二〇歳(三)3
「私、去年ボランティアサークルに入ってたの」
「ボランティア……ああ。あのあまりいい評判を聞かない」
「そうそう」
こずえはふふっと小さく声を立てた。
「ヤリサーで有名なボランティア団体」
「言いかた……」正一は眉を顰めた。「でも意外だな」
「ほんと。サークルの評判は入ってから知ったの」
M大学のボランティアサークルには会員制クラブのようなところがあった。
《ボランティアに興味がある人 楽しいキャンパスライフを送りたい人 大歓迎!》
表向きには和気藹々と楽しめる団体を謳っているが、まず入部の段階で選考がある。主体性、協調性、ユーモアセンスがあるか、など上級生による面接が行われ、面接をパスした新入生だけが入部を許される。選考落ちの新入生には「他のところで頑張ってね!」とお祈りメールすらない。「僕らの視界に入らないでね」と言わんばかりの無慈悲さ。
もっとも、選考基準なんかあってないようなものだ。合格者の大半が「顔パス」で、あとはコンパを盛り上げてくれる宴会部長タイプ、イケてないけど雑用係としては便利な人材……。
ここまでの話を聞いて、
「嫌な団体だな」と正一は率直に言った。
「だよね。入部するのに面接があるって時点でおかしいなとは思ったんだけど」
「なら、なんで入ったんだ?」
(らしくないな)そんな訊きかただった。
「高校時代、暗い青春を送っていたから、かな。その反動かもね。なにか新しい世界に飛び込んでみようって」
「へえ、色々と意外だな」
「そう?」
「宮原は顔パス組だろ?」
「あ、分かっちゃう」
「俺が面接官でも二重丸つけるよ」
「口が上手いな、君は」
照れ隠しにバチッと肩を叩いた。
「いてーな」
肩を擦りながら、彼は「それで?」と話の続きを促した。
「大失敗もいいところ。入部後もやっぱりこれだった」
こずえが宙に三角形を描いてみせると、正一は思いきり顔を顰めた。
「つくづく嫌な団体だな」
「ヒエラルキーが低いとね、上級生でも飲み会で一気飲みさせられたり一発芸を強要されたりするの。で、その人が滑ると皆で笑う」
飲み会の王様ゲームで男同士のキスがあった。いまでも覚えている。彼らは泣いていた。そういう噂があるのを知っていながら、面白半分の命令で傷つけ、そして皆で笑い者にしたのだ。
――冗談なのにああいうのしらけるわぁ――別に隠すこたねえよな――隠すからかえって目立つんだよ……。
彼らは当然サークルを辞めた。あの日の二人の涙をいまも覚えている人間は、たぶんいない。
そういう団体だからこずえも辞めた。
「宮原のランクは?」
「ギリギリ上に入ってた」
「一年で上ってことは、結構優遇されてたんだな」
「ある先輩に好意をもたれてたから」
「ふぅん。ま、そういう話になっちゃうよな」
(なんだか自慢話をしているみたいで嫌だな)
聞き手が正一じゃなかったらここまで話さなかっただろう。変に興味を持たれるか反感を買うか。そのどちらかしかないから。
「二つ上にS先輩って人がいたの」
斎藤秀樹の話も正直気が進まなかった。
「一言で言うなら少女漫画に出てくる王子様かな。笑顔が爽やかでリーダーシップがあって、高身長&スリム。
かと言ってヒョロガリってわけでもないし。――あれだ! ダビデ像! ダビデ像みたいな人だ」
「ダビデ像? おいおい、そんな奴ほんとにいるのかよ」
「これがいるんだな、M大に。瞳も青みがかっていてさ、実際ハーフなの」
秀樹の話になると、女の子達は決まって「先輩って○○に似てるよね」と海外のイケメン俳優の名前をあげてはしゃぐ。いつか映画好きの子が「アラン・ドロンに似てない?」と言ったときには、さすがに「それはアラン・ドロンに失礼!」と言いそうになった。
「頭の回転も速いね。どういうコネを使ったのか知らないけど、町で一番有名な社会人テニスサークルにも入ってるみたいだし」
「そこまで完璧だと、嫉妬も通り越して拍手したくなるね」
「周りをちょいちょい見下してるとこもあったけどね」
「それだけスペックが高ければな」
「多少はね。まぁ、本当に性格が悪い人だったらリーダーなんか務まらないだろうし」
例の王様ゲームの日、彼と、恋人の藤野沙織はたまたま飲み会を欠席していた。もしあの場に彼らがいたなら、あんな馬鹿げた命令で誰かが傷つくこともなかっただろう。
「ただ……」
「手が早い?」
理解が早くて助かる。
「誰でも彼でもってわけじゃないし、紳士的は紳士的だけど、なんていうか私には『存在の耐えられない軽さ』みたいな?」
「上手いこと言うなぁ」
正一は笑っていたが、一時期付き纏われていたこずえとしては笑いごとではなかった。
「ああいう人達ってさ、私達ぼんくらと違って世間を上手に渡り歩く才能があるし、トップで居続けるための努力も欠かさないから、たぶん世界はなんでも自分達の思い通りにいくって思ってるんだろうね」
「けど宮原には、彼の存在は耐えられない軽さだった」
「いい気味だよね」
こずえは意地悪く言った。世界へのちょっとした反抗だ。
「そいつのこと振ったの?」
「遠回しにね。周りが私と先輩のことくっつけようとしてたから。ちゃんと根回しもしてたんだろうね。
でも私、そういうのが凄く面倒臭くなって夏休み前にサークル辞めたの。『やりたいことがあるんです』って大嘘ついて」
(軽躁状態の反動もかなりきつくなってたの)
さすがにこの話はやめておいた。
「お試しで付き合ったとしても嫉妬の嵐だっただろうな」
「倉野くんはよく分かってらっしゃる!」こずえは、わざとらしいぐらい明るく言った。
「私が一番危惧してたのはそれなの。S先輩のこと好きな女の子なんていくらでもいたし、その子達の屍を踏んづけて優越感に浸るような根性、私にはない。……てか、そもそも彼女いるからね、あの人」
「それはそれは……」
彼はひゅうと口笛でも吹きそうだった。
「いい根性してるでしょ?」
入部当時は秀樹の彼女――藤野沙織に、こずえは可愛がられていた。海外文学や映画に精通している彼女とは話がよく合い、こずえもまた沙織のことを慕っていた。
秀樹の関心が向くことさえなければ、サークルを辞めたいまでも、いい先輩後輩でいられただろう。
――あんたの顔なんて見たくない! 目の前から消えて!
恋愛はつくづく怖いものだと思った。人間関係が簡単に壊れてしまう。
「そのS先輩は宮原がサークルを辞めたぐらいで諦めたの?」
「辞めてしばらくの間はLINEとか電話とかちょくちょくきてたかな。でも、失礼にならない程度にずっと塩対応を続けてたから、そのうち連絡来なくなった。いまは大学でときどきすれ違ったりしても会釈とかしない」
会釈に関して言えば、彼の隣にいつも藤野沙織がくっついているのもある。
「私のゴタゴタ話はこんなところ……あれ、ところでなんの話してたんだっけ?」
「おいおい、人の質問忘れんなよ。ここで終わったらS先輩がろくでもない男だったって情報しか残らないじゃないか」
「ごめんごめん。倉野の質問はなんだったっけ?」
「宮原が旅行について来た理由だよ。S先輩には素っ気ないのに、どうして俺の旅行にはついて来たんだ? それも自分から言い出して」
「そうだそうだ。旅行について来た理由だったね」
「そうだよ。まさか俺が、そのS先輩よりもいい男だったからとか?」
「それこそまさかだよ」冗談には冗談っぽく返した。
「はいはい」
「倉野が普通の大学生っぽくないからだと思う」
「変人ってことか?」
「あはは、そうとも言うね」
正一の言葉がストレートすぎて思わず笑ってしまう。
「普通の大学生は去年でもう懲りたの」
「宮原の言う『普通』ってのは、一体なんなんだ?」
「脇道に逸れないで真っ直ぐ歩ける人達かな」
こずえの回答を聞き、正一は「真っ直ぐか」と呟いた。
「そういう人達の中で大学生のふりをしてるのに疲れた」
あんなイケイケサークルに四年間もいたら、きっと気がおかしくなる。
「たしかに俺は真っ直ぐ歩けないタイプだな」
「悪い意味で言ってるわけじゃないからね?」
苦笑している正一に、こずえは一応断っておいた。
「分かってるよ」
「私ね、真っ直ぐ歩けない人とか、あえて真っ直ぐ歩こうとしない人を見ると親近感が湧くの。お近づきになりたいなーなんて思っちゃう」
「俺からすると宮原は真っ直ぐ歩いているように見えるけどな」
「私? ないない。倉野、私のあだ名忘れたの? 八方美人姫だよ?」
「そういえばそうだったな」
「ね? 毎日無理しまくりですよ。その点、窓際の彼には気を遣わなくていいから楽ちん」
「俺も宮原相手だとあまり緊張しないな、不思議と」
「私と倉野って本質的には似てるんだよ。《窓際の彼》と《八方美人姫》。日頃人に囲まれているかいないかの違いだけで、お互い人嫌い。尾崎が好き。気が合うわけだよ」
「つまり」
正一はこの説明でようやく納得したようだった。
「気心知れた友達同士の旅行か」
「そういうことだね」
「なるほどなるほど……。倉野正一は、宮原こずえに《異性》としては、まったく意識されていない、と」
「あれれ? もしかして正ちゃん、私のこと意識しちゃってる?」
「マキさんみたいなからかいかたするなよ。……そりゃするさ。性別上は」
「変な言いかた」こずえは遠慮なく笑った。
「実は下心とかあったりする?」
「なんか急におっさん臭くなってきたな……。ないよ。いまのところは」
「いまのところは」彼の言いかたを真似た。「期待しては?」
「ないよ」
「あちゃー、カプセルホテルなのが残念だね」
「宮原って清楚系に見えて、意外とそういうことポンポン言うんだな」
「皆の前では言わないよ。一応清楚系で通ってるわけだから」
「それがいい。いまの宮原は普通の学生さんには刺激が強すぎる」
「幻滅した?」
「いいや全然」
「この時期カプセルホテルが取れただけでも奇跡だよね」
「飛行機もな。普通あり得ない」
「運が強いんだろうね、きっと」
「是非ともあやかりたいよ」
「そろそろお腹空いてきたね」
「もう八時前だしな」
「どこか食べに行く?」
正一は周囲を見回した。
「いや、これはどこ行っても混んでるよ」
この数秒のやりとりの間にも、どれだけの人が橋を渡ったことか。
「コンビニ弁当で済ますか」
「それがいいと思う」
「旅行初日からこんなんで悪いな」
「ううん。ぜーんぜん気にしてないよ。旅行の初日なんて慌ただしいもんなんだし、今夜はあまり夜ふかしもしないで、明日色んなところに行こうよ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
そんなに気を遣うことないのに、とこずえは思った。旅行について来たのは自分のほうだ。三条大橋から夜の鴨川を見たいと言い出したのも。
(倉野は案外優しい人なんだね)
「どうした?」
「ううん。なんでもない」
三条大橋から烏丸のカプセルホテルまでは、さすがにタクシーで帰った。
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