弐周目序――逢火

逢火オウビ……俺は今、忙しい」


「わざわざヒトに近しい姿になっているということは……何かあるんじゃろ?」


 まったく面倒だ。

 青い炎がなにかを感じ取ったように震えたと思ったら、逢火オウビは黄色の瞳をギラつかせて喉の奥を鳴らすような笑い声を上げた。

 肩当りできれいに切りそろえられた黒髪を揺らしながら、目を細めているが目は笑っていない。


「……わしもこの辺りをねぐらにして長い。おぬしが供物を求める時期だというくらい知っているんじゃが」


 火を運ぶ鳥の妖怪あやかし。不吉な怪鳥。

 悲恋の末無くなった恋人たちの魂を集めるこいつを、人間共は「逢火オウビ」と名付けたのだという。

 こいつの本体は青鷺という首の長い鳥に近い姿なのに、わざわざ人間の姿で尋ねてきてなんのつもりだ。


「きゃ」


 門の前で押し問答をしていると、母屋から小さな声が聞こえた。

 銀色の光が障子から透けている。タキに何かあったら知らせるように鱗を持たせていたが、こんな早く役に立つことになるとは。


「やっぱり……わし以外の来客がいるようじゃな。しかも生娘ときたか」


 小さな犬歯を覗かせながら、今度は心の底から楽しそうに笑う逢火オウビを睨み付けて、俺は思わずこいつの胸ぐらを掴む。


「貴様……」


 しかし、動じた様子も見せず、逢火オウビは細い顎で母屋の方を指した。


「わしに構ってくれるのはいいが……おぬしの客人は人間じゃろう? 殺すつもりはないが、放っておかない方がいいと思うがのう」


 舌打ちをしながら、手を離してタキの元へ向かう。

 土間を慌てて駆け上がり、居間へ続く襖を開いた。


「あ、蛇神様。可愛らしい鳥さんがおうちに入ってきたと思ったら急に暴れて……何かが当たったのか、せっかくいただいた鱗がはじけてしまいまして」


 バタンと勢いの良い音を立てて襖が開いたからか、一瞬目を丸くして驚いたような表情を浮かべていたタキだったが、みるみるうちに申し訳なさそうな表情へ変わっていく。

 左手で鳥を抱えているタキは、もう片方の手に半分に割れた鱗を乗せて俺に差し出してきた。


「元々壊れるのが役目みたいなもんだ。気にしなくていい。それよりも」


 手を頬に当てる。それから特に乱れていない衣服をみて、傷がないことを確かめてから、タキが抱えている首長の鳥を睨み付ける。

 鴨と同じくらいの大きさしかなかった灰色の羽毛を持つ鳥は「ガァ!」と一声を上げてその場で両翼をはためかせると煙のように消えてしまった。


「腕か足の一本くらいはどうにかなるかと思ったんじゃが……丈夫なお嬢さんじゃのう」


「お前! よくも」


 いつのまにか背後にいた逢火オウビの胸ぐらを掴もうと伸ばした俺の手首をタキが握って止める。

 痛みは感じなかったが、思いの外強いタキの力に驚いて振り向くと、彼女は眉を八の字にして心配しているような表情を浮かべている。


「蛇神様……! わたくしはなんともありませんから」


「ひっひっひ。これはおぬしが手元に置きたいのもわかるのう。どうじゃ? わしのねぐらに鞍替えせんか?」


 逢火オウビはこういうやつだ。妖怪あやかしにしては穏やかなやつだが、時折悪ふざけがすぎるのが玉に瑕だ。

 体を滑らせるように俺の横をすり抜けた逢火オウビが勝手にタキの手を握った。


「……こいつは俺のものだ。余計なことをするな」


 目をぱちくりさせているタキの手から逢火オウビの白くて細い手を引き剥がしてから叩き落とすと、肩を揺らして「クック」と笑う。


「で、用件はなんだ」


「言ったじゃろう? おぬしが妙な気配を漂わせているから、気になったんじゃと」


「蛇神様に何か異変が?」


「……あんたは気にしなくてもいい」


 逢火オウビの話を聞いたタキが、急にぐいと身を乗り出してくるのを腕で制する。

 タキの前で本当のことを言うのも気が進まない。なんとか濁そうとするが、こいつに引き下がるつもりはないらしい。


「なあ、蛇神よ……。いや、今はこういった方が良いかのう。夜刀やとと」

 

「それが蛇神様の本当のお名前ですの?」


「知らなかったのか? そうじゃ。月夜に浮かび上がる刀のような銀の長い体が美しくて恐ろしいと、こやつが妖怪あやかしの時に人間たちがつけたのじゃよ」


「おい」


「蛇神様が、もともとは妖怪あやかし……だったんですか? では、どうして神様に」


「ああ、それはな」


逢火オウビ、黙れ」


 思いの外、低い声が出たなと自分でも驚く。

 名前の由来までは、タキが聞きたいのならば聞かせてやろうと思ったが、俺がどのようにして神になったかは、教えたくない。少なくとも、今は。

 喋りすぎたこと、そして俺が憤っていることはわかったのだろう。あいつにも、俺とやりあうつもりはないらしい。

 すんなりと引き下がったあいつは、ゆらゆらと手首にぶら下げた籠を撫でてタキから離れる。


「タキ、畑仕事を頼む。俺はこの腐れ縁の客人をもてなさなきゃならん」


「あ、ああ。はい」


 動揺をしているのか、口答えもせずにタキがいそいそと部屋を出て行く。

 以前のタキならば、俺がどのようにすごんで見せても「食ってくれ」と言っていたものだが。やはり何か変化があるらしい。


 タキの姿が見えなくなったのを横目で見てから、逢火オウビは手首にぶらさげている籠を抱えるようにして座った。

 若い男の姿をした妖怪あやかしは、細い首を傾げ、人間なら誰もが魅了されるのだとわかるような妖艶な笑みを浮かべる。


「のう、夜刀やと。おぬし、人間を喰ったな?」


 きれいにつりあげられた唇の両端から赤い舌を覗かせながら、あいつはそういった。

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