二〇歳(八)1

   二〇歳(八)


 宮原さんの場合、軽い躁症状もときどき見られるので、その反動で気分がガクンと落ち込むことが多いんだと思います。

 焦らずに向き合っていきましょう。治療方針は経過を見ながら決めていくという形で。

 では、今日はこのへんで終わりにしましょうか。お疲れ様です。


 平日の昼下がり。待合室のテレビは中身のないワイドショーを垂れ流していて、クリニックの患者も数えるほどしかいない。

(両親にはしばらく相談しない方針でいこう)

 いまのところは京都旅行の疲れが上手く抜けきらなくて気分が未だに低空飛行中。連日の溜め息やぼんやりはそのように説明している。よっぽど悪くならない限りはこのままで……。

(なんだか冴えないなあ)と背中を丸めたときだった。後ろからちょんと肩を突かれた。

 びくっとなり振り返ると、

「やっぱり宮原さんだった」

 知り合いだった。

「こんなところで奇遇ね」

 藤野沙織が斜め後ろの席でうっすらと笑みを浮かべていた。

「せ、先輩?」

「――あ、こんなところって言いかたはよくないか」

 ぽかんとなっているこずえに、沙織は声を潜めて言った。

「まさか心療内科で知り合いに会うとは思わなかった」

 私こそびっくりしました、と返しそうになった。

 沙織はこずえの隣に座った。

「宮原さん、ここは初めて?」

「はい」

「クリニック自体は?」

「……以前ちょっと。別のところですけど」

 去年の夏しばらく寝込んでいた時期に一度だけ大きなところに行ったことがある。もっとも、待ち時間が長すぎるのと終始詰問調の医師にうんざりして、一回行ったきりだ。ひたすら横になっているうちに気分も上向いてきたので、行く必要性を感じなくなったのもある。

「藤野先輩は?」こずえも一応訊いてみた。

「私は結構長い」沙織は隠すことなく答えた。「もう二年ぐらい」

「二年?」

「ゴールド会員ってところね」

 沙織はくすくす笑いながら言った。

 京都駅で会ったときの彼女は、張り詰めた面持ちで目にするものすべてに敵意を剥き出しにしていた。ひどく病んで見えた。

 それが今日は、顔つき、態度ともに妙に晴れ晴れとしていた。服もノースリーブで細い腕を大胆に出している。これからデートにでも行くような格好だ。

「宮原さんは診察終わったの?」

「ええ、先ほど。いまは会計待ちです」

「私はこれから。たぶん、次の次ぐらい」

「そうですか」

 これで話すこともなくなった。

 いつもの困ったときの愛想笑いで時間をやり過ごしていると、そのうち「宮原さーん」と呼ばれた。

(今日の出会いはお互い忘れましょう)

 こずえは最後に曖昧な笑みを浮かべ、「お先に失礼します」と腰を上げた。

 すると、沙織が「ねぇ」と口を開いた。

「これから時間ある?」

「これから?」

「もし時間があるなら私のこと待っててくれない? 今日会ったのもなにかの縁だと思って、お姉さんとコーヒーでも飲みましょうよ」

 らしくない甘く柔らかな言いかたに違和感を覚えたが、こずえは「分かりました」と深く考えることなく頷いていた。

 頷いたあとで(藪に蛇が潜んでなきゃいいけど)と思った。

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