最終話 笑顔の向こう

「いよいよだな」


 チェアに腰掛けた俺はデスクトップに目を凝らした。


 テレサの二度目の配信が始まるまでもう間もなくだ。


 テレサの身バレ騒動から一ヵ月が経過した。


 当時はリアルもネットもお祭り騒ぎだったが、俺たちは沈黙を維持することで事態が鎮静化するのを待った。


 テレサは罪を犯したわけでもなければ、不謹慎な行動や発言をして炎上したわけでもない。顔バレはただの放送事故だった。そう見せかけて注目を集めようとする者もいるが、テレサは機械音痴によるヘマをかましただけに過ぎない。


 テレサの活動は趣味も同然であり、企業や関係者各位への配慮を必要としない個人勢だ。伝説の子役と言っても引退して随分時間が経っている。今回の一件は失態と言うほどのことではなく、公的な謝罪や釈明をしなければならないほどの責任的な立場もない。黙っていてもどうこう言われる筋合いはないのだ。


 加えて、V界隈ではVtuberと前世は分けて考えられている。前世が何であろうと、当人が公言しない限りは暗黙の了解として公には言及しない。世界的有名人が界隈に出現したことで興奮していたリスナーたちも、さすがは訓練を受けてきただけあると言うべきか、俺たちの沈黙を見るや温かい目で成り行きを見守るようになった。


 一ヵ月も経過すれば世間の関心は移り行く。


 早くもテレサの一件も過去のものとなったのだ。


 今なら密かに復帰しても以前のような騒ぎにはならないはずだ。俺はテレサにその旨を伝え、今日この日より配信を再開することにしたのだ。


「あの時はどうなるかと思ったけど、何だかんだで何とかなったね」


 隣に立っている梓が言った。梓は大量に届いたテレサに関する質問には一切反応を見せず、普段通りの振る舞いに徹し、騒動を乗り越えた。初めは無視を決め込んでいることに不満の声を上げる者もいたが、訓練された梓のファンたちが中世の騎士のように盾となり、梓を守ったそうだ。


 編集者にもテレサには取り次がないと意思を表明したそうだ。梓は一度やると言ったらやる意志の強さを持っている。こうなると誰にも動かすことはできない。編集者もこのチャンスを逃すまいと食い下がったそうだが、結局は編集者が先に折れた。さすがはテレサをママと呼ぶだけのことはある。面構えが違う


「すごい数が集まってるな」


 待機画面中にも関わらず同接は10万を越えていた。コメント欄は英語ばかりで何が書いてあるかさっぱり分からない。今頃アメリカは平日の朝のはずだが、これだけの数の海外ニキが集まるとは驚きだ。日本語もちらほら見受けられるが、滝のように流れる英語に押し出されて読む間もなく消えていった。


「テレサ先輩、活動を続けてくれて良かったね」


「テレサは一度偉業を成し遂げた人間だからな。そう簡単に投げ出したりはしないさ」


 テレサは俺の言葉から何かを感じ取ってくれたのか、過去の自分も含めて今の自分がある、と納得し、過去の栄光に頼るまではいかずとも、そうした声も素直に聞き入れる、と言ってくれた。もちろん伝説の子役だった過去を配信でひけらかすというわけではない。言われた通りに動くだけの人形だと卑下していた過去の自分を否定せず受け入れるという意味だ。


「お兄ちゃんも成し遂げた人だから言えるのかもね」


「俺が? 俺はまだ何もしてないだろ」


「100日間連続動画投稿を成し遂げたじゃん」


「あれは成し遂げたって言えるのか?」


「言えるよ。世間の評価がすべてじゃないし。少なくとも私とテレサ先輩はそう思ってるよ。あとは照康くんもかな」


「照康くん? 名前呼びをするくらい仲良くなったなんてお兄ちゃん聞いてないぞ」


「名前を呼んだだけで仲良しとか小学生じゃないんだから。照康くんとはただのライン友達。あとはお仕事をくれるお得意さんかな。結構儲けさせてくれるんだ」


 梓は機嫌が良さそうに言った。そういえば最近新しい液タブ買っていたが、あれは照康からの報酬で買ったものなのだろうか。上手くいってるようで何よりだが、お付き合いとなったら話は別だ。俺に許可なく梓と手を繋ぎやがったらしばき回してやる。


『みんなー、良い子にしてたかな? あなたの癒しになりたい、地母神系Vtuberのテレサ・パチャママです。今日もよろしくお願いします』


 民族衣装のVテレサが画面に姿を現わすと、スピーカーからテレサの声が流れてきた。コメント欄は狂喜乱舞する英語で溢れ返り、今まで見たことのない爆速でコメントが流れ落ちていった。これだけの視聴者に読めない英語だらけでは、俺と梓だけでモデレーターとしてサポートするのは不可能だった。チャンネル登録者数は収益化基準を大幅に上回っているが、初配信の動画は非公開にしていたことから再生時間は基準に達していない。英語が読めるモデレーターを雇うにしても先ずはチャンネルを収益化させるのが先決だ。この調子ならそんなに時間はかからないだろう。


『まだ二回目なのにこんなにたくさん来てくれるなんて驚きです。ありがとうございます。初配信から時間が空いちゃいましたね。心配をおかけしてすみませんでした。色々あったことに関しては触れないことにします。良い子のみんなならきっと分かってくれるって信じてるよ』


 ついでテレサは英語で同じ意味のことを口にした。その場でセルフ翻訳するとはさすがはバイリンガルだ。英語は下手になったとか言っていたが、全然そんなことはなかった。


 テレサの鈴を転がすような声と穏やかな口調は聞いているだけで心が安らぐ。何が書いてあるかは分からないが、海外ニキたちも同じようなことをコメントしているはずだ。


 テレサは日本語と英語を使い分けて滞りなく配信を進行していく。


 俺は声に合わせて動くVテレサの口を見て頬を赤くした。


 一カ月前のあの日、俺が寝落ちする寸前に唇に触れた温かい何か。


 俺はあの日を思い返した。テレサと色んな話をしたのは覚えているが、どこまでが現実で夢だったのか判別がつかない。それほどまでに疲労と眠気で意識が曖昧だったのだ。


 俺が勘違いしているだけで何もなかったのかもしれない。あるいは夢だったのかもしれない。実際にテレサに変わった様子はなく、何事もなかったようにいつも通り接してきている。


「……何もなかったんだよな。きっと」


「何の話?」


「い、いや、何でもない」


 俺はかぶりを振った。


 今の俺はテレサのプロデューサー兼マネージャーだ。


 全然人気が出なくてYouTuberを引退した俺にどこまでできるかは未知数だが、これからは持てる力の限りを尽くして、テレサを個人Vtuberとしてプロデュースしていくつもりだ。


『――これからもよろしくお願いしますね』


 配信画面のVテレサと、その向こうにいるテレサの笑顔が重なったように見えた。

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全然人気出なくてYouTuberを引退した俺が金髪碧眼の美少女を個人Vtuberとしてプロデュースすることになりました デブギブソン @debugibson

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