二〇歳(二)3
「《窓際の彼》か。上手いこと言うな」
「でしょ? 自分でもナイスネーミングだと思ってたんだ」
こずえはテーブルに身を乗り出しながら言った。
「《八方美人姫》も悪くないんじゃない?」
「違うよ。あれは蔑称」
「誰が言い出したか知らないけど、そいつこそいいセンスしてるよ」
「性格が悪いだけだよ」
「うーん……宮原さんもどっこいどっこいじゃない?」
「うわ、ひどっ」
弁当を食べ終える頃には、二人はすっかり打ち解けていた。
理由は単純だ。倉野正一と話してみたいと思っていたこずえは、彼に対してはじめから心をオープンにしていた。
すると正一も正一で、宮原こずえに対して徐々に警戒を解き始めたわけで――ようは魚心あれば水心というやつだった。
(こいつ、意外と性格悪いな)
(この人、面倒臭いところあるかも)
二人は、一〇分も話さないうちからお互いの欠点を会話の端々から感じ取っていた(隠す気がなかったのもあるが)。そのことが愉快で、欠点の面白さがかえって二人の距離をぐっと縮めたのだった。
「北海道と沖縄ぐらい性格が違うはずなんだけどな」
「それはこういうことじゃない?」
こずえは両手の人差し指を一度くっつけて、それからすうっと離した。
「北海道の人は沖縄の冬に憧れるでしょ? 一方で、沖縄の人は北海道の夏に憧れる。中途半端な距離よりも思いきり離れていたほうがかえってお互いの存在を意識しちゃう……みたいな? 私はそういう風に思うんだけど」
「……ちょっと納得したかもしれない」
「でしょ?」
こずえは声を弾ませた。
それから正一にある質問をした。
「ねぇ、一つ訊いていいかな?」
「ん?」
「倉野くんはさ、どうしていつも窓際の席に座るの?」
この質問はこずえにとって深い関心事だったが、正一の答えはあっさりとしたものだった。
「空とかビルとか、高いものや遠い場所を見るのが好きなんだ。それだけ」
雲に亡くなった恋人の面影なんか見ちゃいないよ、彼は冗談っぽくつけ加えた。
「そっか。ロマンチストなんだね」
「どうだろう。ただの現実逃避じゃないかな」
そう言って正一は笑った。
彼の寂しそうな微笑みが、ふとなにかと重なる。
そのなにかに気づいた瞬間、こずえは「あ」と声をあげていた。
「もしかして『Forget-me-not』?」
「……尾崎知ってんの?」
「一応。あ――」
こずえは急にアイポッドのことを思い出した。
「どしたの?」
(変な嘘をついたところでボロがきっと出る)
「ごめん。倉野くん!」
こずえは自衛も兼ねて、素直に謝ることにした。
「なにが?」
「アイポッド……」
「あ!」一言で通じた。「通りでないと思ったら」
「そんな、パクったみたいに言わないでよ! 置き忘れていったのは倉野くんだよ。私は善意で回収しただけ。次、学校で会ったときに返すつもりだったし」
あたふたした手つきで「ほらね」とバッグからアイポッドを取り出したが、
「人のアイポッド勝手に聴くなよ……」彼は呆れていた。「持っていてくれたのは感謝するけどさ」
「ごめんなさい……」
好奇心を抑えきれなかったのは、どう考えても自分が悪い。
「でも、窓際の彼がどういう曲を聴くのか興味あったんだもん」
「あのなぁ」
「反省はしてる! してるよ! ――私、『街角の風の中』が特によかった」
こんな言いかたでは、言い訳を重ねているようにしか聞こえないだろう。
だが、尾崎豊がいいと思ったのは本当だ。なんせ生前の彼について両親に訊ねたぐらいだ。
「あとは『失くした1/2』とか『傷つけた人々へ』もよかったよ」
「……へぇ、結構渋いところついてくるね」
あげた曲がよかったのか、正一の態度がこのとき少し和らいだ。
「てっきり『15の夜』とか『I LOVE YOU』とかメジャーな曲で適当に誤魔化すかなって思った。
でも、本当にガッツリ聴き込んだみたいだね。『街角の風の中』は俺も一番好きだよ……まぁその、アイポッド届けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「勝手に聴くのはどうかと思うけど」
「まだ言うか」
二人は笑った。
するとタイミングを見計らっていたかのように、「楽しそうね」とマキが事務所に顔を出した。彼女はペットボトルのお茶を二本持っていた。
「よかったら飲んで」
「ありがとうございます」
唐揚げ弁当を食べたあとだから口の中がさっぱりする。
ひんやり具合も丁度よく、人心地ついてキャップの蓋を閉めていたときだ。
「正ちゃん、京都旅行はいつからだっけ?」
「五月一日です。一日から三日まで、二泊三日です」
「倉野くん、京都に行くの?」
こずえは横から訊ねた。
「ゴールデンウィークにふらっとね」
「一人で?」
「一人で」
(ほっとけ)と顔が笑っていた。
「いっぱい遊んでらっしゃい」マキも笑いながら言った。
「大学生なんだし、やりたいことはなんでもやっておかなきゃね」
「忙しいときにすみません。お土産はちゃんと買ってきますんで。……あと、茜さんにもよろしく伝えておいてもらえますか?」
「アカネさん?」
「店長の娘さんだよ」正一は言った。
「地元の劇団で女優やってるんだ。次の公演までに少し期間が空くから店の手伝いに戻ってくるって」
「どうせバイト代目当てよ。年中カツカツなんだから」
マキには今年で三〇歳になる娘がいるという。一九歳のとき、女優を夢見て家を飛び出して行ったきりほとんど音沙汰なかったそうだが、一昨年ようやく地元に戻ってきて、いまは地元の劇団『エゴトリアム』で活動中らしい。
「なかなか尖った舞台をやってるから興味があったらいつか観に行ってみるといいよ」
「舞台……面白そうだね!」
「こずえちゃんはゴールデンウィークの予定はあるの?」
マキが会話に割り込んできた。
「特に予定はないですけど」
家族旅行を両親にせがむ年でもないし、たぶん去年と同じように家でぼうっと過ごすだけだろう。気が向いたら映画でも観に行くかもしれないし、観に行かないかもしれない。
「だったら正ちゃんと二人で京都に行ってきたらどう?」
正一は「ぶっ」と口に含んでいたお茶を噴いた。
「マキさんっ!」
「冗談よ冗談。ようやく可愛らしい反応見せたわね」
「宮原さん、マキさんの言うことは気にしないで」
「でも、こずえちゃんみたいな子と二人で京都に行けたら楽しいでしょ?」
「そういう問題じゃないです!」
――……――? ――っ! ……――……。
(倉野が赤くなるところをもっと見たいな)
二人のやりとりを聞いているうちに悪戯心がむくむくと湧いてきたこずえはニコッと笑みを浮かべて、
「倉野くん」と彼を改めて呼んだ。
「なに?」
耳聡く振り向いた正一に、こずえは言った。
私も京都に行きたい、と。
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