幕間――水蓮

 あいつは、儚げで吹けば飛んでしまいそうな女だった。

 干ばつが続いていた。

 細くなった川、ヒビ割れだらけの大地、飢えて死んだ生き物に虫や鴉が群がり、血気盛んな妖怪あやかし共は争いを繰り返していた。

 俺もそんな妖怪やつらと共に戦っていたが、腹が減ってうろついていた時に、たまたま川辺で祈りを捧げていた女を見つけた。

 こりゃあ丁度良い。そう思って女に口を開いて見せるとと、そいつはこちらを見るなり微笑みを浮かべた。


「雨が降るまで待ってください」


 思わず口を閉じた俺に向かって女は頭を下げてそういった。

 薄い透き通るような赤色をした髪はパサついていて、骨と皮ばっかりの女で、食い出がないなと思ったんだ。

 じっと女を睨んでみるが、俺を見上げたあいつは、臆すること無いまま更に一言付け加えた。


「志半ばで私が死んだのなら、食べても良いですから」


 だから、見逃してやることにした。

 毎日、あの女は枯れかけの湖に来ては祈りをささげていた。

 湖の主はとっくに去っていて、いくら祈っても雨を降らせたり恵みをもらえたりなんてしないのに。

 ここいら一帯は、このまま主が現れなければ妖怪あやかしや鬼たちに蹂躙されながら恵みを得られずに衰退していくだろう。

 あいつは俺の獲物だった。だから、祈りを捧げているあいつを食おうとする妖怪あやかしやヤマイヌ共を追い払うくらいはしてやった。

 一月ほど経っただろうか。単なる偶然か、立ち籠めた分厚い雲から滴った水がぽつりぽつりと地面を濡らし、次第に簾のようにざーっと音を立てて降り始めた。


「私は水蓮すいれんです。大蛇様、私を食べずにいてくれてありがとうございます」


 ずぶ濡れになりながら、やせっぽちの女は俺にそう自己紹介をした。そして深々と頭を下げた。

 今思えば、弱った体で毎日遠くの村から湖まで歩いてきたいたんだ。体力も気力も限界に近かっただろう。しかし、当時の俺はそんなことを考えすらしなかった。


「もう願いは叶ったか? ならば食わせて貰おう」


「まだ願いは叶っておりません。それに、わたくしは骨と皮ばかりでございます。村に作物が実るまでもうしばしお待ちください」


 俺を見る人間は、襲いかかってくるか怯えて腰を抜かしたり、命乞いをするようなやつらばかりだった。

 俺に臆することない水蓮を面白く感じて、しばらく様子を見ることにした。

 川辺から村へ帰るあいつが気になって村まで行くこともあった。あいつを襲おうとする妖怪あやかしや、畑を荒らす獣を何匹か食うこともあった。

 あいつに知られないようにこっそり動いていたつもりだが、村の人間達は俺を見ていたらしい。

 ほどなくして水蓮は妖怪に取り憑かれているなんて噂をされるようになった。

 だから、俺は村へ行くことをやめた。

 ただ、あいつは俺が食うのだ。俺の元を来ることは止めようとしなかった。なので、俺の鱗を渡して獣や俺よりも弱い妖怪あやかしに襲われないようにして、夜に来いと言い聞かせた。

 あいつは懲りずに毎晩俺の元へ来ては畑に芽が出ただの、家畜に子供が生まれたなんてことを話して聞かせる。

 そんなある日、ちょうど満月の夜だった。


「大蛇様の体は真っ白で、夜に見ると月に照らされた刀のようですね」


 俺の鱗を撫でながら、あいつは微笑みを浮かべてそう言った。

 痩せてこけていた頬は肉付きを取り戻し、骨が浮き出るほど細かった手足もすっかり健康的になっていた。


「刀など見たことがあるのか?」


「はい。お侍様は私の村にもいますから。ねえ、大蛇様、あなたにお名前はないのですか?」


「名前を付けられる妖怪あやかしなんざ、よっぽど力が強いやつだろうよ。俺みたいなデカいだけの蛇にゃ名前なんざねえよ」


「では、私が名前を差し上げても良いでしょうか?」


「……好きにしろ」


夜刀やと様というのはどうです?」


「悪くない」


「ふふ、夜刀やと様、私の願いが叶うまでよろしくお願いしますね」


 柔らかく微笑んだ水蓮は、それからしばらく姿を見せなかった。

 青々とした木々の葉が赤や黄に染まり、それがハラハラと散った頃、ようやく睡蓮は姿を現した。

 来なかった日々なんてなかったみたいに自然に睡蓮は俺の頭を撫で、懐から藁で編まれた包みを取り出した。


夜刀やと様、今年実った野菜を漬けてみたのです。お一つどうですか?」


「姿を見せないからどうしたものかと思っていたらなんなんだ全く」


「ほら、口を開けてください」


「こら、お前」


  半ば無理矢理口の中に入れられた漬物は、非常に美味だった。それに俺の体に力が増すような、そんな妙な高揚感があった。

 今思えば、それは供物を捧げられたときの感覚で、主ではないが俺が結果的に守った村から力を得たということだったのだろう。

 彼女はそうしてまた、俺に会いに来るようになった。

 水蓮は、冬の間に編んだ靴のこと、家の修繕が大変なこと、両親が亡くなったこと……色々なことを話してくれた。

 噂も薄れただろうと、帰路に就く彼女のあとを追いかけた夜のことだった。

 彼女が暮らす小さいボロ屋の周りをうろつく男二人が見えた。


「薄気味わりいったらありゃしねえ。村長はあいつのお陰で村が栄えたなんて言ってるが」


「蛇に取り憑かれてるっちゅう話だ。蛇の化け物と毎晩まぐわってるらしい」


「人間の子でも孕めば正気に戻るだろう」


「蛇の子でも身ごもってるんじゃねえか?」


「ひっひ。そうなるまえに俺らが仕込んじまおうぜ」


 下衆共め。カッとなった時には、男の一人の頭に食らいついていた。


「へ、蛇の化け物だ! 水蓮が呼び寄せやがった!」


 雑味の多い甘味がする頭を一度地面に吐き出し、もう一人に食らいつこうとしたところで生き残った方の男が大声を上げて逃げ出した。

 家々から人々が出てきたのが見える。このまま全員を食ってしまおうかと思ったが、嬉しそうに村の様子を話す水蓮の顔が頭を過る。

 仕方なく村から離れることにした。

 背後で水蓮が俺の名を呼んだ気がしたが、俺は彼女を無視して、ねぐらへ戻った。

 それが、過ちだったと気付くには何もかもが遅すぎた。

 数日後、目を覚ますと甘い血の匂いがあたり一帯にに立ち籠めていた。

 夜だというのに、川辺には火が灯り、なにやら人間が騒いでいる。

 川の底を這いながら様子を見ようとして、すぐになにが行われているのかわかった。


「大蛇だ!」


 川辺に膝を突いた水蓮は、木の板に張り付けにされていた。

 石を投げられたからか、彼女の額は柘榴のように割れ、着物はずたずたに引き裂かれ、男達に辱められていた。

 俺が怒りにまかせて川底から姿を現すと、どこからか矢が飛んできて体に刺さる。

 そんなことに構わず彼女を助けようと川辺へあがると、パッと蜘蛛の子を散らすように村人たちは逃げ、槍や刀を持った人間共が俺へ斬りかかってきた。


「水蓮、水蓮! もう大丈夫だ。助けてやる」


 傷だらけになりながら、人間たちを尾で払いのけ、何人かを噛み殺した。それからなんとか彼女を傷付けないように腕の縄を解き、張り付けにされている板をへし折ってから、ぐったりとしている水蓮へ話しかける。

 うっすら目を開けた水蓮は、無惨な姿だというのに俺を見るなり唇の両端を持ち上げて笑みを浮かべた。

 刀に毒でもぬってあったのか、どくどくと脈打つように傷口が痛い。血が流れすぎたのか視界が歪んで見えなくなってくる。


「逃げるぞ。どこか遠くの村へ運んでやる」


 体が重くて持ち上がらなくなりながらも、俺は水蓮をどこか遠くに逃すために頭の上に載せようとした。

 しかし、彼女は俺の頭に手を置いて、首を横に振る。


「ねえ綺麗な大蛇様、私はあなたに死んで欲しくないの。生きて、そして……みんなを守る神様になってくれないかしら?」


 首を横に振る俺を見て、彼女の眉尻が下がる。

 乾いて傷だらけの血色が悪い唇が開いて、掠れた声がようやく耳に届く。


夜刀やと様、お願い」


 名前を呼ばれて、油断をしているすきに彼女は俺の口にぐいと腕を捻じ込んだ。

 なんともいえない甘みが身体中に広がって、じくじくと脈打つように身体中を蝕んでいた痛みが引いていく。

 欲に抗いきれず、俺は目を閉じている彼女を丸呑みにした。


 そこから先の意識は曖昧だ。

 腹の底から湧いてくる力と、怒りが抑えきれず、俺は頭を持ち上げてヤマイヌのように空へ吼えた。

 身体中を旋風が覆い、川は渦巻き、霰混じりの雨が降り注いだ。

 その場にいない場所まで頭の中に流れ込んでくる。

 山では獣が逃げ惑い、人の村では幼い子供が母親らしき女に抱かれて震えて泣いていた。


「みんなを守る神様になってくれないかしら?」

 

 そう、水蓮は言ったのだ。

 彼女の言葉を思い出した時、俺の周りに吹き荒れていた旋風と雨は止み、川の渦も収まった。

 俺を追いかけようとしていた侍たちの姿もなくなっていた。


 それから、俺は水蓮がいなくなってからも村を襲う妖怪あやかしを追い出したり食ったりするようになった。

 夜の間に川から村近くまで水路をほってやったりもした。

 村の人間は、最初こそ俺の祟りや水蓮の呪いを畏れていたが、俺が姿を現して「水蓮が供物として自らの身を捧げた。そのお陰でお前らを生かしてやる」と伝えてやると掌を返すように俺を祀る社を作ったり、感謝を伝えてくるようになった。


「貴様ら人間は愚かで怠惰だ。五十年に一度、人間の娘を供物に捧げろ。それがある限り、俺はお前らを守ってやろう」


 水蓮の犠牲を忘れるな。そういうつもりだったんだ。

 捧げられた供物の娘達は、食わずにすぐ遠くの人里へ送っていたから、村でどのように供物が扱われるかまで考えていなかった。

 ただ、手酷く扱われた娘が送られた年には、獣に村を襲わせ、村長に夢で「粗末にした供物を送るとはどういうことだ」と怒りを伝え、村長の一族を呪い殺した。

 その次からは、痩せこけたり傷だらけの娘は送られてきた様子がなかったと思っていたのだが……。


「俺の供物を唾棄と名付け、飯だけ与えて手酷く扱っていたとはな」


 見た目は健康で美しい女だった。だから、気が付かなかった。

 いや、人間の娘と深く関わるのが怖くて、わざと目を背けていただけだと自分を戒める。

 懺悔の気持ちを込めて、膝の上に載せているタキの髪を撫でると、彼女は俺の手を取って自分の頬へ押し当てる。

 

「それでも、そのお陰であなた様に会えました。それに、タキという名も貰いました」


 困ったように眉を八の字にして笑う彼女はそう言って目を閉じて俺の肩に頭を預けた。


夜刀やと様に食べていただいた水蓮という方をうらやましく思わないといえば嘘になります。わたくしの中にある食べていただきたいという気持ちはなくなりません。ですが、わたくしは」


 くりくりとした可愛らしい彼女の鳶色をした双眸が俺をしっかりと捉えている。

 温かく柔らかな頬から俺の手を離し、今度は自分の指に俺の手を絡めながら、彼女は小さな口をゆっくりと動かして言葉を続ける。


「死ぬその日までに、叶えたい願いが見つかりました」


 今の彼女が何を思っているのかまでは、読めなかった。

 しかし、今までよりも強い意志の力が、彼女の目に宿っていることだけはわかる。


「そうか。俺が叶えてやるから話してごらん」


「わたくしの願いは、夜刀やと様に幸せになっていただくことでございます」


 予想外の願いを聞いて目を白黒させている俺を見ながら、彼女はにっこりと微笑んで俺の手をぎゅっと握りしめた。

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