弐周目参――呪

逢火おうび! やめ」


 逢火おうびの頭だけが青鷺本来の姿へ変化して、長い嘴が大きく開く。

 思わず目を閉じて、タキにどう詫びるべきか考える。すぐに妖怪こちら側へ連れてきてしまえば、失った身体の部位を戻せるだろうか?

 あいつの丈夫さが、妖怪あやかしになっても引き継がれるのなら、四肢を失ったとしてもまた生えてくるくらいのことは出来るはずだ。

 だが、頭だった場合……あいつは死ぬんじゃ無いのか? ぞわぞわとした気持ちが身体の内側に広がっていく。


「へ」


「ひっひっひ……これで十分じゃよ」


 彼女の気の抜けたような声と、逢火おうびの悪戯っぽい笑い声を聞いて、俺はゆっくりと目を開いた。

 血生臭い匂いもしない。目の前には、肩より少し短くなった髪を揺らしている五体満足のタキと、細くて長い喉を仰け反らせて笑う逢火おうびがいた。


「願いが込められた乙女の髪は美味じゃからのう」


 足下から噴きだした青い炎が、逢火おうびの身体に絡みつくように立ち上っていく。

 両翼を広げると、炎は天井に届くほど高く燃え上がり、あいつの身体の表面を覆うように広がった。

 青白く輝く逢火おうびは、長く細い首が美しい弧を描き、切なげで甲高い鳴き声が、半開きになった嘴から放たれる。


「さあさあ、老いぼれ妖怪が珍しく目立てるときじゃ! 御客は二人しかおらんが張り切るとしようじゃあないか」


 壁に張り巡らされた棚に飾られている鳥籠がカタカタと揺れる。大きな声を張り上げて大きく両翼を羽ばたかせている逢火おうびから、青い火の粉がちらちらと舞い散って部屋を満たしていく。

 ばたんばたんと籠の蓋が次々と開いていき、二つよりそった人魂達が、逢火おうびと俺たちの前に集まって来た。


「さあ、こちらへおいで。もう頸木あんたの役目は果たされた。そろそろいいじゃろう」


 羽ばたくのをやめた逢火おうびは、優しげな声でそう言いながら前へ歩いてきた。

 道を空けるようにさっと人魂達が左右に割れ、近くでタキが不安そうに胸の前で手を組みながらこちらを見つめている。


「タキ、お前の持ってる小刀でこいつを切ってくれんかのう」


 タキに何が見えているのかはわからないが、あいつに言われるがまま彼女はしずしずと俺の腹辺りに歩いて行ったようだ。

 少しだけ間が空いてキィンとやけに澄んだ音が響く。身体になにも触れていないはずなのに心が、身体がバラバラになったような感覚に陥って目の前がぐるぐると回転して吐き気が込み上げてきた。


「ひっひっひ。海の腕白坊主も良い物をタキにやったもんじゃな」


夜刀やと様!」


 俺が悶えた声を聞いてタキが身体をさすってくれているのがわかる。

 込み上げてきた熱い何かを耐えられずに、俺は口を開いた。

 

「ぐ……」


「ほら、おいで。その檻よりも今はこちらの檻の方が心地がいいじゃろう」


 俺の口からは、赤い人魂と白っぽい光を放つ人魂がふたつ飛び出したらしい。

 ふらふらとその場に漂っていた二つの光は、甘く蕩けるような響きで喋る逢火おうびの声に誘われるようにして大きな鳥籠の中へ入っていった。


逢火おうび様……これは」


「わしの趣味は、悲恋の末に死んだ魂同士を飼うことだと知っているじゃろう? 悲恋の末に死んだ魂と言えば、おぬしと、おぬしが喰った人間のものに決まっておろう」


「俺は生きているが……」


 アレだけ動かなかった身体は、いつのまにかすっかり軽くなっている。十分に広い部屋だが青鷺本来の姿逢火おうびと、蛇の姿のままの俺が共にいると流石に狭いだろう。

 いつもの人間に近い姿へ戻って、不安そうな表情のままで立っているタキの肩を抱き寄せた。


「意地悪な言い方じゃったのう。おぬしの魂には変わりないがこれは抜け殻のようなものじゃ。蛇から龍へ変わったときに現れた……な」


 含みを持たせるような言葉に、今は感謝すべきだろう。

 俺が老いたタキを喰らい、時を遡ったということを、俺はまだ今世のタキに話していないのだから。

 浮かんでいる籠の中に嘴の先端を差し込んで、棚に入れた逢火おうびは、喉を震わせて小さく笑うと、目を細めて俺たちを見下ろす。


「どうやら、この赤い魂を持つ者は荒れた土地に神を降ろすために遣わされた巫女のようじゃな。ちょうどいい器を見つけて神にしようとしたが、人間に怪しまれ……仕方なく自らの肉と血と魂を犠牲にしておぬしを神にした、と」


 ゆらゆらと漂っていた人魂達がゆっくりと籠の中へと戻っていき、籠の戸が閉まる小さな音が響く。

 それを聞きながら、俺は水蓮の最期の表情を思い出していた。


「……そういうことか」


 水蓮が、どうして俺に神になれなんて言ったのか不思議だった。

 俺に復讐をしろともいわず、元から課された仕事を全うして死んでいった高潔な女。使い捨てられる自分を良しとした、哀れで愛おしい少女。

 感傷に浸っていることがバレたのか、タキが俺の手をそっと握ってくる。


「大丈夫だ。傷付いているわけではない。ただ……哀れんでいたんだ。他人のために死んだかつての想い人を」


「願いを託し、喰われることでおぬしの魂を鎖で縛り、在り方を定めたのじゃ。お人好しには効果的な呪いまじないじゃのう」


 愉快そうに両翼をわずかに揺らした逢火おうびは、そういうと赤と白の人魂がよりそうように入っている籠を見る。

 それを複雑そうな表情でみつめていたタキが、半歩前へ出た。


「わたくしが、磯撫いそな様からいただいた小刀で切ったのは……」


「巫女の娘が夜刀やとに施した術じゃな。わしの霊力で人間のおぬしにも見えるように細工をしたんじゃ」


 頭を下げ、タキの髪を嘴でそっと触れた逢火おうびは、ふっと息を漏らすように笑って横目で俺をのぞく。


「どうやら、おぬしを襲った小僧はさっきタキが断ち切った鎖を使って術をかけたようじゃからな」


 水蓮によく似た顔をした陰陽師の青年を思い出す。あいつと出会ってやりあったことが遙か前のように思えるが、それはきっとタキが来るまで見ていた幸せな夢のせいだろう。


「身体の自由は取り戻した。あいつを排除する」


「焦るな。陰陽師の小僧が山に放った黒いどろどろがあるじゃろう? アレは山と神格を穢し、力を削ぐ効果がある。それに、式神も出してくるはずじゃ。龍となったおぬしに勝算を持って挑むだけの力はある」


 タキを頼むと言おうとする前に、逢火おうびに口を挟まれた。

 冷静に判断出来ていなかったが、確かにここまで来るということは策が一つだけだと考えない方が良いだろう。

 踵を返して踏み出そうとした足を止め、俺は逢火おうびと改めて向き合った。


「わしがいいことを教えてやるとしよう」


 胸を張って、尾羽を揺らした逢火おうびは、そういって人間の姿へ変化すると、先ほどからどこか不安そうで落ち着かない様子のタキへ歩み寄った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る