Unconnected man

武石勝義@『神獣夢望伝』発売中!

Unconnected man

 世界が狭かった頃、人ひとりが繋がる他人は、ほんの数えるばかりだった。

 大昔の人は、そのほとんどが生まれてから死ぬまで、ひとところにとどまり続けた。そんな時代の人々にとっては、生まれ育った場所から踏み出すこと自体、人生における大イベントだ。一生ですれ違うだけでも良い、いったい自分以外のどれほどの他人を、その痕跡だけでも目にすることがあっただろう。彼らの間に築かれるのは、限られた人々たちによる、とてつもなく濃厚な繋がり。生き永らえるには、その繋がりに加わるしかない。繋がりから弾かれた者は、居場所を追われてのたれ死ぬのみ。

 世界が広がった今は、昔に比べれば暮らしやすくなったのだろうか。

 一生に出会う人の数は飛躍的に跳ね上がった。一方で他者との間に築かれる繋がりは当然希薄となった。四方八方に張り巡らされた無数の繋がりの一本一本はか細くて、力加減を間違えればあっという間にばちんと切れる。切れた繋がりは調整を誤ってはち切れたギターの弦に似て、容赦なく肌を打ちつける。時には切り刻み、血を滲ませる。

 今は誰もが十重二十重の繋がりに視界を遮られ、身体中はがんじがらめで身動きもままならない。

『PVがつかねえ』

『どうやったら私の描いた絵、見てもらえるのかなあ』

『チャンネル登録数を伸ばすコツ、教えます!』

 こうしてモニタ越しに数多の人々を眺める、自分を振り返るたびにそう思う。

 俺の目の前には、俺の住む街どころか日本中、いや世界中の人々たちが発信する様々な書き込み、記事、動画等が、俺の理解を超えたアルゴリズムに基づいてモニタ上に映し出されている。それらはどうやら俺のネット上の閲覧履歴に基づき、俺が好むであろう傾向をシミュレートして表示してくださっているらしい。ありがたいことだ。まったくありがたすぎて、モニタを拳で叩き割りたくなる。どれもこれもくだらない、承認欲求ばかりが目につく薄っぺらな内容ばかり。そんな表現すらも陳腐だ。こんなものをのべつまくなし発信し続ける、どいつもこいつも蛆虫以下の存在だと、罵ることに躊躇はない。連中だって、俺のことをそう思っているに決まってる。お前はこんな箸にも棒にもかからないものばかりしか興味を持たないのだろうと、アルゴリズム如きに見抜かれる程度の俺なのだから、お互いさまって奴だ。

 もういいじゃないか。どうして誰も彼も、他人に関わりたがる。繋がりを持とうとする。モニタから目を逸らせない自分を棚に上げてひとりごちながら、俺はテーブルの上の煙草に手を伸ばした。ヤニで黄ばんだ歯と歯の間に一本咥えて、ライターの火を点けようとしたら、ガス切れ間近なのか掠れた音ばかりが室内に響いた。何度か試してようやく灯った小さな火に、煙草の先をおずおずと差し出す。すうっと息を吸い続けながら、やがて端から覗く煙草の葉がちりちりと赤くなって、俺はようやくライターを放り投げた。

 肺いっぱいに吸い込んだ煙を、鼻腔から口から思い切り吐き出す。賃貸の部屋は天井も壁もきっと大量のヤニに塗れてるが、俺が引っ越してきた当初からあちこち汚れまくっていた部屋だ。どうせ大家も気づくまい。そもそも一階に暮らすはずの大家の顔を、もう何か月も見ていない。大家どころか、このアパートにはもう俺しか住人がいない。

 皆が感染症を恐れて、人口過密な都市部から逃げ出していた。

 爆発的な感染力と絶妙な致死率、そしていくらワクチンを作っても目まぐるしく変異し続ける感染症が地球上を覆い尽くして、既に何年が経つだろう。巷で持て囃されていたアイドルが命を落としたときは多くの哀悼の意が捧げられたが、すぐに著名人の死が相次いで報じられ、やがてそれすら日常になってしまうと誰も見向きもしなくなった。都市部は立て続けにロックダウンされたが、海外では封鎖されたまま住民が全滅した都市もあるとまことしやかに噂された。あらゆる産業が軒並み壊滅的な打撃を受けて、偉い連中がいくら頭を捻ってもろくに対策できなかった。世界中で不安が増して、あろうことか第三次大戦になりかねないという規模の戦争まで勃発した。

 感染症から身を守る最も確実な手段は、結局他人と物理的な距離を置く以外になかった。崩壊していく社会で生き延びるため、封鎖をすり抜けて都市から逃げ出す者が続出した。脱出組が疎開先で地元の人間と引き起こすトラブルが相次ぐ一方で、都市は急速にゴーストタウン化していった。

 無数の繋がりをあらゆる手練手管で捌き続け、我がものとしてきた連中が右往左往している。彼らが揃って転落していく様は、俺にとってこの上なく痛快だった。

 俺はこのアパートから一歩も外に出ていないから、感染症の嵐の中でも平気な顔を繕えた。仕事はとうの昔に失っていたが、ロックダウンが続く中、配給用の食糧を吊るしたドローンが定期的に現れるから、今でも食いつなげた。それもいつまで続くかわからないが、先のことなど考える気にはなれなかった。

 人と人との繋がりは、そろそろ途絶えるべきだ。俺は半ば本気でそう思っていた。

 人はどんどん多くの他者と繋がり続けて、ついに地球上を余すことなく繋げてしまった。一生かかって手繰ることもできようのない、人ひとりを包みこむ繋がりの数は膨大だ。だがその一本一本は大昔に世界が狭かった頃に比べれば、甚だ心許ない。繋がりを厭う俺にとっては、それこそが救いだった。

 今、俺の周りを取り巻く繋がりは、力を込めれば自ら引き千切ることができる。反動で己が傷つくことを恐れなければ、いつでも断ち切れるのだ。何本何百本と寸断しても、なお視界を覆い尽くす繋がりの多さには辟易する。だがかつて俺を縛り続けていた、自力ではどうしようもない頑丈な繋がりに比べれば、耐えられないこともない。

 なのにどうしてお前たちは、か細い繋がりを少しでも太くしようと足掻くのか。

『まだロックダウンに取り残されてる奴w』

『離島暮らしの俺、勝ち組』

『山形のお婆ちゃんとこに逃げたけど、友達に会えないから辛い』

『仲良かったフォロワーさんが、もう半年も音信不通で、心配です』

 モニタの向こうにいる人々に向かって、煙草の煙でも吹きつけられずにはいられない。

 ふうと息を吐き出そうとしたら、代わりに痰が喉に絡んで、肺の奥からごろごろと響くような咳が出た。何十秒かに渡る咳がようやく収まってから、俺は手の甲で口元を拭いつつ、マウスを動かしてメーラーを起動させた。新たにポップアップしたウィンドウの、一番上に表示された既読メールを開く。三日前に届いたそのメールは、田舎に暮らす母が感染症で死んだという、役所からの報せだった。既に何度も読み返したメールを、今また最初から最後まで舐めるように目を通す。母の名も、住所連絡先も間違いないことを確かめて、俺の顔はこれ以上ない至福の笑顔を浮かべていただろう。思わず口角を上げた弾みで、咥え煙草の灰がキーボードの上にこぼれたことも気づかなかった。

 俺の力では引き千切ることのできなかった太い繋がりが、不意に切れた。俺を虐げ、いたぶり、支配し続けてきた強力な繋がりから、ついに解放された。何年も前に家を逃げ出して、母のことはとっくに無いものとしてきたつもりだったのに、その死を知らされた瞬間に肺いっぱいに息が吸えるような思いに襲われた。あの女との繋がりは今の今まで俺の首に絡まり続けていたのだということを、改めて痛感した。メールの主旨は母の遺体の引き取りを求めるものだったが、俺は無視した。以後、役所からのメールをブロックするよう設定して、俺の世界にはついに平穏が訪れた。


 ***


 感染症に抗する手段がついに開発されたという。そのニュースを知ったのは、母の死から多分一年あまり経った頃だ。

『ワクチンってわけじゃないんでしょう?』

『ナノマシンっていう、目に見えないほど小さなロボットだな。そいつが体内で体調をチェックして、悪いところを見つけたら外部の医療AIネットワークと連絡を取って都度対処する』

『身体の中にロボットが入るのね。抵抗ないっていうと嘘になるなあ』

『症例の収集が飛躍的に向上するから、抜本的な特効薬の開発が期待できる。それに変異にも即座に対応できるようになる、らしいよ。適切な対症療法を取るだけでも随分と予後が違うし』

 ニュースを見ても俺にはよく意味がわからなかったし、ネット上の有象無象が語る知ったかぶりの解説も、正直眉唾だと思っていた。

 ただ、『外部と連絡を取る』という下りだけが、引っ掛かった。

 そのワクチンだかナノマシンだかを体内に取り入れたとしたら、俺の身体が常に外の連中に監視されるってことか。互いに距離を取り合うしかない今、幾重にも張り巡らされた繋がりはこの世から解消されつつある。母の呪縛も断たれて、ようやく俺にとって心休まる日々が訪れたというのに、なぜ新たに強力な繋がりを組み込む必要があるのか。それは俺が疎み続けてきた繋がりとは異なる、もっと物理的なものなのだろうが、俺にとっては『繋がり』に連なるという時点で生理的嫌悪の対象であった。

 胸糞悪い。俺はそんな怪しげなもの、絶対に拒否するぞ。煙の燻る煙草を片手にごほごほと咳き込みながら、俺は固く誓う。

 以来、俺はそのワクチン――実際にはワクチンではなく、もっと別の名称が与えられていたらしいが――に関連する話題から耳目を塞いだ。俺にとっては無数にある繋がりの一本を、また引き千切っただけに過ぎなかった。世間的に言えば主流に違いない話題から目を逸らしたことで、俺の元に届く情報の絶対量が減った。それがまたかえって居心地がよかった。俺は相変わらず俺ひとりしかいないアパートに居座り続けていたが、家賃を滞納し続けても督促するはずの大家とは最早連絡も取れなかった。ドローンによる食糧の配給は、毎日一回から週に一回へと頻度を落としていたが、ろくに身体を動かすことのない俺にはそれでも十分だった。ドローンが置いていった食糧を回収するついでに、コンビニに煙草を買いに出かける。それが俺にとっての唯一の外出の機会だった。

 外出時は、軍用と見紛うような、ゴーグルの付いたごついマスクを被った。アパートから最寄りのコンビニは、とっくの昔に閉店している。俺が煙草を買い出しに行くのは、駅前の少々規模の大きいコンビニだった。元から無人営業の店内は、棚にもほとんど品物が並んでいない。傍から見れば廃業した店と大差ないだろうが、どういうわけか俺の愛用する煙草だけは毎週一カートン補充されている。俺にとってはそれで十分だった。国が送りつけてきたIDカードには、未だに毎月律義に支給される生活保護費が電子マネーで溜め込まれている。俺はそいつで支払を済ませ、カートンを片手に店を出る。

 家路につこうと歩き出した俺の前に、立ちはだかる人影があった。

「タカハシ・ノボルさんですね?」

 それが自分の名前であるということに気づくのに、一瞬の間が必要だった。本名で呼ばれること自体、あまりにも久しぶりのことだった。

 それ以上に、リアルの人間とこうして向き合ったのが、何年前のことだか思い出せなかった。しかも俺のようにガスマスクどころか口元を隠すようなマスクもしていない、素顔をさらけ出した妙齢の女性となれば、なおさらだ。

「あ、あ……」

 何か言おうとして、口から漏れ出たのは声にならない掠れ声だけだった。思えば何年も声を発していない。俺の喉と舌が発声方法を忘れていたとしても仕方がなかった。

「良かった、ようやく会うことができました。私は政府の感染症対策委員会の者です。タカハシさんに抗ウイルス処方を勧めに参りました」

 たすき掛けにした肩紐の先に、小さなクーラーボックスのような鞄を引っ提げた女は、俺がモニタ上でしか見たことがないような眩しい笑顔を浮かべている。彼女の言葉を聞いて俺が取れるリアクションといえば、せいぜい徘徊中の痴呆老人と大差ない。あうあうという声にならない声を発しながら、そんな俺にも彼女の言うところの意味は理解できた

 つまりこいつは、俺に新たな繋がりを強いようというのだ。だとすれば、俺の取るべき行動はひとつしかなかった。

「待って!」

 背中に女の声を受けながら、俺はその場から逃げ出した。

 何年かぶりの全力疾走に、あっという間に身体中のあちこちが悲鳴を上げる。肺の奥がきりきりと痛む。喉の奥からまた痰の絡んだ咳が込み上げて、俺は被ったままのマスクの内に鼻水とくしゃみを巻き散らした。目倉滅法、しゃにむに街中を走り回る。そもそもアパートと逆方向に駆け出してしまったから、逃げる先の当てなどあるはずもない。ただ彼女が勧めるものが、俺にとっては不吉極まりないものだという直感があった。直観に従って生きてきた結果がこのざまだというのに、俺は今でも俺の直感以外に信じられるものが無かった。げひげひと咳き込みながら、人っ子一人いない街中を走り続ける内に、やがて両足がもつれてアスファルトの上にもんどりうつ。あちこちを擦りむいた痛みに顔を歪ませて、それでも立ち上がろうとした俺の目は、こちらに近づいてくる今ひとりの人影を捉えていた。

「どうか逃げないでください、タカハシさん。私たちはあなたを助けに来たんです」

 そう言って膝をつきながら俺に手を差し伸べてきたのは、爽やかという言い回しが良く似合う青年だった。マスクをつけない端正な面持ちに張りついた笑顔は、先ほどの女にそっくりだ。その手は俺と繋がろうという積極的な意思表示に見えて、つまり俺にとってはこの上なく汚らわしいものでしかなかった。

「ほ、ほっどいで、ぐれ」

 俺がなんとか舌を動かして拒絶を口にすると、青年は困ったように形のよい眉をひそめた。

「放っておけませんよ。その咳は、もしかして感染症じゃないですか? だとしたらなおさらです。治療可能な患者を、我々は見過ごすことなんてできません」

 感染症など関係ない。長年の喫煙で痛めつけられた身体が、急な運動についていけないだけだ。そう言い返そうとしたが、まだ長い台詞を口にするには、舌のリハビリが不足らしい。代わりに俺は、二言三言で済む問いを口にした。

「……お前、どうして、ここに」

 どうしてお前は、俺がここに逃げ込むとわかったのだ。

 マスクに嵌め込まれたゴーグル越しに周囲を見渡せば、長年この街に居座り続ける俺も初めて見る、工場らしき建物に囲まれている。元々街中に何があるかなんて関心もなかったから、こんなものが近所にあることも知らなかった。出鱈目に逃げ回っていたのだから、それ自体に不思議はない。

 ただ目の前の男は、俺が逃げるその先から現れた。まるで、俺がここに逃げ込むことをわかっていたかのように。

 まさか俺を捕まえるために、ドローンで見張っていたわけでもあるまい。ただでさえ冴えない脳味噌が、追い詰められ一向に働かない。俺の頭の中で嫌な予感ばかりが募る内に、今度は背後から声がした。

「私が追いかけてたからですよ。タカハシさん、運動不足じゃないですか。私の足でも十分追いつけました」

 振り返った先には、先ほどの女が肩で息をしながら、にもかかわらず笑顔を浮かべていた。警戒されないためなのだろうが、裏の無い笑顔を目の当たりにして俺が感じたのは、むしろぞくりとする何ものかだった。

「あ、あんたが追いかけたからって、なんでこいつが、ここに」

「いつまでも追いかけっこするわけにもいかないじゃないですか。だからタカハシさんの近くにいた彼に来てもらったんです。でも結果的にタカハシさんに怪我させてしまい、その点は申し訳ありません」

 なるほど、彼女はたまたま俺の逃げる先にいた彼に頼んで、俺を挟み撃ちにしたというわけか。なんてわかりやすい答えなんだと、簡単に納得するほど阿呆だと思われているのだろうか。そんなにあっさりと他人の言うことを信じ込めるなら、きっと俺はもっと違う人生を送っていただろう。この先に開ける未来も違って見えたのだろう。

 だが残念ながら、その程度の説明を鵜呑みにできるほど、俺は能天気ではなかった。考えなしにもなれなかった。こうして考え込んでしまうから、俺は都合の悪いものから目を背け続けてきたというのに。手足にまとわりつく繋がりを振り切ってきたというのに。俺に対して一方的に繋がろうとしてくるこいつらは、その存在自体が、悪い予感が的中しているだろうことを物語っていた。

「お前ら、どうやって連絡とったんだ」

 ようやく滑らかになった舌で、目の前の男女に尋ねた。すると二人は、一瞬言葉に詰まったかのように口を噤んだ。

 間を置かず、俺はさらに問う。

「もしかして、お前ら、初対面なんだろ。なあ、そうなんだろう」

「あの、タカハシさん、落ち着いて」

 女は両手を上げて、なだめるような仕草を見せる。彼女の態度はかえって、俺の憶測が正しいことを確信させた。

「やっぱりそうか。お前ら、繋がってるんだな。あのワクチンだかのニュースを聞いたとき、もしかしたらこうなるんじゃないかって思ってたんだ。体内にロボットを取り込んだお前らは、人間同士で直接連絡を取れるようになったんだ。もしかしてワクチンを打った奴らは、世界中のどこにいてもみんな繋がってるのか」

「タカハシさん、ワクチンというのは正確じゃ――」

「そんなことはどうだっていいんだよ!」

 目の前に伸ばされた女の手を、俺は力いっぱいに叩き落とした。顔をしかめる女を見て、男が慌てて側に駆け寄る。労わり合う二人を見ても、俺の胸中には何の感慨もわかない。それどころか目の前のこいつらは、ただ人間の形をしただけの、エイリアンか何かにしか見えなかった。

「そんな繋がり、俺には気色悪いだけだ。頼むから俺に構うな。放っといてくれ」


 ***


 俺が世間の動向に目を瞑っている間に、世の中は俺の想像以上に変化していた。

 例のワクチンもどきを接種した連中は、今や全世界の七割以上に達するという。つまりそれだけの人々が、ネットワークを通じて直接コミュニケーションを取ることができる――当人たちは精神感応的な《繋がり》とほざいているらしい――ことを意味していた。《繋がり》から外れるものは最早少数派で、それも単にまだワクチンもどきが行き渡っていないだけというケースが大半だという。俺のように接種を拒否する者は、さらに限られた存在ということだ。

 世間の連中がやたらと繋がりたがることは、頭ではわかっていた。だが感染症のせいで物理的に距離を置かざるを得なくなれば、いずれ今までの過熱ぶりこそが異常だったと、皆が気づくようになる。そんな淡い期待は、現実を知らない阿呆の妄想に過ぎなかった。どんな環境に合っても周囲と繋がろうとする、人間の欲望を押しとどめることなど不可能だった。驚異的な感染症に抗すべく、人類はついに距離を隔てて《繋がる》手段を編み出したのだ。《繋がり》に加わろうとしない俺は、気がつけば表から追いやられて、いずれは滅びゆく過去の人類に成り下がっていた。

 今はもう、《繋がり》に浴した連中こそが人類のスタンダードだ。だがあいつらは、俺に言わせれば何もわかっちゃいない。この世が繋がりだらけであることに気づかず、無意識にその繋がりをぶった切りまくって全身が傷だらけでいることにも鈍感で、一方ではもっと強固で頑丈な繋がりを欲する。

 俺が全ての繋がりを断ち切って、たったひとり孤独に生きているとでも見えるのか。だとしたらその目は節穴としか言いようがない。俺を虐待し続けてきた親という繋がりが無ければ、俺はこうして生まれてこなかった。とっくの昔に逃げ出した大家という繋がりが無ければ、このボロアパートで今もこうして暮らすことはできなかった。顔も知らない行政という繋がりが無ければ、食糧も配給されずにとうの昔に飢え死にしていた。モニタの向こうに広がるネットという繋がりが無ければ、玉石混淆な情報の中から《繋がり》に関する実態を知ることもなかった。

 繋がりが無ければ生きていけないことぐらい、俺にだってわかっているんだ。ただこれ以上繋がろうとしたら、窒息してしまう。そういう人種がいることを、《繋がった》人々は理解していない。理解できないのだろう。理解できないでいいんだ。他人同士、理解できるなんておこがましい。理解できないから、他人でいる意味があるんじゃないか。他人なのに百パーセント理解できるというなら、それはもう他人でいる必要がない。あいつらは他人のままでいたいと思わないのか。理解できない他人同士の間に築かれる関係性、そこに意味があるんだと思っていた。直接《繋がる》なんて、いずれ他人との区別が無くなって、一緒くたになってしまう。人類という巨大な一匹の、単なる細胞のひとつになることが、奴らの望みなのか。

 俺にはもう理解できない。理解できないのが当たり前だ。ただひとつだけ理解できるのは、俺はもうこれ以上生きられないということだ。あの男女に会った翌日から、咳が止まらない。高熱が収まらない。下痢が止まらないし、飯も喉を通らない。きっとあいつらから伝染ったんだ。あいつらはとっくに感染症に免疫があったんだろうけど、あいにく俺はひとりで引きこもり続けてきた、免疫なんてあるわけがない。

 だがもう、それでいい。《繋がり》の下にひとつになったあいつらが、きっとこの先の新しい人類という顔をしてのさばり続けていくのだろう。俺にしてみればあいつらはもう人類でもなんでもないが、そんなことはもうどうでもいい。あんな《繋がり》が蔓延る世の中で生きていくことなど、俺にはとてもできない。俺たちがくたばった後に、勝手に人類を名乗ればいい。ただこうして滅んでいく、いずれは忘れ去られていく側の人類として、せめてネット上に吐き出しておく。《繋がった》連中にはきっと理解できない、最後のひと言を書き記しておこう。真の人類の、末期のひと言だ。意味がわからないとか言って、削除したりするんじゃねえぞ。

 俺は震える指先で、キーボードをひとつずつ、ゆっくりと叩く。短い文章を打つにももう、ほとんど力が残っていない。全身全霊を込めて打ち込んだ文字から成る、モニタの片隅に小さく羅列されたひと言は、こうだ。

 そうして人類は永遠の眠りについた。

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