アキレスと亀のおじいさんの大きな古時計

霞 茶花

第1話


「きっと、儂が死ぬときは、この時計が止まる時なんじゃ」

 安楽椅子に老体を預けた老人は、時計の整備に来た青年に向かって静かに語りだした。


 昼下がりの陽光が温かく迎える、木造りの家の書斎の中。整然と、どこか上品に並べられた本と共に、かの時計は穏やかに佇んでいた。枠組みに繊細な模様を浮かべた、成人の背程のアンティーク調の大きな古時計。持ち主の丁寧さを如実に語る、埃被らず丁寧に磨かれ、艶を帯びた荘厳たる胴体に、硝子のむこうで静止する飴色の振り子。

 時を刻めば穏やかに、それでいてどこか軽やかな秒針の律動と、聞く者を諭し導く老紳士のような重々しい音色を紡ぐのだろう。


 しかし、今は整備中。針は動かず鐘も鳴らない。時折聞こえる鳥のさえずりと、二人分の吐息、時計を診るカチャカチャとした軽い作業音の沈黙だけが部屋を満たしていた。


「どうしてそうお思いに?」

 作業の手を止めず、時計に向き合ったまま青年は訊ねた。

「この時計は、儂が生まれた時に、大おば様がくださった時計でのう。わしの傍にずっと居た、今となってはただ一人の友なのじゃ。だから、儂にはわかる。可笑しな話に聞こえるかもしれん。けれど、本当に、そう思えてしまうのじゃ……」

 老人は少し寂し気に、小さく答えた。

 明るい声音で、青年がさらに声を掛ける。

「あんまり心配しなくていいですよ。こいつ、まだまだ元気です。確かに鈍くなってるみたいだけど、異常はない」

 整備を終えた青年が、茶化すように時計を指で軽く突いた。すると、それが合図であったかのように、時計は時を刻みだす。

 せっかちな秒針が、チクタクと陽気に律動している。ぐるりと回れば分針が、続いて時針が、小人の太鼓のように、そして重厚な音を響かせて、時を告げるのだ。


「ああ、いつもありがとう。これからも、儂とこいつが止まるまで、よろしく頼むよ」

 老人はそう言って、身をゆったりと安楽椅子に沈めこませた。

 穏やかな時が、チクタクチクタク流れてゆく。











 整備の帰り道。ふと、青年が呟いた。

「でも、あの時計、確かに遅くはなってるけど、止まる気配はないんだよなあ」

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アキレスと亀のおじいさんの大きな古時計 霞 茶花 @sakushahosigumo

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