弐周目序――輪廻

「蛇神様! わたくし、今日こそ貴方様に食べて頂きたいのです」


 人間に近い姿に戻り、屋敷の中を歩いていると、俺が起きたことに気が付いたタキが足早に近付いて来てふすまを開くなりそういってきた。


「さて、塩漬けにしていたカブの具合はどうだ?」


「もう! ちゃんとお話を聞いてくださいませ! カブは今井戸水にさらしているところです」


 まともにとりあわずに、漬物の様子を尋ねると頬をふくらませて怒ったようなふりをしながらも、きちんと漬物の状態は教えてくれる。素直な人間だと笑いながら俺は土間へ向かう。

 土間から見える井戸の横に、中に薄く切られたカブは、竹で編まれたざるに入れられている。ザルは木桶に汲まれた井戸水にさらしているようだ。

 指で摘まんでカブを口に放り込むと、ほのかなカブ本来の甘みと共に塩の辛さが口に広がる。ポリポリと食感をひとしきり楽しんでから、隣で俺の顔をのぞきこんでいるタキに目を向けた。


「お前がいると人里に降りなくても漬物が食えるからな。助かる」


「あなた様のお役に立てるのはうれしいですが、それではいつまで経っても食べていただけないではないですか」


「ようやく気が付いたか。阿呆め」


 ほっとしたような表情を浮かべていたタキが頬を膨らませて眉をつり上げる。


「そうです! あの青くてきれいな火のわらしに漬物を作らせてはどうですか?」


 クックと肩を揺らして笑う俺を睨み付けていたが、ポンと手を打ったタキは思い出したようにそういった。


「アレにそんな上等な真似は出来ねえよ。道案内をしたり、人間をおどかしたりするのがせいぜいだ」


 俺はただの妖怪が力を付けただけの神だ。ちゃあんとした神様なら眷属もたくさんいて人間の殿様や貴族みたいに暮らしているらしいが、俺には生憎そのような力は無い。

 ……龍とやらになり、力も増した今ならそういうものを創り出せるのかもしれないが、今は必要だとは思わないから言わないでおこう。


「むぅ……それでは蛇神様に漬物の作り方も覚えて貰わなければなりませんね」


「どうにも俺には人間が食うものを作るのが苦手でな。失敗ばかりだからわざわざ人間に化けて里で調達してたんだ」


 腕組みをして真面目な顔をしているタキにそう返す。

 人間の食うものを作るのが苦手ってことは嘘ではない。

 何度か試してみたが、こいつが来て教えてくれるまで野菜もまともに育てられなかったし、漬物だってうまく漬けられなかった。

 供物に込められた信仰や畏怖というものを食らえば腹は満たせるし、山の獣を丸呑みにすれば食事は事足りるが、漬物というものに執着するのは別の理由がある。


「……ふふ。蛇神様にも苦手なことがあったのですね。でも、何故、漬物なんて好きなのです?」


 俺に続いて、漬けたカブを口に含んでもぐもぐと食べて、満足そうに頷いたタキは木皿に漬物を並べていく。

 そのまま炊いた穀物を茶碗に装い、茄子を入れた味噌汁をかき混ぜながら、なんでもないような風にそう尋ねてきた。


「……俺が、最初にもらった供物が漬物だったんだよ」


 言わないのも不自然だろう。嘘ではない。

 俺がまだちんけな妖怪あやかしだった頃、人間の娘が食わせてくれたんだ。

 あの頃は美味しいとも思わなかったが、それでも、あいつと俺を繋げる大切なものだった。


「……わたくしが漬物になれば、食べてくださりますか?」


「なんでそうなるんだ。まったく」


 じぃっと俺を見つめたタキがそんなことを言ってきたので、思わず目を逸らす。何故、人間の娘を供物にしたのか聞いてくると思ったのだが……。

 山の北側にある村……タキの故郷は、俺が初めて食らった人間の女がいた村だった。

 自分を食おうとした大蛇に対して「きれいで大きな蛇ですこと」と言ってのけたり、たまたま持っていた漬物を差し出してくるような変な女だった。


「だって、わたくしの願いはあなた様に食べて貰うことですから! 食べたくなるような体になってみせます」


 焼いた魚を皿に載せると、タキは俺に向かって胸を張ってそう言うと、いそいそと台盤に置く。

 どうやら食事の用意を終えたらしい。毛先を爪で切って息を吹きかけると青い炎で出来たわらしがふわりと姿を見せる。


「それよりも先に、あんたの叶えたい願いが変わるといいんだがなぁ」


 童が俺とタキの分の台盤をもちあげて土間から居間に持っていくのを見ながら、タキと並んで歩く。

 俺よりも頭一つ分ほど小さなタキは、麻か草で編んだ細い縄で豊かな黒髪を一つにまとめている。

 こんな小さな体だというのに、どうやって険しい山を数日で登り、森の獣にも襲われずに人里からここまで戻ってきたというのか……。

 こいつが人里に馴染めない理由や、供物に選ばれたことと関係があるのだろうか。

 向かい合わせに置かれた台盤にそれぞれ座り、朝餉を口に運びながら、そんなことを考える。

 俺は、こいつが一度死ぬまで共に時間を過ごしたが、こいつに関することを何も知らないんだと思い知る。

 もう少し興味を持ってやれば、もう少し踏み込んでやれば、あの時のタキは俺に真実を話せたのだろうか。

 過ぎたことはどうしようもない。ただ、恐らく次はないこの流転の生で後悔を少なくしよう。そう思う。


「そうだ。そろそろ冬になる。あんたはそれだと寒いだろう? 毛皮でもあつらえてやりたいんだが」


「毛皮なんて高価なもの! わたくしにはとても……」


 食事の手を止めて驚いたように上半身を仰け反らしたタキは、目を丸くして首を左右に振った。

 そういえば、前世のタキも毛皮をくれてやったら同じように驚いていたな。懐かしい。

 まあ、前世のタキは毛皮を取りに行くと俺が言うと、巨大な鹿の生皮を被って俺の口に目がけて突進してきたのだが……。


「……神のそばにいるあんたがみすぼらしくちゃあ俺が困るんだ。大人しくもらっておいてくれ。それに、俺が毛皮を捕ってくるから金の心配もしなくていい」


「……あなた様が、毛皮を」


 前世のタキと比べて、俺の話を捻じ曲げるようなことは減ったが、それでも同じ人間だ。発想は似通うらしい。

 なにやら閃いたというような雰囲気を察した俺は、碌なことをしそうにないこの娘に一言だけ忠告してやる。


「生皮を被って俺の口に入ってくるような真似はやめておけ。俺には山の出来事を見通す千里眼が宿ってる。全部お見通しだ」


「う……そ、そんなこと思ってないです」


「それならいいんだがな」


 気まずそうに顔を伏せて、手に持っている茶碗から穀物をかきこむように食べるタキを見る。

 前世でのタキは箸もろくにつかえないでいたのを思い出す。少し教えてやればこうやって人間らしく振る舞えるというのに、俺は関わるのを避けていたばかりに、あいつに人間でも獣でも妖怪でもない中途半端な生き方をさせてしまった。

 それでいて人里に行けなどと言っても、戻ってくるのは道理だったのだろう。


「……客人が来るようだな」


 タキに言った通り、俺はこの山に起きていることは大体把握することが出来る。

 人間みたいに小さな生き物が山菜を採ったり狩りをしに来たりすることが多いのでいちいち反応をしていられないが、それなりの力を持つ妖怪あやかしや神の類いがナワバリに入ってくればすぐに気が付く。

 知っていても知らない顔でも、妖怪あやかしや神の類いがナワバリに入って来るときは大体面倒なことが起こる。

 人間を家に置いてあるのならなおさらだ。


「これを持っておけ」


 俺が人間に近い姿でいるときは、耳の後ろに僅かに鱗が残っている。一枚を指で摘まんで勢い良くひっぺがし、血を拭ってからタキに手渡した。

 人差し指の先ほどしかない大きさだが、神隠しに遭ったり、食われそうになったりしたときに助けになるくらいの効力はあるだろう。

 不思議そうな表情を浮かべているタキを居間に置いたまま、俺は席を立つ。

 来訪者の気配は山の上空からまっすぐこの屋敷に向かってきている。

 これは知っている気配だが……なんの用だ。前世では姿を見せるなんてことなかったが……。


「やあやあやあ! おぬしの気配が妙で気になって来てみたんじゃが……ずいぶんと機嫌がよさそうじゃのう」


 青みを帯びた灰色の羽織を身に纏った黒髪の男は、ニタリと笑って俺を見た。

 首元に巻いている羽根で出来た襟巻きは、薄らと表面が光っている。

 これ見よがしに右手首にぶらさげている藤製の丸い籠にはゆらゆらと二つの人魂が揺蕩っていた。

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