第一章 窓際の彼と八方美人姫

二〇歳(一)1

   二〇歳(一)


 窓際の彼は、今日も思いつめた顔で窓の外を見ていた。

 遠くの国の戦争、大事な一人娘が変な男に引っかかったパパ、デート前にハイヒールのかかとが折れたOL……。

 世界中の不幸を背負っているかのような暗く険しい眼差しを(私に向けてくれないかな)と、宮原こずえは今日も思っていた。特に今日は、太陽が眩しいのだから。

 ぼんやりとした物思いは、紙飛行機が目の前をひゅーっと横切って行ったことで、途端に(あーあ)と現実に引き戻された。

 これはとても国立大学の授業風景に思えない。

 前の席の女の子はLINEに夢中(相手は友達? それとも彼氏?)。左の席からは新入生をホテルに連れ込むのが上手そうな男の子達の薄っぺらい笑い声。

 講義室が無法地帯――いや、動物園にも関わらず、枯れ木のようなヨボヨボ教授は今日も注意一つしない。

 動物園の檻の中でこずえは「ふぅ」と人知れず溜め息をついていた。

 枯れ木教授は日本国憲法についてボソボソ話し続けている。

 もっとも、こずえも講義をまともに聴いていなかった。

(やれやれ)

 そろそろ肩に届きそうな髪をくるくる指先で弄びながらノートを開く。


『Kのメモ』


●名前――倉本創一(くらもとそういち)

●誕生日――二月一三日

●血液型――AB型

●趣味――読書、映画鑑賞、散歩

●好きな食べ物――蕎麦(これはおそらく事実。学食で蕎麦以外食べているところを見たことがない)

●好きな歌手――浜田省吾、ブルーハーツ

●好きな小説――『限りなく透明に近いブルー』

●好きな漫画――『寄生獣』

●好きな映画――『タクシードライバー』(絶対そういうタイプだって!)

●好きなタイプ――可憐な文学少女

●お風呂で最初に洗う場所――左肘

●悩み――周りの人間との距離感が掴めない、方向音痴

●一〇年後どうなっているか――社会生活に行き詰まり座禅教室に通い始める

●宮原こずえとの相性――意外と仲良くなれそう(?)


 これらはすべてこずえの想像だった。

 名前さえ知らない相手のことを想像する。退屈しのぎには丁度いい遊びだった。

(私って性格悪いなぁ)

 メモに自身の性格がちょいちょい反映されているのも面白い。

 Kはいつも一人でいる。そしてなぜか窓際の席にしか座らない。観察対象としてはなかなか面白い相手だった(《K》はカフカの登場人物から)。

 髪は短めで、いつもむっつり顔。一人暮らし(これは想像)で食生活があまり豊かでないのか痩せ気味。

 窓際の彼を一言で表すなら『病んだ文学青年』と言ったところだ。

(それにしても)

 ――っ! ――じゃない? ――今度の週末さ……。

 動物園の騒ぎはいつまでも続いている。講義はまだ三〇分も残っている。

 こずえはノートを閉じた。元から聴く気のない講義、ますます聴く気がなくなった。

 加えて、大学生特有のアニマルめいた騒がしさに辛気臭い溜め息が洩れる。

 名前さえ知らない男子学生と仲良くなりたい。そのくせ自分から行動しようとしない意気地のなさ。

 こずえはこの頃、自分に嫌気ばかりさしている。

 あはは――。この間先輩がさ……。うわ、その男きもー……。

 四月下旬、春の陽気に誘われてか、Kはいつの間にか頬杖をつきながら目を閉じていた。

(意外と穏やかな寝顔)

 一人だけ違う世界にいるみたいだった。

 彼を真似してこずえも頬杖をついてみた。目を閉じて考えてみた。

 ラブでもライクでもないこの気持ちは、あれに似ている。目の前でブックカバーをかけながら本を読んでいる人がいたら、なにを読んでいるのか訊いてみたくなる、そんな気持ちによく似ている。

 彼の真似をしてみたところで、冴えない現状がより一層もどかしくなるだけだった。

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