二〇歳(五)1

   二〇歳(五)


 鴨川デルタは、京都出町柳にある三角州のことである。東から流れてくる高野川と西から流れてくる賀茂川の合流点は、京都市民憩いの場として有名らしい。アニメや映画の舞台になることが多く、観光客もよく訪れる。

 三角州の先端でタイタニックごっこをしているカップルやケンケンパでもするように――亀や千鳥の形をした――飛び石を渡る子ども達もいた。石と石の間隔が思いの外あったので、彼らの真似はさすがにやめておいた。

(それにしても、なんてのどかな風景)

 京都旅行三日目。最終日はこれといった予定はなく、観光も近場で済ませることにした。欲張り遠征をして一五時発の《はるか》に乗り遅れたら大事だ。

 なにより正一に遠出をする元気があるとは思えない。

 彼は朝からずっと「頭いてー……」と呻いていた。

 一方、彼の三倍近く飲んでいたこずえはピンピンしている。

「だらしないなー。そこまで飲んでないでしょ?」

「飲んだよ……というか飲まされたよ」

「最終日に二日酔いはきついね。水飲めば?」

 こずえは笑いながら言った。

「もう飲んだ。お代わりを買いに行く元気もない」

「じゃあ、私の飲む? お茶だけど」

 はい、と事もなげに渡すと、正一はペットボトルとこずえの顔を交互に見比べた。

「……いいのか?」

「いいよ。いまは大学の同級生じゃなくて、手のかかる弟ってことにしとくから」

「なるほどね」

 キャップの蓋を外すまでは、彼はなにも意識していないようだった。正確には、そういう風に見せる努力をしていた。

 しかし、いざ口をつける段階になって躊躇いが生じたらしく、彼は飲み口に唇が触れないよう、少し隙間を空けて飲んでいた。

 それがこずえには面白かった。

「サンキュ」

 中身もほんの二、三口しか減っていない。

「少し横になったら?」

「そうするよ」

 彼は珍しく素直に言うことを聞いた。

 てっきり「それでも小説のメモぐらいは取っておかないと」意地を張るかと思ったが、二日酔いはよほどひどいらしい。

 正一の苦しげな様子を見ているうち、こずえは唐突に思いついた。

「膝枕してあげようか?」

「はぁ?」

 あいてて、と頭を押さえる正一に、こずえは言った。

「二日酔いで女の子に膝枕をしてもらうなんて、これも小説のネタになるんじゃない?」

「ネタにはなるだろうね」

「あとはそうだな……。禁欲旅行のご褒美ってことで」

「あのなぁ」

 呆れ顔をつくってはいても、身体はゆっくりとこずえのほうへと流れていた。

「ほら、おいでよ」

 こずえは太腿をポンポンと叩いて言った。

「ま、小説のネタにはいいかもな」

 あくまでカッコつけているものの、膝枕の誘惑には勝てないようだった。

 正一の頭が太腿に乗った瞬間、「ん」と声が洩れそうになったが我慢した。

(くすぐったい。てか、これ私も恥ずかしい)

 しかしこずえは声を我慢した。

 女子大生の膝枕の感想はどう? このぐらいなら冗談っぽく訊いてもよかっただろう。

 ――素晴らしき哉、人生!

 彼もきっとこんな風に返すだろう。

 だが、穏やかな顔で目を閉じている正一を見ているうちに、そんな冗談を言う気もなくなった。

 倉野正一は、宮原こずえに心を許し始めている。

 孤独なんて平気だという顔をしていても、実は寂しがり屋の彼。

 昨夜バーで飲んでいたとき、酔いもあったと思う。彼自身そんなことを言ったか覚えていないかもしれない。

 ――話し相手がいるっていいもんだな。

 こずえのアルコールのピッチが上がったのはここからだった。

 お互いの孤独をそっと分かち合えた気がして、

 ――人生に真面目に向き合っていれば、誰だって本物の瞬間が一度や二度は訪れるはずさ。

 彼の言う本物の瞬間の意味が、あのとき少しだけ理解できた。

「宮原と京都を回れて楽しかったよ」

 正一は目を閉じた状態のまま言った。

「ありがとう」

(またそうやって人を泣かそうとするんだから!)

「……いい小説書けそう?」

「ああ。とっても魅力的なヒロインになると思う」

 京都旅行について行きたいとこずえが言ったあの日、彼はバイト中での返答は控えたが、後日、同行にこのような条件を出してきた。

 ――宮原さんをモデルに小説を書かせてもらえるかな?

 こずえは二つ返事でオーケーした。窓際の彼が作家志望と聞いて、ますます彼に興味を持った。

「書くなら三割増しで美人に書いてね」

「四割増しで書くよ」

「あと、あっかんべーの話は書かないでね。あれ、みっともないから」

「それこそ外せないよ」

 くくっと彼が笑ったとき、ジーパン越しに柔らかな動きが伝わってきた。

「ああ、そうですか。書くんだったら精々面白く書いてくださいね」

 動揺を悟られないように、こずえはぶっきらぼうに言った。

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