弐周目序――夜刀
「……」
否定も肯定もしないままの俺を見て、
はらりと落ちた襟巻きの羽根を長く細い指で摘まみ、くるくると回しながらもう一度こちらへ視線を投げた。
「一人の女のために人間を喰わぬ誓いをたてた哀れな蛇に、どんな心境の変化があったのか気になっただけじゃって」
悪気はない……のだろう。
タキを傷付けようとしたことも、
肉体を欠損したとしても、
「ただ、おぬしほどの
鋭いことを言う。
願いを叶えてやろうなどと言ってあいつを食ったが、ここまでの力を得られるとは自分自身でも思っていなかった。
「まためんどうなことを背負い込んだのかと笑いに来てやったんじゃ」
「正直なことを言えば、俺にもわからん。老いたタキを食ったら時が戻ったなんて信じられるか?」
こいつの見解は大きく間違ってはいない。口は軽いが、俺と積極的に仲違いするつもりがなければこちらにとって不都合な言説をばらまくような真似はしないだろう。
そう思って、俺は正直に自分が把握していることを伝える。
「荒唐無稽な話じゃが……、堅物のおぬしが言うなら信じてみようかのう」
白くて細い喉元をさらすように上を向いた
「それにしても、おぬしが人を喰らうなんてのう! 数百年も守っていたくだらん信念に勝つなんて大した人間じゃの」
身を乗り出した
畑の雑草を抜き終わったタキが腰を伸ばして天を仰いでいる姿が目に入る。こちらに気付かないまま、彼女は井戸にまで行き、桶に水を汲みはじめた。
「食らった魂が特別だったのか、それとも願いを叶えるという言葉が呪になったのか……気に掛かる話じゃな」
タキを見ている
「何が言いたい?」
「おぬしも気が付いているじゃろう? あの娘は普通とは違うと。性格ではなく、在り方が、のう」
「……性格では、なく、か? 多少丈夫だというのはわかるが」
首を傾げた俺を見て、
「はははは! 人間を守る為に縛られているというのに、人間のことに興味が無いのは相変わらずじゃのう!」
何も言い返せずにいると、羽織の内側からキセルを取りだして火を付けた
薄い胸が上下させ、唇の片側を持ち上げて紫煙を吹き出した
「興味深い物を見せて貰った礼じゃ。わしがあの娘について調べてやろう」
トントンとキセルの管を叩き、懸命に働くタキを横目に見ているあいつの瞳が妖しく光る。
「なにをするつもりだ?」
「わしの趣味は、悲恋の末に死んだ魂同士を飼うことじゃ。最近捕まえた
キセルの灰を籠の中へ落とすと、それに群がるように人魂が近寄り、もごもごと動いている。
しばらく、灰の近くで収縮や明滅を繰り返す人魂をまじまじと見ていると、籠が上へ持ち上がった。
「待て」
俺の制止の声も聞かず、ふわりと羽ばたくように羽織をはためかせながら庭へ降り立った
彼女の肩を叩き、何やら耳打ちをするのが見えた。少し驚いたように目を丸くしているタキを見て慌てて俺も庭へ出る。
タキに向かって人差し指を自分の唇に当てて微笑んだ
「次はその娘が作った食事を食べに来るとするかのう! ははは」
それだけ言い残し、雄牛ほどもある大きさの青鷺の姿に戻った
嵐のようなやつだ。
それよりも……。
「タキ、大丈夫か?」
少し呆けているタキの肩に両手を置く。
額に手を当てたり、見えている部分を凝視したりしたが、特に妖術や呪いをかけられた気配はない。
僅かに頬が赤いような気がするが、炎天下の元で作業に励んでいたからだろうか。
「あの」
「なんだ」
「先ほどの、鳥の神様から一枚の羽根をいただいたのと、それと」
タキが両手で大切そうに持っている青みを帯びた灰色の風切り羽には、妖気はあれど特別な術はかかっていないようだった。
念じればあいつのねぐらにいくことくらいは出来そうだが……タキがそんなことを望むはずもない。
「悪さをするような術はかかっていない。捨ててもいいし、しまっておいても問題はないだろう」
「あの
上目遣いでこちらをちらちらと見ながら、タキはそういった。
俺の名を知る者は
「あの」
「構わない」
それだけいって、俺は彼女に背を向ける。
名を呼ばれるくらいで、こんなに取り乱す自分が信じられない。たかが名だとタキに対して思っていたが、そうか、名を呼ばれるということは存外と喜ばしいことらしい。
「人里へ降りたときに便利だろう。もっと早く教えてやればよかったな」
「はい」
返事をしたタキがどんな表情を浮かべているのかわからなかった。しかし、その声は弾んでいたように思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます