二〇歳(一)2

「えー、今日も下で食べるの?」

「ごめん。ご飯食べたらすぐ行かなきゃいけないところがあるから」

「こずえ、最近ぼっち飯したがるよね。一人で食べてたら男が寄ってきて面倒じゃない?」

 誰も一人で食べるとは言っていないのだが、

(それ目当てじゃないの?)と相手は端から決めつけているので、訂正する気も起きない。透けて見える嫌味にも、こずえは「ごめんね。また今度誘って」と愛想よく返した。

 私は《八方美人姫》だから。

「そう、じゃあね……」

 大原敦子は自分にないものをいくつも持っている宮原こずえを、やたら目の敵にしている。持っていないもの。たとえば美貌、愛想のよさ、頭の回転の速さ、美貌……。

 階段をドスドス上ってゆく。その巨体が姿を消すと、もう一人の、おっとり美人な子がこずえの横でくすりと笑った。

「僻みって嫌よね」

 ううん、とこずえは首を振った。

「私、全然気にしてないから。大体、食事中に話しかけてくる男の子なんていないし」

 敦子の妄想の産物よ――、余計なことは言わずにおいた。

「分かってるって。……まぁ、あっちゃんの言うことあんまり気にしちゃ駄目よ」

 うふふ、とこちらのことを気遣っているようで、この子はこの子で信用ならない。

「みーちゃん、また午後の講義でね」

 またね、と笑顔で手を振り返しながらも、こずえは(なーにがみーちゃんだよ)と、彼女の姿が完全に見えなくなるまで気を抜かなかった。ブスゴンと合流したら、きっと私の悪口で盛り上がるんだろう。

(皆、毎日よくあんな陰湿な場所でご飯食べられるよね)

 学生食堂がある福利厚生棟の二階には、女子学生専用フロアがある。そこはゴシップと悪口の巣窟だ。

 一年生の頃は付き合いでこずえも専用フロアを利用していたが、付き合いもだんだん面倒臭くなり、二年生になってからはほとんど一階の共用フロアで昼食を済ませるようにしていた。

 それでもときどき今日のように誘ってくるから困る。誘う、断られる、誘う、断られる……。みーちゃんの評判は、日々右肩下がり。

 普通の女の子なら仲間はずれや孤立を恐れるだろう。だが、あいにく宮原こずえは、彼女達に愛想を尽かされたところで困ることはなに一つなかった。むしろそうなってくれたほうが彼女としては楽だった。

 いま関心があるのは窓際の彼だけだ。

 こずえは野菜炒め定食を頼んでから、彼を観察しやすい――近すぎず遠すぎずの――席に座った。

 彼は今日も窓際の席で蕎麦を食べている。

(光合成でもしているわけじゃあるまいし、あんなに太陽の光浴びて熱くないのかな?)

 彼は黒色の服しか着ない。

 普段よりいちだんと濃い味つけの野菜炒めにときおり「ケへっ」とむせながらも、こずえは密かに彼を観察し続ける。

(あの人いつもなに聴いてんだろ?)

 彼は食事中(構内をうろついているときでも)アイポッドで音楽を聴いている。『Kのメモ』だと浜田省吾やブルーハーツを聴いているはずだが、これはあくまで想像でしかない。

(あれで案外深夜アニメの電波ソングだったりして……)

 あのむっつり顔でやわなアニメソングを聴いていたら、それはそれで面白い気がする。

 音楽一つとっても、彼のことを知りたくてしょうがないが、彼にはずっと謎の存在でいてほしい、そんな相反する気持ちをこずえは常に抱いている。

 一口ごとに水を飲まないと食べられない(とんでもない)野菜炒めに苦戦している女子学生のことなどまるで眼中になく、彼は蕎麦をそうそうに食べ終え、席を立った。

 彼はトレイを返却する際、毎回厨房のおばちゃん達に一言二言声をかける。もちろん音楽プレーヤーのイヤホンは外して。

 たぶん「ご馳走様です」と言っているのだろう。

 ところが今日は、

「あれ?」

 いつもとなにかが違っていた。

(蕎麦を食べ終えました、と……それからリュックを背負いました……席を立つとき、イヤホンも外してた。それもいつも通り……で、トレイを返しに……今日もおばちゃん達に一声かけてた……)

 なにがいつもと違うのか気になって、こずえは彼が食堂を出ていくまでその後ろ姿をじいっと見続けた。

 彼がいなくなってからしばらくして、こずえは「あ」と違和感の正体に気づいた。

 イヤホンを耳から外すとき、いつもの流れなら彼はアイポッドを握り込んでそれをズボンのポケットに突っ込むのだが、今日はそれを卓上に残したまま席を立っていた。

(これは私が届けてあげるべきかな)

 ようやく野菜炒めを食べ終えたこずえは、これからの行動に迷った。

 持ち主は戻ってきそうにない。

 あのまま置きっぱなしだと誰かがいつかは気づく。その誰かが親切な人物なら落とし物として学生係に持っていくだろうが、「これ誰のだよ?」と手にしたのが、もしも意地の悪い奴だったら……。

 アイポッドは窓際の彼のもとへ戻ってこないかもしれない。

 そうなってしまったら彼がますます世界の不幸を――自分の不幸も込みで――嘆くようになってしまうんじゃないかと、それは可哀想だった。

(私が届けてあげよう)

 彼の憂い顔を想像しているうちに臆する気持ちが薄れてきたのもあるが、なによりこずえの背中を押したのは(これは窓際の彼とお近づきになるチャンスかもしれない)現金な気持ちだった。

 一度決めたら行動は早かった。

 こずえは自然な足取りで彼が先ほどまで座っていた席へと向かい、それから持ち主が戻ってこないか、誰も自分のことを見ていないか、周りをさっと窺った。そして卓上の忘れ物を万引き犯のようなさり気ない手つきでジーパンのポケットに突っ込み、その場をあとにした。

 

 結論から言うと『Kのメモ』は割といい線をいっていた。予想は浜田省吾、ブルーハーツだったのだから、系統的にはその歌手はかなり近かった。

「なるほどねぇ」

 善意(?)で回収したとはいえ、人様の音楽プレーヤーを聴くのは褒められたことではないだろう。

 しかし、こずえは帰宅後、窓際の彼が普段どんな曲を聴いているのかどうしても気になり、つい電源を入れてしまった。

 人様の音楽プレーヤーを再生するわ、中身を聴いてニヤニヤするわ、我ながらろくでもない善意の人だと思う。

 ただ、これだけは誓って言える。

 私は決して彼の選曲や感性を馬鹿にしたニュアンスで笑っているわけではない。

 神経質な横顔、アンニュイな頬杖。

 窓際の彼に対して潜在的に抱いていたイメージに限りなく近い。いや、そのものだったのが嬉しかったのだ。

 普段聴く曲ほどその人を語るものはない。これは宮原こずえの持論でもある。

「窓際の彼は、盗んだバイクで走り出しちゃうタイプなんだね」

 アイポッドの中身はすべて若者達のカリスマ――夭折のロックシンガー《尾崎豊》だった。

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