弐周目参――告白

「一緒に寝てくれませんか?」


 元の姿になり、山に異変がないか覗こうとしていると、襖を控えめに開いたタキが寝間着のまま部屋へ入ってきた。

 没落した貴族が仕立てさせたものだということで、手触りも柔らかく、見目も良いのでタキに買い与えた物だったが、身に付けているのをこの目で見たのは初めてだ。

 人の姿に戻ろうと身をよじろうとしたが、タキは俺の返答を待たずにこちらへ近付いて来て、ぴたりと頬を身体にくっつけてきた。


「どうか、そのままで」


 切羽詰まったような声が、しずかな部屋に響いた。

 じっと黙っている彼女の腰に尾を巻き付けて、つぶしてしまわないように気をつけながら持ち上げる。

 彼女は丈夫だ。これくらいで傷付いたり死んだりしないというのはわかっている。


「そんなにそうっと触らなくても、わたくしは平気ですのに」


「俺がそう扱いたいんだ」


 大蛇の姿を見て、怖がらないところは水蓮にそっくりだ。話し方も、見た目もこんなにも違うのに。

 そういえば、俺はあいつがなんであんなことをしていたのか最後まで知れなかったな。

 雨を降らせるために祈りを捧げていると聞いて満足していたが……。

 タキを身体の上に載せ、近くに頭を持っていくと彼女は俺の黒く染まった角に掌を当てる。


夜刀やと様の角は、ツヤツヤとして氷のような手触りなのに……温かいですね」


「……お前も十分温かい」


 この身体では彼女を抱きしめられないが、代わりにそっと身体を巻き付ける。

 服越しに伝わってくるタキの体温は不快ではなく心地が良い。

 角に触れていた手は、そのまま俺の頭に降りてきて、ゆっくりと鱗の一つ一つを撫でていく。

 見たことは無いが、人間の母が子をあやすような仕草だと思った。


「どうすれば、わたくしの願いは叶えられるのでしょう」


「……その話をしにきたのか」


「だって、夜刀やと様は話をはぐらかすんですもの!」


 ふうと溜め息を吐きながらじろりとタキへ目を向ける。この姿で見るタキはいつもよりもさらに小さく感じる。小さく感じるというか、人の姿の時は頭一つ分しか違わないが、今は何倍もの体格差があるので事実なのだが。

 改めて俺と彼女は違うのだということを実感しやすい。


「どうしたら、あなた様を幸せにできるのですか? わたくしの願いを、叶えてくれると言ってくださったでしょう? それとも、やはり食べていただけますか?」


「人間のことは食わん。それに俺は」


 幸せだ。そう言おうとして言葉に詰まる。

 満たされていないわけではない。

 こいつが来る前に抱えていた空虚な気持ちも、今では感じる暇もない。


「今のままで十分だ」


 それだけ言って目を閉じようとした。

 しかし、タキはふくれっ面のまま俺のことをじっと見つめている。


「大切な人を人間に殺され、それなのに……神として祀られて、人間に尽くして……あなた様の気持ちや心は、どうなるのです。人間を恨んだり、殺したいと思っても良いのに」


 ぎゅっと握った彼女の手の甲に、ぽたぽたと数粒の雫が落ちた。

 伏せた目が、ゆっくりとこちらを見る。タキの鳶色をした瞳に、ゆらりと昏い影が差す。


「わたくしは……人間が、わたくしが育った村の人間が、嫌いです」


 ぽつりと彼女はそう漏らすように呟いて、俺の顔に自分の額をくっ付けた。


「飢える孤児や病に倒れた老人を見ながらも、わたくしに死ぬことは許されませんでした。恵まれた食事を与えられ、村の役に立つように、立派な供物になるように言われて育てられました」


 彼女の顔は見えない。だが、俺の鱗を濡らしているものが彼女の涙だということくらいはわかる。

 微かに震える彼女の手を握ってやれないもどかしさを抑えながら、俺は尾の先を持ち上げて彼女の背中をさする。


「棄児の癖に良い生活を出来るのは供物だからだと……。子を捨て村の財を奪って村から逃げた両親の罪を、身を以て償えと言われてきました。殴られてもすぐに治るので折檻も、贅沢だと村の子供に石を投げられた時も仕方が無いのだと受け入れていました」


 俺に伝えるというよりも、独白に近いのだろう。

 すんすんと、時折鼻を鳴らしながら、彼女は言葉を続けた。


「自害する勇気も無く、それでも村の役に立って死ぬなら許されるかもと思い、村へ来た小鬼や野盗と相打ちになろうと思いましたがそれも叶わず……。ようやく、ようやくこの大嫌いなわたくし自身の人生を、きれいに終わらせられると思っていたのです」


 顔を上げた彼女は熱っぽい視線を俺に向けた。ぽろぽろと両目から大粒の涙を流し、しゃくりをあげながら懸命に話す彼女をどう慰めていいかわからないまま、俺は舌を伸ばして彼女の目元をぬぐってやった。


「それでも、あなたさまはわたくしを食べてくれなくて、それなのに、新たな名をくださって、毎日が楽しくて、それに……友人、と呼べる方も出来て、それで、それで、わたくしは」


 両腕を広げてタキが抱きついてきた。

 泣きじゃくっているからか、身体が先ほどよりも熱を持っている。


「わたくしは、気が付いてしまったのです。わたくしは、タキは、あなた様が」


 彼女が何か言おうとしたとき、地響きが起きると同時に、どぉんという爆発音がどこかから聞こえてきた。

 夜にも拘わらず、鳥たちが騒ぎながら空へ飛び立ち、獣がざわめいて駆け出すのがわかる。


「タキ、すまない。少し待っていておくれ」


 驚いて目を丸く見開いて身体を強ばらせているタキにそう伝えて、俺は屋敷を出た。遠くから火薬の匂いが漂っている。

 タキの寝間着には毎晩、俺の鱗を忍ばせている。なにかあればすぐにわかるだろう。

 山の様子を探ろうとするが、霧がかっているようでよく見えない。何かの術か?

 胸騒ぎを覚えながら、俺は爆発音が聞こえた場所まで飛んでいくことにした。

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