弐周目次――冬化粧

「今朝はつららが軒下にできていました。 夜刀やと様の御髪に似て本当にきれいできれいで」


 タキが来てから一年が経とうとしている。

 それなりにこの屋敷になれたのか、俺に嘘の名を告げていないので罪悪感がないからか、前世のタキのように作りもののような笑顔を浮かべる機会は減っていた。

 こいつの笑い顔は好きでは無いと思っていたが、こうして隣に座って無邪気に微笑んでいる様子は年相応の小娘という様相でこちらの口角まで思わず持ち上がってしまう。

 とめどなく喋る彼女の声と、タキのために用意した火鉢から聞こえるパチパチという炭の音を聞いていると、ふと妙な気配が山へ入り込んだことに気が付いた。


 人間だ。

 普段ならともかく、冬に……しかも雪が懇々と降っている日に人間が山へ入るのは珍しい。

 山で細々と暮らしている狩人たちとも違うが……邪悪な気配までは感じない。放っておいても良いだろう。

 そう判断して、注視をやめてタキへ視線を戻した。


「それにしても、冬は毎年いそがしかったものですから……不思議な気持ちです」


 タキは天井や壁を見回してから、俺を見上げた。

 前世のタキは、同じ屋敷に暮らしていたとしても決して隣に座ろうとしなかった。あれは、負い目を感じていたからだろうか?

 それに、一つの部屋で語らうと言ったこともしなかった。冬が来れば俺は一日の大半を眠って過ごしていたし、タキがなにをしていたかなんて考えていなかった。

 あいつもあいつだったが、俺も大概なものだなと過去の自分に呆れながら、今のタキへ視線を戻す。


「冬の間に屋根や壁を直そうとしていましたのに……秋になるとすっかりきれいになってしまいました」


「ああ、それは……供物を捧げられたからだ。知らなかったのか?」


「供物を?! 夜刀やと様、わたくしというものがありながら……他の娘を食べたのですか?」


 ばっと勢い良く腰を上げたタキが目を皿のように丸く見開いている。

 半ば予想をしていたことだが、あまりにも思った通りの反応をするものだからおかしくて思わず笑ってしまいながら俺は立ち上がったタキを自分の隣に座らせて肩をぽんと叩く。


「落ち着けって。そうじゃねえよ。山の麓に米や野菜がたくさん置いてあったときがあったろ?」


「ああ……秋の終わりに」


 人間たちが牛車で運んできた米俵とたくさんの野菜は普段なら俺が本来の姿になって運ぶのだが、偶然山歩きをしていたタキが見つけて一人で屋敷まで持ち帰ってきて驚いた。

 猪を素手で狩るような女だ。確かにそれくらい出来てもおかしくはないと思っていたが、今世のタキはめちゃくちゃなことをやらかさないのですっかりと忘れていた。

 そんなことを思い出しながら、大人しく座ったタキに屋敷が直ったわけを話してやる。 


「あれのことだ。生娘を供物として捧げるのはあの村だけだからな」


 一瞬だけ、彼女の表情が曇る。それを見ない振りをして話を続ける。

 こいつの村からだけ、人間を供物に捧げさせている理由を聞かれても、今はきちんと話せる気がしない。


「漬物を食うのは娯楽だ。他の神もそうだと思うが、俺たちは人間からの畏れや敬いを糧にして生きている」


「糧、ですか」


「人間にとっての飯ってことだ。俺は肉を食わんでもそうして生きていける」


 夢中な顔をして頷くタキの髪を撫でてやると、彼女が心地良さそうに目を細めた。

 冬になる前に人里へ降りたとき、買ってやった紅い木の実が付いた竹の髪飾りが小さく揺れて微かな音を立てる。

 人間の美醜なぞ気にしたことはなかったが、こいつが嬉しそうに俺の選んだ物で着飾ることは悪くない。


「供物を通して人間達の畏敬を食らい、俺は力を保っているし、力を増す。この屋敷は俺の力の一部だ。俺への畏敬が薄れればボロくなっちまうし、畏敬が強くなれば美しくなる」


 人間は愚かだ。恵みが無ければ敬いを失っていくし、ずっと良くしてやっても畏れを失う。

 本来の姿へ戻り、人里近くへ現れるのも、神主や巫女が嘆願に来られるように屋敷を構えているのも己のためだった。

 前世までの俺は、まさかここで人間の小娘をそいつが死ぬまで置いてやることになるなんて思っていなかったが。


「この国を生んだ神なんぞ、この山から海際の町まである大きな神殿に住んでいるそうだ」


「海とは、どのようなものなのですか?」


「ああ、お前の村は山に囲まれているから見たことが無いのか」


 前世では海に囲まれた島へこいつを置いてきたこともあったな。いつもより日にちはかかったが、結局ここへ戻ってきたが。

 今のタキは、海を知らない。


「大きな池みたいなものだ。そうだな……雪が止んだら連れて行ってやろう。冬の間ならここを少し離れたところで問題はない」


「雪は夜刀やと様の本来のお姿と同じ色なのでずっと降っていて欲しいと願っていましたが、止んで欲しいと初めて思いました」


「ああ、そうしておくれ」


 目を輝かせ、頬を赤く染めたタキは声を弾ませてそう言って、俺の胸に頭をとんと預けた。


「わたくしは、銀色の御髪が美しいこのお姿も好きですが大きな蛇の姿もお綺麗だと思っております」


 本来の姿を好きだと言う女を、俺はいつも不幸にする。

 水蓮も俺の姿を、俺の鱗をきれいだと撫でながらうっとりとした表情を浮かべていた。


「あいつと同じことを言うんだな」


「わたくし意外にも、夜刀やと様にそういってくれる方がいたのですね。気が合いそうです」


 自らの口を突いて出た言葉に一瞬ギョッとしたが、タキは気にしたそぶりもなく穏やかに笑うだけだった。

 彼女が、水蓮のことを……俺が初めて食らった相手のことを知れば前世のように俺に食われることにまた執着を示す気がして言い出す勇気が持てない。

 当時から顔見知りの僅かな妖怪あやかしくらいしか知らない話だ。誰にも話さない。

 ただ、今は、彼女との穏やかなひとときを壊したくないのだ。


 しんしんと降る雪のせいでやけに静かな中、火鉢から聞こえる炭の音とタキの息遣いだけを聞きながら俺は微睡みに身を任せた。

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