弐周目序――夜刀

「……」


 否定も肯定もしないままの俺を見て、逢火オウビは「ふむ」と頷いてから、揃えて座っていた足を崩し、片膝を立てる。

 はらりと落ちた襟巻きの羽根を長く細い指で摘まみ、くるくると回しながらもう一度こちらへ視線を投げた。


「一人の女のために人間を喰わぬ誓いをたてた哀れな蛇に、どんな心境の変化があったのか気になっただけじゃって」


 悪気はない……のだろう。

 タキを傷付けようとしたことも、妖怪あやかしにとっては少しおどろかしてやろうという範疇はんちゅうだということも十分わかっている。

 肉体を欠損したとしても、妖怪おれたちは霊力さえあれば再生するもので、人間はそうではないという認識が薄い。俺も、そうだった。


「ただ、おぬしほどの妖怪あやかしが人間を食らっただけではそこまで力を蓄えられるはずがないと思ってのう。じゃから」


 鋭いことを言う。

 願いを叶えてやろうなどと言ってあいつを食ったが、ここまでの力を得られるとは自分自身でも思っていなかった。 


「まためんどうなことを背負い込んだのかと笑いに来てやったんじゃ」


「正直なことを言えば、俺にもわからん。老いたタキを食ったら時が戻ったなんて信じられるか?」


 こいつの見解は大きく間違ってはいない。口は軽いが、俺と積極的に仲違いするつもりがなければこちらにとって不都合な言説をばらまくような真似はしないだろう。

 そう思って、俺は正直に自分が把握していることを伝える。


「荒唐無稽な話じゃが……、堅物のおぬしが言うなら信じてみようかのう」


 白くて細い喉元をさらすように上を向いた逢火オウビは、カカカと愉快そうに笑う。それに呼応するように籠の中にある人魂もゆらゆらと揺れた。


「それにしても、おぬしが人を喰らうなんてのう! 数百年も守っていたくだらん信念に勝つなんて大した人間じゃの」


 身を乗り出した逢火オウビは、そういって人差し指で空を撫でるように動かす。動くのが面倒で妖術を使うなと呆れながら、閉じていた縁側の襖が開くのを見た。

 畑の雑草を抜き終わったタキが腰を伸ばして天を仰いでいる姿が目に入る。こちらに気付かないまま、彼女は井戸にまで行き、桶に水を汲みはじめた。


「食らった魂が特別だったのか、それとも願いを叶えるという言葉が呪になったのか……気に掛かる話じゃな」


 タキを見ている逢火オウビの目が細められる。


「何が言いたい?」


「おぬしも気が付いているじゃろう? あの娘は普通とは違うと。性格ではなく、在り方が、のう」


「……性格では、なく、か? 多少丈夫だというのはわかるが」


 首を傾げた俺を見て、逢火オウビは体を仰け反らせ、先ほどよりも大きな声で笑い出す。


「はははは! 人間を守る為に縛られているというのに、人間のことに興味が無いのは相変わらずじゃのう!」


 何も言い返せずにいると、羽織の内側からキセルを取りだして火を付けた逢火オウビがすうと煙を吸い込む。

 薄い胸が上下させ、唇の片側を持ち上げて紫煙を吹き出した逢火オウビは、にやりと笑みを浮かべた。


「興味深い物を見せて貰った礼じゃ。わしがあの娘について調べてやろう」


 トントンとキセルの管を叩き、懸命に働くタキを横目に見ているあいつの瞳が妖しく光る。


「なにをするつもりだ?」


「わしの趣味は、悲恋の末に死んだ魂同士を飼うことじゃ。最近捕まえたつがいを調べてみるくらいはしてやろうと思ってなぁ」


 逢火オウビは籠を持ち上げて、ゆらゆらと揺らしてみせる。食うわけではなかったのかと驚いたが、めんどうなので言及はしないが。

 キセルの灰を籠の中へ落とすと、それに群がるように人魂が近寄り、もごもごと動いている。

 しばらく、灰の近くで収縮や明滅を繰り返す人魂をまじまじと見ていると、籠が上へ持ち上がった。逢火オウビがおもむろに立ち上がったのだ。


「待て」


 俺の制止の声も聞かず、ふわりと羽ばたくように羽織をはためかせながら庭へ降り立った逢火オウビが軽い足取りでタキへ近付いていく。

 彼女の肩を叩き、何やら耳打ちをするのが見えた。少し驚いたように目を丸くしているタキを見て慌てて俺も庭へ出る。

 タキに向かって人差し指を自分の唇に当てて微笑んだ逢火オウビは、そのまま羽織を翻した。


「次はその娘が作った食事を食べに来るとするかのう! ははは」


 それだけ言い残し、雄牛ほどもある大きさの青鷺の姿に戻った逢火オウビは人魂の入った籠をくちばしに咥えて庭から飛び立った。

 嵐のようなやつだ。

 それよりも……。


「タキ、大丈夫か?」


 少し呆けているタキの肩に両手を置く。

 額に手を当てたり、見えている部分を凝視したりしたが、特に妖術や呪いをかけられた気配はない。

 僅かに頬が赤いような気がするが、炎天下の元で作業に励んでいたからだろうか。


「あの」


「なんだ」


「先ほどの、鳥の神様から一枚の羽根をいただいたのと、それと」


 タキが両手で大切そうに持っている青みを帯びた灰色の風切り羽には、妖気はあれど特別な術はかかっていないようだった。

 念じればあいつのねぐらにいくことくらいは出来そうだが……タキがそんなことを望むはずもない。


「悪さをするような術はかかっていない。捨ててもいいし、しまっておいても問題はないだろう」


「あの夜刀やと様……そう呼ぶと蛇神様が喜ぶとおっしゃっていたのですが……御無礼ではないでしょうか」


 上目遣いでこちらをちらちらと見ながら、タキはそういった。

 俺の名を知る者は妖怪あやかしの中でも多くない。人間でも、その名を呼んだのは最初に食ったあの娘だけだった。


「あの」


「構わない」


 それだけいって、俺は彼女に背を向ける。

 名を呼ばれるくらいで、こんなに取り乱す自分が信じられない。たかが名だとタキに対して思っていたが、そうか、名を呼ばれるということは存外と喜ばしいことらしい。


「人里へ降りたときに便利だろう。もっと早く教えてやればよかったな」


「はい」


 返事をしたタキがどんな表情を浮かべているのかわからなかった。しかし、その声は弾んでいたように思う。

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