二〇歳(二)1
二〇歳(二)
「ねぇ、お父さん。尾崎豊って生きてたとき、どのぐらい人気あったの?」
父親に訊ねてみたところ「どうした急に?」と逆に訊き返された。
窓際の彼のアイポッドを持ち去った日、夕食後のことだ。
「尾崎豊が生きてたときって……もう三〇年以上前の話だぞ」
「丁度お父さんが青春時代を送っていた頃じゃない」
「そりゃそうだけど……母さんとこはどうだった?」
エプロンで手を拭いていた母親は、「尾崎?」と夫の質問にあまりいい顔をしなかった。
「あんた、尾崎豊にハマったの?」
こずえにもやはり好意的とは言い難い訊きかたをした。「二〇歳になるってのに」
「友達に尾崎ファンがいるの。その子が最近尾崎豊の話しかしないからどんな感じだったのかなぁって、当時の若者に訊いてるだけだよ」
ふーん、と疑わしそうな目を向けながらも、母親は「アイドルみたいなところもあった」と当時のことを語った。
「亡くなったとき、わーわー泣いてる子がいっぱいいたわ。ハンサムだし、若者のカリスマでしょ? 女性ファンが多かったわよ」
「俺の学校でもきゃーきゃー言ってる女の子いたな」
当時を懐かしむように、父親は目を細める。
「――そうだ。俺たちの時代はヤンキー全盛期だったけど、そいつらは意外と尾崎聴いてなかったな」
「え、そうなの?」
「いまで言うオタクか? 暗い部屋で太宰治を読んでそうなタイプのほうが聴いてた気がするな。『お前、尾崎信者なのかよ』って」
信者という言いかたは少し引っかかった。
「そうなんだ」
「私の友達は太宰じゃなくて芥川龍之介だったわ」
「あはは、どっちも暗いね」
「友達があんまりしつこく薦めてくるから仕方なく聴いたけど、やっぱり駄目。バイク盗むとか窓ガラス壊すとか野蛮じゃない。そのこと伝えたら喧嘩になったわ」
「それはあくまで比喩的表現であって――」
「どちらにせよ」言葉は遮られた。
「変なことはしないでね。あんた、昔からふらふら流されやすいところがあるから」
(悪い友達ができたんじゃないでしょうね?)と言いたげな目つきだった。
「……まさか彼氏ができたわけじゃないよな?」
父親の心配には、「まさか」と笑って返した。
翌日。
――八方美人姫さ、最近付き合い悪いよね。
――分かる! すぐ一人になりたがるよね。
――うちらのこと馬鹿だと思ってるんじゃないの?
――うわ、ありそう。
聞き覚えのある声もあれば、聞き覚えのない声もあった。
――あたし、あの子のこと嫌―い。ぶりっ子ってほどじゃないけど、誰にでもいい顔するじゃん。
――そりゃ《八方美人姫》だもん。
――どうする? 今度の合コン誘ってみる?
――誘ったって来ないでしょ。いつもみたいに「ごめんなさい。その日は予定があるんですぅ」って、どこまでほんとなんだか……。
――もしかして男いるんじゃない? 秘密にしてるだけで。
――いてもおかしくないけど……男って見る目ないよね。モロ演技してるじゃん。「男の子に興味ないんですぅ」って清楚ぶった顔してるけど、ああいうのに限ってパパ活で荒稼ぎしてんだって。
――なっちゃん、ひどっ! でも、だったらウケる。
――男寄せのアクセサリーとしては優秀なんだけどね。……まぁ、今回はなしにするか。
彼女達の笑い声が完全に聞こえなくなってからトイレの個室を出た。
(悪意や嘲笑ごと洗い流してやる!)
そして、念入りに手を洗った。
自分の悪口を聞いたのは、なにも初めてじゃない。かつて一番仲のよかった子が「こず、援交してるらしいよ」と言っていたときと比べれば大したことない。
だからと言って「全然気にしてないですぅ」なんてへらへらしているほど自分は頭空っぽじゃない。ましてやこれしきの悪口で悲劇のヒロインを演じるほど弱い性格でもない。
(私は、あんたらみたいな頭パッパラパーのアクセサリーになるのが嫌だっつうの!)
鏡を睨む目つきは、とても八方美人姫とは言えないものだった。
それでこずえは「バーン」とふざけて口にしてみた。
「発砲美人姫。……なーんてね」
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