弐周目参――焚

「わたくしは拐かされても飼われてもいません! その証拠をご覧に入れましょう!」


「人間の娘、お前は隣にいる化け物の手で殺されるんだ!」


 タキの啖呵を返すようにそう叫んだ男は、俺を睨み付けて手に持っている錫杖をこちらへ向ける。

 直系の血族ではないはずだが、水蓮の面影を残す瞳で睨まれるのはいささか心苦しいが、それでも俺は山の主として、そしてタキの番としてここで退くわけにはいかない。


「どうやって幻惑の術を解いたかは知らないが、蛇神! お前の真名を握ったボクに逆らえると思うなよ」


 半透明の巨人は物言わぬまま静止している。その胸部に立つ陰陽師の男は、錫杖を両手で持ち、胸元から一枚の札を出して額に掲げた。


「我が血は水に浮く蓮の巫女に連なる者。我が肉に宿るは赤き髪と瞳の巫女が残した魂! 巫女水蓮を喰らった妖神あやかしがみ夜刀やと! その穢れた肉の中に捉えた我が祖の欠片に縛られよ」


 あいつの髪の色によく似た赤い光が男の足下から噴きだした。一瞬だけ目を奪われたが、俺の体に異変はない。

 目を丸く見開いて固まっている男に俺は唇の片側をあげて笑みを返してやる。


「残念だな。真名まことのなを普段から番に呼ばせるはずがねえだろ阿呆」


 実力はそれなりにあるようだが、妖怪あやかしと戦う経験が少ないようで助かった。

 真名の半分を握られたのは不味かったと思っていたが、俺の体の自由を奪った原因は俺の中で囚われていた水蓮の魂だったらしい。


「お前があてにしている水蓮あいつの魂も、もうにはいねえよ」


「なんだと……。確かにしっかりとお前の魂と混ざっていたはずだ。水蓮様が尊い身を犠牲にしてお前を神にしたと……そう聞いていたぞ! クソ……クソっ!」


 俺は、自分の腹を指差して、声を張り上げてやると男は髪を掻きむしってその場で地団駄を踏んで、錫杖を振り回す。


「もういい。この地を必要以上に荒らしたくはなかったが、都のためだ。やるぞ瘟鬼おんき


 空気を震わせる悍ましい雄叫びを上げながら、制止していた半透明の巨人……瘟鬼が周囲に広げていた黒いドロドロを吸い込んでいく。

 ドロドロは瘟鬼の身体にまとわりつくと固まり、まるで武者が身に纏っている甲冑のように変化していく。


「元は妖怪あやかしだろうが、俺はこの山の主だ。山を荒らすってんなら命までは奪わねえが、痛い眼にあって貰うぞ」


 こちらを睨みながら瘟鬼の鎧の奥へ引き下がっていく男へ届くように、大声でそう伝えるとあいつは額に青筋を浮かべながらこちらを睨み付けて姿を隠した。

 瘟鬼の手には大きな黒いマサカリが作り出されている。もう一度大きく咆吼をあげてから、巨大な鬼は地面にマサカリを思いきり突き立てた。

 砕けた岩と、マサカリから吹き出す黒い風がこちらへ跳んでくるのを結界を張って防ぐが……山と俺の魂は結び付けられている。腹の中が痛み、体内から逆流してきた血が口から零れる。


夜刀やと様……!」


「黒い風は……恐らく流行病を蔓延させるものだろう。土地が弱り、生き物たちが苦しんでいると、俺の力も弱まるってわけだ」


「それは……夜刀やと様が……水と豊穣を司っているからでしょうか?」


 駆け寄ってきて俺の肩を支えたタキに心配をかけまいと強がってみせる。真名まことのなを知り合って番になったことで力は増したはずだが……瘟鬼の起こす風は思っていたよりも俺と相性が悪かったらしい。


「くはははは! さっさと降参すればその人間も一緒に飼ってやるぞ」


 暴れ狂う瘟鬼から響いてくる陰陽師の言葉を聞いたタキが、目をつり上げて声の方を睨み付けた。

 こいつが本気で怒っている様子は初めて見るかも知れない。

 鳶色の瞳の中に、鮮やかで妖しい光がポッと宿るのが見えた。

 口元だけ笑みを浮かべ、双眸には怒りを称えたままのタキはしずしずと俺と目を合わせる。


「豊穣と水を司る夜刀やと様には、荒れた山というのは力を奪うものなのでしょう。安心してくださいませ。わたくしは、妖怪神あやかしがみとして生まれ直したタキには、瘟鬼の黒い風など効きませぬ」


 俺のことを抱きあげたタキは上半身だけをそのままに、下半身だけを蛇の姿に変えていく。

 背中と蛇に変わった下半身に生えた両翼を広げ、俺を抱いたまま空へ飛んだタキは瘟鬼に向かって右腕を振り下ろした。

 渦を巻きながら放たれた漆黒の炎が、瘟鬼の手元に当たり、マサカリを叩き落とす。

 土煙を上げながら地面へ落ちたマサカリを轟々と燃やす黒い炎に照らされながら、タキは瘟鬼をギロリと睨み付けた。


「人間の女……貴様……穢らわしい妖怪あやかしに魂を売っていたのか」


「黙れ! わたくしはわたくしの意思で愛する方と同じ器を得ただけだ」


 瘟鬼の中から響いてくる陰陽師の男に言い返したタキは、すぅっと息を深く吸い込む。

 彼女の身体を黒い炎が覆っていくが、不思議と熱さは感じない。

 一瞬だけ目を伏せて、俺を見てから微笑みを浮かべたタキは「老いたわたくしの願いも、今のわたくしの願いも叶えてくださった恩返しがようやくできます」と囁いてから、もう一度、瘟鬼へ目を向けた。


「おい、タキ」


 いつからそのことを知っていた? と聞く前に、タキは腕を振るって黒い炎を瘟鬼の方へ放ちながら更に空高く昇っていく。


「唾棄すべき存在だとわたくしを蔑んだものへの憎しみと、恨みの気持ち、棄てられた自分への嫌悪……それらを全て燃やし尽くして滅せる力を……わたくしは願ったのです。わたくしの黒い炎は愚かな者を閉じ込める囚獄しゅうごく、神への畏怖を忘れた人へ罰を下せる乾きの力……わたくしは干魃の神……タキ


 黒と銀の光で照らされながら彼女は名乗りを上げた。


「山が豊かになればわたくしの力は人間と変わりない程度ですが……山が荒れれば荒れるほど、わたくしの力は増すのです」


 俺を抱きしめているタキは、身に纏った黒い業火を瘟鬼に放ちながら優しく微笑んでそういった。

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