第二章 私を京都に連れてって

二〇歳(三)1

   二〇歳(三)


 五月一日。京都旅行初日。

 こずえ達が関西国際空港から特急はるかで京都駅に到着したのは、一二時過ぎだった。

 ゴールデンウィークの京都駅は、目眩がしそうなほど人で溢れていた。重たそうなキャリーケースをゴロゴロ引きずりながら歩く人やリュック一つで身軽な外国人観光客。

 こずえはというと、口を半開きにして駅の巨大な天井を見上げていた。

 圧倒されるほどのガラス屋根に、

(ここ、本当に駅なの……?)

 SF小説の近未来都市に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。

 身体中うずうずする。こずえの小さな鼻は興奮で膨らんでいた。

「京都だね。遥か彼方まで来ちゃったね。《はるか》だけに」

「なにしょーもないこと言ってんだ」

「倉野はワクワクしないの? 京都だよ、京都!」

「ワクワクはするよ。けど俺は、宮原ほど感情表現が豊かじゃない」

 講義中に窓の外を見ているときのような表情で正一は言う。

「また小難しい顔してるね、君は。せっかくの旅行なんだし楽しんでいこうよ」

「宮原は生き生きしてるね」

 彼は洋画の登場人物みたいに肩を竦める。あまりわざとらしさがないのは癖だからだろうか。

「大学にいるときとはずいぶん違う」

「女の子はプリズムだから」こずえも正一を真似て肩を竦める。「見る角度で全然違う一面が見えてくるんだから」

 彼女の言葉を咀嚼するように、正一は「プリズムか……」と呟いた。

「前から思ってたけど、宮原って言語センスが独特だよな」

「それって褒めてる?」

「褒めてるよ。見習いたいぐらいだ」

「へへ、それなら嬉しい。ところで、そろそろ駅を出ない?」

「そうだな。案山子じゃないし、いつまでも同じ場所に立ってるのもな」

(あまり捻りのない比喩)

 胸の内でくすりと笑う。「どこから行く?」

「宿に荷物を預けてから清水寺ってのはどう?」

「うん。そうしよう!」

「駅から北上して、それから東ルートってとこだな」

 スマホで調べることなく正一は言った。

「駅から宿までって遠い?」

「一キロちょっとかな」

「そのぐらいなら歩いて行かない? 私、足の裏で京都を感じたい!」

「なんだそれ」

「観光地に行くばかりが旅行じゃないでしょ?」

「それはまぁ、たしかに」

「でしょ?」

「じゃあ、キャリーケースをゴロゴロいわせながら歩こうか」

「そうしよう!」

 こずえは正一のあとをついて行く。


 烏丸通りのカプセルホテルから清水寺まではバスで移動した。

「なんていうか……娑婆の空気が、凄く美味しく感じるね」

 バスから降りるなりこずえが言うと、

「まったくだ」と正一も答えた。彼は首筋までびっしょり汗をかいていた。

「満員バスってこんなにきついものなんだね」

 車内は絵に描いたようなすし詰め状態で、こもる熱気と混じり合う体臭のダブルパンチで、息もまともにできないほどだった。

「いまは特に旅行シーズンだしな」

 正一に至っては前後左右揉みくちゃにされて終始つま先立ちだった。

「少し屈伸していいか?」ふくらはぎを叩きながら彼は言った。

「屈伸してるとこ写真撮ったげようか?」

「いらないよ」

 正一の屈伸が済んでから、二人は古い町家が連なる清水坂を上り始めた。

「縁日の屋台通りみたい!」

「それはなにより」

 他愛のないお喋りをしながら。


(これが清水の舞台……)

 高さは約一三メートル。四階建てのビルに相当するという。

(でも、このぐらいの高さなら飛び降りても意外と生存率高いんじゃないの?)

 ふとそんなことを考えていると、

「宮原、頼むからここから飛び降りたりしないでくれよ」

 正一が心配して言った。

「さすがにそんなことしないよ」

「どうだか。……宮原を見てるとさ、ときどきどこか遠くへ飛んで行っちゃいそうな感じがするんだよ。もしここから飛んだとしても綺麗に着地しそうだし」

「どういうイメージよ!」

「だって普通の女の子なら『綺麗な景色ね』って、ここうっとりするところだろ?」

「私、普通じゃないもん」こずえは子どもっぽく拗ねて言った。

 見渡す限りの新緑は目がむせそうなほど色鮮やかだ。緑の中に隠れるようにして、朱色の塔がちょこんと建っている。

「緑が綺麗ですねぇ」

 つくったような感想に正一は笑った。

「小学生みたいな感想だな」

「うるさいな。秋だったら紅葉でもっと『うわぁ』って感動したかもしれないけどさ」

「秋の京都はいま以上に人が多いよ」

(またそういうこと言う)

「……倉野ってさ、皮肉屋っていうよりペシミスト?」

 正一は少し考えて、「そうかもしれない」と陰のある笑いかたをした。

「ペシミストは、お好きじゃない?」

「ううん。倉野のそういう不健全なとこ嫌いじゃないよ」

「……褒め言葉として受け取っておくよ」言葉の割に嬉しくなさそうだった。

「でも、ようやく京都に来たって感じ」

 こずえは古都の空気を胸いっぱいに吸った。

 セピア色の味がする。

「駅周辺は思ってたよりもごちゃごちゃしてたもんな。俺も清水の舞台に立ってみて、ようやく京都に来た実感が湧いてきたよ。――京都タワーがあんなに小さく見える」

 正一は「ほら」と遠くを指差して言う。

 清水の舞台から望む京都タワーは、お洒落なキャンドルみたいだった。

「ううん。そういうことじゃなくて」

 こずえはかぶりを振った。

「さっき坂を上ってたとき、サンタクロースみたいなおじさんいたじゃん。立派な口髭の」

「ん? ……ああ、赤い服を着た」

「そうそう。私、あのおじさんが抹茶のソフトクリーム舐めてるの見たとき、京都に来たんだなって、はっきりと思ったの」

 外国人観光客の口に抹茶の味はいま一つ合わなかったのか、ソフトクリームを舐めながら頻りに首を傾げていたのが印象的だった。

「言われてみれば」

 こずえの目のつけどころに、正一は感心していた。

「いまのメモ取っていいか?」

「どうぞどうぞ」

 こずえが許可すると、彼はズボンのポケットからメモ帳を取り出した。

(サンタクロース、抹茶ソフト→京都らしさ。……こんなところかしら)

「倉野ってさ、信心深いほう?」

 メモを取っている最中の正一に、こずえは話しかけた。

 彼は手を止め、顔を上げた。

「俺?」

「さっき熱心にお願いごとしてたじゃない? なにお願いしてたの?」

「無病息災」

「嘘だー」

「嘘だよ。この旅行が無事に終わりますように……ま、そんなとこだよ」

「倉野は心配性だね」

「生粋のな」正一はこずえの言葉にそう付け加えた。


 ――私、関西って実は初めてなんだ。小学も中学も高校も、修学旅行はいつも関東だったから。

 ――俺は逆に関東に行ったことがないな。バイトで金貯めて、いずれ行きたいとは思ってるけど。

 ――修学旅行の思い出とかってある?

 ――思い出か……あ、それこそ中学のときだ! お土産屋で木刀買った馬鹿がいた。

 ――木刀?

 ――そいつ先生にめちゃくちゃ怒られてたな。木刀も没収。あとで返品しに行ったんじゃないかな。

 ――そういう話なら私のとこはメリケンサック買ったアホいたよ。空港の手荷物検査でそれが発覚したから大騒ぎになってた。

 ――メリケンサックって悪役レスラーかよ。

 ――バリバリのヤンキーくんだったからね。……次はどこ行こっか?

 ――銀閣寺って思ってたけど、連続ですし詰め満員バスはさすがにうんざりだな。

 ――つま先立ちになってたもんね。

 ――しかも周りが女の人ばかりだったから、ずっと冷や冷やしてたよ。あれだけぎゅうぎゅうだと、その気がなくたって手が触れかねないし、『痴漢です!』って叫ばれたら一発でアウトだ。

 ――旅先で『それでもボクはやってない』は最悪だね。

 ――まったくだ……。次は祇園あたり行ってみるか? ここから歩いて行ける距離だし。

 ――祇園はどっち?

 ――北。

 ――こっちだね。

 ――そっちは南だよ。

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