弐周目参――生立ち

「ひっひっひ……呪詛返しのようじゃのう」


 冬の厳しさは和らぎつつあるが、山の上ではまだ春は少し遠い。

 本格的に温かくなるこれからに向けて、すっかり硬くなった畑の土を耕したり、冬眠から目覚めた獣共の様子を見たりと忙しくなり始めた頃、逢火おうびが屋敷へやってきた。

 冬の間にあったことを話してやると、あいつは細い目を更に細め、糸のようにして笑いながら肩を揺らす。


「いっそのことつがいにでもなるのはどうじゃ?」


「それが夜刀やと様の幸せでしたら、今すぐに」


 逢火おうびの姿を見かけてこちらへ来たタキは、あいつの言葉ににっこり笑みを浮かべると、胸元に手を当てて頭を深々と下げた。


「祝言をあげれば神としての格も高まるじゃろうに」


「うるさい。それよりもお前が来たのは別の用事だろう。ほらタキも、農作業へ戻ってくれ」


「ふふ……では、後でお茶と漬物をお持ちしますね」


 手の甲を払いながらタキに「しっし」とやると、すんなりと背を向けて畑へと戻っていく。

 逢火おうびに合わせて冗談を言ったのか、それとも本気なのか、あの日から彼女の気持ちを測りかねている。

 なんだか耳の辺りが熱を持った気がするのを誤魔化しながら、俺は逢火おうびを客間へ追い込んだ。


「さて、と。タキの両親じゃが、わしが捕まえていたようじゃ。連れてきてはおらんがな」


 逢火おうびはそういうと手首から下げていた籠に掛かっていた薄布を指で摘まんで捲ってみせる。

 いつもと違って布なんてかけているのでもしや……と思ったが、期待は外れたみたいだ。


「わしも魂たちの言葉が明確に聞こえるわけではない。ほんの少ぉしだけ彼奴らの記憶がのぞけるだけじゃ」


 すとんと座り、懐から煙管をするりと取り出すと、逢火おうびは指先に灯した鬼火で火を付け、息を吸いこむ。

 ゆらゆらと紫煙を燻らせているあいつと向かう会うような位置に腰を下ろすと、もったいぶるようにゆっくりと逢火おうびは口を開いた。


「あの娘の両親は普通の人間じゃ。どうやら身分違いの恋をし、駆け落ちをしたらしい」


 指をくいと動かして襖を開くと、あいつは畑仕事に精を出すタキを見つめながら話を続ける。


「あの娘がここにいるということは、当然、駆け落ちは失敗じゃ。山越えをしようとして女はおそらく足を滑らせ川へ落ち、男は川を流れていく女を追いかけ……」


「……タキを連れて駆け落ちをしたのか?」


「まあな。とはいっても、どうやらあの娘は母の腹の中にいたらしい」


 首を横に振った逢火おうびは、背中を少しそらしながら人間で言うヘソの下辺りを指差して、トントンと叩く。


「たまたまじゃ。母親が死んだというのに水の中でタキは生まれ、物珍しく思った鯁魚りょうぎょがそれを取り上げた」


 ヘソの下に当てていた指を離し、薄い唇を撫でる。

 両端を持ち上げ、笑顔を浮かべたまま逢火おうびは煙管に唇を当て、ふうと煙を吐き出してから、ぺろりと唇を赤い舌で舐めて、声を低くした。


「おそらくじゃが、おもしろ半分に鯁魚りょうぎょが乳を吸わせてみたのじゃろう」


「……鯁魚りょうぎょ、人魚と同じく肝を人間が食えば不滅の体を得、血を浴びれば体が丈夫になるという……」


「なんじゃ。知っていたのか」


 少しだけ残念そうな表情を浮かべながら、逢火おうびは煙管の灰をカンカンと籠の中へ落とし、くるくると回すと懐の中へしまい込んだ。


「川を上った鯁魚りょうぎょは、人間の子供にすぐ飽きたらしく適当な村にタキを捨てたんじゃ。これは亀のやつに聞いたから間違いない」


 あいつは「それなりに大変だったんじゃぞ」と付け加えると胸を張って眉を上に持ち上げる。


「……つまり、不幸な事故が重なってあいつはあんな体質ってことか?」


「ああ、その通りじゃ」


 農作業が終わったらしいタキが、額に浮かんだ汗を腕で拭っている。

 ゆっくりと振り返って穏やかな表情を浮かべている彼女がこちらに向かって大きく手を振ると、逢火おうびはひらひらと手を振り返しながら微笑んだ。


「体が異様に丈夫で、鍛えた男よりも怪力で怪我もすぐに治る女など、人間にとっては薄気味悪いものじゃろう。それで村長は考えたんじゃな。こいつをおぬしの供物として育てればいいと」


 こちらへ近付いてくるタキから目を逸らさず、表情も変えないまま逢火おうびはそう話を締めくくる。

 タキにあったのは、ただただ不幸な事故だった。

 彼女の両親を救うことが出来れば、彼女は単なる村娘として幸せな人生を送れていたのだろうか。

 そんな考えが頭を過る。


逢火おうび様、もう用事は済みましたか? 今からお茶と漬物をお持ちします」


 縁側まで来たタキが、少し身を乗り出して逢火おうびにそう声をかける。

 構わないでいいと言おうと思ったが、それよりも早くあいつは立ち上がり、縁側へ歩いて行ってしまう。

 それから、にっこりと笑いながらタキと視線を合わせるように屈み込んだ。


「ああ、こいつが好きな漬物とやらをわしも食べたかったのじゃ。頼む」


「はい!」


 俺を指差しながらそういった逢火おうびに対して、ニコニコしながら頷いたタキは、そのまま早足で土間の方へ回ったようだった。

 何か言いたげな逢火おうびを無視して目を閉じていると、音も無く隣に近寄ってきていた。


「もう一度時を戻してあの娘の両親を助けるより、おぬしが娶った方が良いと思うんじゃがのう」


 考えを読まれた気がして、驚きながら目を見開くと、あいつは顎を僅かに持ち上げてニヤリと得意げに微笑んだ。


「余所者の一家を優遇するなど、あの村の長がするはずがない。それはおぬしがよく知っているじゃろう?」


 細めた瞳の奥に宿る微かな殺気を見逃すほど俺は鈍くはない。

 それに、人間の善良さを信じるほど、物を知らないわけでもない。

 娶るのはともかく、確かに過去へもう一度戻ろうなどという賭けに出るよりも良い方法はあるはずだ。


「さっさとつがいになればいいものを」


 逢火おうびが呟いた小さな小さな声を無視しながら、こちらへ近付いてくるタキの控えめで可愛らしい足音に耳を澄ませることにした。

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