるようだけど……お金ないの?」

「ないわけじゃないよ。でも、やっぱり旅行で結構使っちゃったからさ。これからのことも考えるとちょっとぐらい働いたほうがいいかなって」

「お小遣いぐらいあげるわよ?」

 こずえは「え?」と目を丸くした。母親の口からそんな優しい言葉を聞くとは思っていなかった。

 しかしすぐに「ううん」と首を振っていた。

「二〇歳になっても親からお小遣い貰ってたら恥ずかしいじゃん」

「あら、急に殊勝なこと言うわね。熱でもあるんじゃないの?」

「かもね」

「働かずにいられるうちは働かないがモットーじゃなかったの?」

「人生設計はなかなか上手くいかない。そういうことですよ」

「なに言ってんのよ。……でもそうね。ちょっとぐらいなら社会勉強になるかも。あんたは特に世間知らずだから」

「イニシエーション・ワーク。そういうこと」

「イニシ?」

「なんでもない」

 タウンワークを手にして席を立つ。

「無理しないように頑張りなさいね」

「分かってる」

 こずえはニッと笑って答えた。

(お母さんもお父さんも、私の気分の波が普通じゃないことにそろそろ気づき始めているかも)

 以前行ったクリニックにはもう通わなくなっていた。去年と同じように気分が上向きになるまでじっと耐え続けて、一昨日からようやく平常運転に戻ってきた。

 余った薬は、なんとなく捨てずに取っておいた。

(保険証って通院歴とか調べられるんだっけ?)

 一時的によくなったから通うのをやめる、本当はよくないのだろうが、このまま心療内科に通い続けていたら、そのうち「あれしちゃ駄目」「これもしちゃ駄目」と面倒なことばかり言われそうで――それこそバイト一つ探せなくなるかもしれない。

 自分から――それもお金を払ってまで――人生の半額シールを貼られに行くなんて馬鹿らしい話じゃないか。


 翌週、こずえは講義をサボってアルバイトの面接に行った。

 歓楽街の中心から外れた場所にある、ほどほどに寂れたビル。一階がラーメン屋、二階がカラオケ店、こずえがこれから面接を受けるスナック《ピエロ》は三階のフロア。

(よりによって、スナックの面接を受けるなんてね)

 ドアを前にして、こずえは苦笑いしていた。

 あと先考えずにわざわざきついバイトを選んだあたり、自分はいま軽躁状態なのだろう。

 ドアを開けると、カウンターで女が二人スマホを弄っていた。

 ショートカットの若いギャルと、口許のホクロが色っぽい四〇代女性。

「あの……」

 こずえがおそるおそる話しかけると、気怠げにスマホを弄っていた四〇代ぐらいの――ママさんらしき人が顔を上げた。

 こずえは頭を下げた。

「一五時から面接の宮原こずえです」

「ミヤハラ……?」

 しっとりと濡れた、色気のある声だった。

 彼女は(どなた?)と言うような目でこずえを見ている。

「一五時から面接の宮原こずえです」

 同じ言葉を繰り返したが、それでもピンと来ていないようだった。

(小娘がこんなところになにしに来たの?)と怪訝そうな顔をするばかり。

「ママ、今日お昼に面接って言ってなかった?」

 初っ端から困っていると、横の若いギャルが助け舟を出してくれた。

「面接? ――ああ、すっかり忘れてた」

 思い出してくれてなによりだった。

「ごめんなさいね。だらしないところ見せちゃって」

 こずえは愛想笑いを浮かべながら「いえ」と返した。

「面接は裏の事務所でしましょうか」

 目尻の皺がくっきりと見えるあたり、化粧もまだのようだった。

 夜の開店までまだ時間があるとはいえ、なんとも気の抜けた感じである。

 ただ、変に着物姿でかっちりもてなされるよりかはフランクでいい。緊張が少しほぐれた。

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