弐周目参――結願

「わしがいいことを教えてやるとしよう」


 人型の姿になり、妖しげに笑いながら近寄ってきた逢火おうびからタキを守るように半身を前に出すと、あいつは「ひひ」と小さく笑い声を漏らしながら羽織の袖口から煙管を取りだした。

 細長い人差し指の先端に鬼火を灯し、一息吸い込むと葉の燃える音が響く。


「なあ、タキ、知っているかのう? 妖怪あやかしは名を与えられれば強くなる。そして……神と崇められるような妖怪あやかしにもなると、大抵はまことの名前があるのじゃ」


 横をむいてふうと煙を吐いてから、もったいぶるようにあいつはそう言った。


まことの……名前?」


「ああ、それを知るとな、相手の全てを支配出来る特別な名前じゃ。お互いの真名を握り逢った妖怪あやかしは、本来持っている以上の力を発揮できるとも言われておる」


 興味を持ったのか、少し前のめりになりながら目を丸く開いたタキを見て、逢火おうびは胸をわずかにそらしながら声を低くして答えた。


「ひっひっひ……お主が妖怪こちら側へ来れば、その陰陽師とやらもどうにか出来るかもしれんのう」


「悪趣味な誘いはやめろ。俺一人で十分だ」


 何も言わないまま、じぃっと逢火おうびを見つめているタキをそっと自分の方へ抱き寄せてから、タキが乗せられて「今すぐ妖怪あやかしになる」なんて言い出さないように一言付け加える。


「真名ではないとはいえ、名を握られてまんまと幻覚に惑わされていたおぬしが言っても説得力がないのう」


「油断をしていなければああはならなかった。もう大丈夫だ」


 俺を煽るように軽口を叩きながら、煙管を蒸かす逢火おうびは楽しそうに身体を揺すって笑い声を漏らした。

 人間は愚かだ。恵みが無ければ敬いを失っていくし、ずっと良くしてやっても畏れを失う。

 タキも在り方が少し違うとはいえ人間だ。妖怪おれたちのような永い寿命を持った時に、その選択を後悔したら……もう一度人間に戻れるなんて都合の良い話はない。


「わたくし……」


「ダメだ」


「嫌です! わたくし、貴方様を幸せにするという願いがありますもの! この身体では貴方様を幸せに出来ません」


「人間に戻りたいと願っても戻れないんだぞ? お前にはまだ時間はある。数十年なんざ俺にとってはあっと言う間だ。ギリギリまで悩んでそれでもなりたいのなら……」


「ねえ、夜刀やと様……わたくしが頑固なのはご存じでしょう?」


 俺の隣にいたタキが、ぐいっと肩を掴んでくる。そのまま身体を向き合わされて、両手で俺の手を包むようにしたタキは真剣な眼差しでこちらを見上げてきた。

 鳶色の瞳には、部屋に飾られている無数の魂達が映り込んでいてきらきらと輝いている。


「……痛いかみしれねえし、死ぬ場合もあるんだぞ?」


「貴方様があの男に殺されても、調伏されてもわたくしはただでは済みません。それならば、一か八か賭けてみます」


 あまりに真っ直ぐな物言いに、何も言い返せなくなる。

 妖怪あやかしに人間がなるのは、そう難しいことじゃない。弱い妖怪あやかしならともかく、俺の力は強い。

 力の強い妖怪あやかしの身体の一部を取り込み、霊力を与えればタキはあっと言う間にへ来られる。


「ひっひっひ……話はまとまったようじゃのう」


 俺が何も言い返せないままでいると、片眉を持ち上げてにやりと笑う逢火おうびが割り込んで来ると、いつのまにか持っていたタキの小刀を俺に差し出してきた。


「な、なにをするのです?」


「タキ、本当にいいのか? まだ断れる。あの陰陽師なら、こいつの首根っこをひっつかんで協力させりゃあ追い返すことも出来るはずだが」


「絶対に嫌じゃ。戦うのは専門外じゃってぇ」


 逃げようとする逢火おうびの首元を掴んで引き寄せながら言うと、タキはくすりと笑いながら首を縦に振った。


「わたくしの願いを、叶えてくれると約束してくれたでしょう? これがわたくしの願いですわ。夜刀やと様の隣に、ずっとずうっといさせてくださいませ」


 頬を赤らめながら微笑む彼女は、その場だけ春の日和になったかと勘違いしそうなほど温かく、美しかった。

 動揺を見破られないように咳払いをしてから、俺は自分の左側に生えている角に小刀を当てた。


「――っ」


 角には痛覚がないわけではない。角に刃を入れればそれなりに激しい痛みを伴う。

 磯撫いそなの歯で出来た切れ味の良い小刀といっても、俺の角を切るには力が必要だった。

 思いきり力を入れると硬い音と共に角に刃がめり込み、いっきに刃が進む。


夜刀やと様……!」


「大丈夫だ。こんな傷なんてすぐに癒える」


 角の中央から溢れ出た血が、額を伝って目や頬を濡らしていく。駆け寄ってきて着物の袖を俺の顔に押し当てるタキを落ち着かせながら、俺は彼女に小刀と一緒に、根元近くから切り落とした角を手渡した。


「好きな場所にこいつを当てて、あんたの願いを念じるんだ」


 俺の角を受け取ったタキの指先がわずかに震えている。

 彼女を安心させるために、腕を引き寄せてそっと抱きしめた。それから額に唇を触れさせる。

 冷や汗をかいていたからか、ほんの少し冷たい彼女の額を手で拭ってやりながら、俺はもう一度、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る