記録採掘者

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記録採掘者

 そうして人類は永遠の眠りについた。


 ――ええ、これでお終い? ――


 それまで耳を傾け続けてきた低い声が、とうとう結びらしき一言を口にしたので、ディーパは愕然とした。

 肌に吹きつける寒風や、砂埃のざらつき具合を我慢しながら、ディーパは曇天の荒野を映し出す仮想現実の中に二時間近くも佇み続けていた。五感に直接訴えるしかない情報媒体メディアからの情報摂取は旧態依然として、彼女にとって苦痛以外の何物でもなかった。だというのに体感できたものといえば、茫漠とした風景以外には、人類の終焉を滔々と語り続ける声ばかりということになってしまう。

 ディーパの戸惑いに構わず、仮想現実の中に流れる声は、閲覧者に対して語りかけながら締め括ろうとしていた。


 この記録を目にするあなたは、もはや人類に出会うことはないだろう。だけどどうか覚えておいて欲しい。かつてこの星の支配者の如く振る舞った、人類という種族がいたことを。


 ――いやいや、ちょっと待ってよ――


 人類のひとりひとりはか弱くとも、その叡智を互いに持ち寄ることで、この星に存在するあらゆる有機生命体の頂点に立った――少なくともそう自負していた。それがどれほど浅はかで愚かな認識だったか。そのことに気づいたときには、既に手遅れだった。


 ――手遅れって、そう思い込むのはあんたの勝手だけど――


 その頃にはもう人類は全てに絶望して、残された手段は自ら永遠の眠りにつくほかなかったのだ。


 ――だから、勝手に人類を滅ぼすなっていうの! ――


 どこからともなく聞こえる声の主は、仮想現実の中に姿を現さない。話者がどんな人物だか、ディーパは知らない。だがこれほど鬱々と喋り続けられるなんて、記録中の顔はよほど陰気だったに違いない。

 眠りについた人々が残した記録を探るという、『記録掘り』の仕事の必要性は理解しているつもりだ。だが映像にはなんの捻りもなく、ひたすら声が響き渡るのみというケースは初めてで、ディーパの我慢も限界を迎えつつあった。これ以上荒涼とした仮想現実に浸っていたらディーパ自身も気が滅入って、仲間たちに伝染してしまうではないか。

 耐えきれず、ディーパはとうとう仮想現実を中断した。大きくため息を吐き出す彼女の脳裏に、様々な声が届く。


(ディーパ、そう興奮しないで)

(だいたい予想の範疇じゃないか)

(彼らの記録が悲愴なのは、今に始まったことじゃない)


 仲間たちの声になだめられても、ディーパには記録主への同情は湧かなかった。何より人類が滅亡したと嘆き続ける、語りの内容に納得がいかなかった。


 ――じゃあ、こうしてあんたの嘆きに耳を傾け続けている、私はいったいなんだっていうのさ――


 ディーパは目が三つあるわけでも、手が四本あるわけでも、えら呼吸するわけでもない。全てに絶望して冬眠装置に籠もった彼らと、彼らの記録を閲覧する自分と、どこに違いがあるというのか。

 なのに彼らは、ディーパたちを人類と認めようとしない。


(仕方ないさ)

(だってそれまでの人類は、《繫がる》ことなしに過ごせてきたんだから)

(《繋がり》を恐れたからといって、彼らは責められないよ)

(危機を乗り越える手段だとしても、それを受け容れられない人々が一定数存在した、最後の時代だ)


 ――《繫がらない》なんてこと、そっちの方が私には信じられない――


 ディーパは生まれたときから《繫がって》育った。だから《繋がり》がない状態が有り得ることを実感できない。

《繋がり》が当たり前になる以前に生まれた仲間もいるのだから、その記憶からたどることはできる。だけどその生活は知れば知るほどに不便であり、それ以上に不安しか感じない。


(私だって、《繋がらない》とか考えられないよ)

(みんなそうだ。お前の不安は全員が共有してる)

(《繫がる》以前に戻りたいなんて奴は、どこにもいないさ)


 全ての感覚を、感情を、思考を、記憶を、全員が互いに触れ合う。そこに時間や距離の制約はない。だから生まれてから一度も仲間の姿を目にしたことがないディーパは、孤独というものを感じたことがなかった。五感を超えた思念の交流は、直接見聞きしたり触れたりする以上に、彼女にとっては常に仲間たちに囲まれていることと変わりない。周囲にはディーパの成長をサポートする機械に溢れていたから、彼女は今の今まで心身共に健康そのものだ。


(私も、直に人と会ったことは今まで三度しかないよ)

(なにしろ急激な人口抑制中だからな。ディーパみたいに偏る地域も結構多い)

(目標の二十億人まで減らすには、あと一世紀以上かかるんだっけ)

(ひとり当たりに十分な資源の確保を考えると、それでも最低限なんだろう)

(《繋がり》を維持する機械は、とにかくエネルギーを食うからね)

(飢えも戦争もない世の中との引き換えだ。誰も文句はないさ)


 各々の思念はときに融合し、ときに相容れない。だが一瞬の間に交わされる数え切れないほどの思念の交換を経て、全員の言動はやがて一定の方向に集束していく。《繋がり》が地球上の全ての人間に行き渡った今、有史以来初めて世界から争いが根絶された。それは《繫がる》以前の過去をどれほど美化しようとも覆しようのない実績であると、皆がそう確信している。

 もちろんディーパも、《繋がり》は必要不可欠であると信じて疑わない。


 ――なのに彼らは、いったい《繋がり》の何を恐れたんだろう――


 停止した仮想現実の中で佇んでいるディーパは、実際にはヘルメット型ビュアーを被ってソファベッドに横たわっている。そこは人里から隔絶した山奥に建てられた、木造風の小屋の一室だ。木造風といっても屋内は快適装備が整って、地下には地上に倍する空間に備蓄がまだ十分残っていた。きっと二人で過ごす分には、十年以上耐えられただろう。備蓄倉庫以外にも様々な設備が設けられて、ディーパが仮想現実を視聴しているのはその一室である。

 そして彼女のいる部屋の奥には、ことさら厳重にロックされた部屋があった。

 ドアには小さく『冬眠室』と銘打たれている。

 部屋の中にはその名の通り、冬眠装置が据え置かれているのであろう。室内で自ら永遠の眠りについたのは、ディーパが耳にしている暗い声の持ち主と、そして彼の伴侶だろうか。それとも子供だろうか。

 かつて全世界を襲った未知の感染症は、人類の在り方を一変させた。驚異的な感染力と絶妙な致死率を備えたウイルスに対して、当時の人々には為す術もなかった。彼らが取り得る手段といえば、感染者を隔離することから始まって、やがて未感染者は進んで感染者たちから離れることしかなかった。

 群れを成す――そこから生まれるものこそが人類の最大の強みであったのに、人類は他人と距離を保つことを強いられた。群れの形成は物理的に不可能になってしまったのだ。

 人類社会の在り方を破壊しようというウイルスに抗すべく、試行錯誤を重ねた末に編み出されたのが、《繋がり》であった。


(《繫がった》といって、根本的にはそれまでと変わりはないんだ)

(ただ集合知がもたらす成果が、格段に効率化されただけなんだけどね)

(昔はそもそも知識を擦り合わせるにも不便が多かったから)


 ――そのおかげでウイルスの特効薬も作られたっていうし、私たちにはいいことばかりにしか思えないんだけどなあ――


 ディーパの疑問に応じたのは、年老いた仲間の声だった。


(ハジメの記憶を思い出そう。《繋がり》を拒み、永遠の眠りについた人々の心情を、彼はよく知っている)


《繋がった》人々の記憶は機械に蓄積されて、時を経てからも自由にアクセスできる。今現在のみならず、過去の知識も色褪せず失われないのは、《繋がり》の持つ特性のひとつだ。集合知をより高めるために、《繫がった》人々が過去の鮮明な記憶を積極的にたぐることは、ありふれた行為であった。

 ハジメはこの世に生を受けた瞬間から《繫がって》いた、世界で最初の人類だ。彼の記憶は生まれながらに《繫がった》人が得た最初の経験ということもあり、最も多くの仲間たちに共有されている。

 ディーパはまだ、ハジメの記憶に触れたことがなかった。直接触れずとも、触れた経験のある仲間伝いに概ねを把握していたつもりになっていた。だが彼女は老いた仲間の声に従って、初めてその記憶に直接触れた。

 彼女が手を伸ばしたのは、かつてハジメが《繫がらない》人と接した記憶の一部であった。


 互いの思考も感覚も共有するなんて、僕にはとても耐えられない。そんな状態のままで平気でいられること自体、お前らがヒトモドキである証拠だ!


 ――ヒトモドキとか、ひどい言われようだ――


 痛罵を浴びた、ハジメの動揺がディーパの胸を締めつける。同時になぜわかってもらえないのかという、やりきれなさに心乱される。それは程度の違いこそあれど、仮想現実に響く声を聞いた彼女が抱いたそれと、同じ想いであった。

《繫がらない》人々とは、それほど他人の思念を突きつけられることが不快なのか。それとも己の内実が赤裸々になることに耐えられなかったのか。いずれもディーパには納得しがたい感性だ。

 結局彼らの考えを理解することはできないのか。だがディーパが諦めるより早く、ハジメの記憶は新たな言葉にたどりついた。


 私とあなたはわかり合えない。だからこそ私は、あなたを心の底から愛することができました。


 ――わかり合えないのに愛するなんて――


 それはハジメに遺されたメッセージの一文だった。

 メッセージをしたためた筆者は既に亡く、ハジメは彼女が綴った文章に目を通しながら、胸の奥から熱いものが込み上げるのを感じている。『わかり合えない』という言葉はネガティブな意味合いを示すはずなのに、彼女の言葉には深い愛情がこめられていることが、ディーパにもわかった。

 ハジメにとって大切な家族であった彼女は、《繫がらぬ》まま亡くなってしまったが、それは決して生まれながらに《繫がった》ハジメを忌み嫌ったからではなかった。それどころか彼女は、ハジメを愛する心が失われるかもしれないと恐れて、かえって《繫がろう》とはしなかった。

 少なくともハジメはそう考えていた。


 人は互いにわからないからこそ、相手に対して関心を抱く。興味を持つ。突き詰めればそこから愛情や友情親愛から嫌悪侮蔑といった、正負様々な想いを生み出していきます。その全てが人にとっては不可欠なものだと私は考えています。


 ――……――


(わからないからこそ、知りたくなる)

(全部わかってたら、あえて知ろうと思いようがない。必要がない)

(そんな考え方もあるんだよなあ)

(ハジメが彼女のメッセージに感銘して、私たちもその考えに共感して、だからこうして眠りについた人たちの記録を探っているんだよ)

(ディーパだってわかってるよね)


 仲間たちの声が脳裏に響いて、ディーパも彼らの思念に寄り添っていく。そんなことないよ、わからない奴のことなんか放っておけばいい。彼女はそう言い返すつもりでいたのに、なぜだか意思表示できなかった。仲間たちの多数の声に流されてしまったのだと、そう思い込むこともできなかった。


(だって私たちの中で記録掘りに一番熱心なのは、ディーパなんだから)


 仲間の一言は正鵠を射て、ディーパはその通りであることを自覚するほかなかった。

《繋がり》がこの星の全土を覆い尽くしていくにつれて、彼らは感染症を避ける以上に逃げ惑い、姿を隠していった。彼らにとって《繫がる》人々は、もはや同類ではない、人類を浸食するヒトモドキだったのだろう。

 やがて永遠の眠りにつくほど、彼らはどうして私たちを恐れたのか。思念を直接交換しない、個人の身体に閉じ込められた精神とは、それほど神聖不可侵なものなのか。その感性を理解したくて、ディーパは記録掘りを続けているのだ。

 ヘルメット型ビュアーを被った頭を軽く振って、ディーパは再び仮想現実の記録を再生させた。


 最後にひとつ、あなたにお願いがある。


 ――ここまで貶とした相手に向かってお願いとは、脳天気だこと――


 荒野しか映し出すことのない声の主に毒づきながら、それでもディーパは彼が何を言い出すのかだけでも聞き届けることにした。


 あの恐るべき《繋がり》が未だ解かれていないなら、私たちを呼び覚まそうとはしないで欲しい。人と人が《繫がる》ことを、私は今さら否定しない。ただ私たちはその《繋がり》の外に在り続けたい、それだけなのだ。理解し合えないなら近づかない、それがお互いにとって最善だと、私は信じている。どうか私たちの最後の望みを聞き入れてくれることを、切に願う。


 ――安心しなよ、《繫がらぬ》人。あんたたちはそのまま永遠に眠っていい――


 ヘルメット型ビュアーを外して、ディーパは軽く頭を振った。さすがに二時間以上も仮想現実に入り浸り続けるのは、体力が要った。ふうと小さく息を吐き出して、彼女がゆっくりと視線を向けた先には、『冬眠室』の名前が刻まれたドアがある。

 その中に、ディーパはあえて踏み入ろうとはしなかった。

 この小屋の電源が、既に数年前に途絶えていることは確認済みだった。ビュアーを動かしたのは、彼女が持ち込んだ携帯用電源だ。全ての電源が死んで真っ暗だった小屋の中で、ディーパは眠りについた人々が遺した情報媒体メディアと、稼働していない冬眠室を見つけたのだ。

 今さら中に踏み込んでも、中にあるのは冬眠用カプセルの中に収まった、骨と皮ばかりにミイラ化した遺体だろう。目当ての記録掘りは果たしたのだ。せめてこれ以上墓荒しにならない程度の分別は、ディーパも持ち合わせていた。


 ――この小屋は、理解できないものをそのまま放ったらかしにした、愚か者の墓標だ。あんたたちは、せめて私たちを知ろうと、一歩でも足を踏み出すべきだった――


(ディーパは容赦がないね)

(まあ、それが彼らの選択の結果なんだから、仕方なし)


 仲間たちも、誰もディーパを咎めはしない。皆、同じ思いを抱いているのだ。


 ――いつまでもひとところにとどまっていられないよ。まだまだ眠りについた人たちの記録はあちこちにある。全て掘り尽くすまでは、私はあいつらを理解することを諦めない――


 未知を知るために、前に進む。だからこそ私たち新たな人類は、彼らの後に立つことができた。

 永遠の眠りなど、今の私たちには不要だ。

 ビュアーをソファベッドの上に投げ出して、そのまま大股で部屋を出るディーパが、背後を振り返ることはなかった。

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