第57話 ありがとう

「将来の自分を見たような気分だった。自分で選んだように思えても、実は選ばされていただけで、そこに自分の意志なんて初めからなかった。流される毎日は納得いかないことばかりで、それでも自我を抑えつけないといけなくて、そうしてる内に摩耗する日々に慣れていって、最期には擦り切れて、糸が切れたように命を絶つ……あの人がそうだったかなんて俺には分からないけど、今のまま生きたらあの人と同じ結末を迎えるんじゃないかって、恐くなったんだ」


 危機が去ってそれなりに時間が経過したせいか、暴行を受けた箇所が徐々に痛んできた。体温も上がってきたように感じる。


「……昔の俺は空っぽだった。テレサのような輝かしい実績もなければ、梓のように絵に打ち込んで培った実力もない。それでも行動を起こさないと何も始まらない。だから何かしようって思ったんだ」


 その日から俺は自分を変えようと決意した。


 失敗を恐れて二の足を踏んでいたら流されるままだ。やりたいことがないなら見付かるまで手当たり次第に試していけばいい。とりま挑戦を座右の銘に掲げ、頭から無理だと決め付けずに、幅広く節操なしにあれにもこれにも前向きに挑み続ける。すべてをポジティブに解釈しようと気持ちを切り替えたのだ。


「YouTuberになったのは、初期投資が少なく済んで、例え失敗しても負債を抱える心配はない。やろうと思えば自分の力だけでも活動できるって思ったからなんだ。数字を伸ばしたいって気持ちはもちろんあったけど、それ以上に自分がどう在るべきかってことを重要視してた」


 正直YouTuberとして大成することに拘りはなかった。が、それでも目標に掲げていたチャンネル登録者1000人越えを達成できなかったのは堪えた。初めての大敗に打ちひしがれ、ファンの期待に応えられずに引退してしまった無力感に苛まれ、情熱を向ける矛先を失った俺は抜け殻になっていた。


「テレサと会ったのはそんな時だった」


 テレサが爆盛激辛チャーシューメンを完食した日を昨日のことのように思い出すことができる。それほどまでに衝撃的で印象に残る出来事だった。


「女子があの量を平らげるなんて見た後でも信じられなかったよ。この辺りにこんなすげー子がいたんだなって驚かされたよ」


「あ、あれは太一くんに感化されて小さなことから何かに挑戦してみようって思って行動してる最中だったんです。それで美味しかったからついぺろりと……今になって太一くんに見られてたんだって恥ずかしくなってきました」


「何かこうして話してみると、俺たちって知らないところでお互いを影響し合ってたんだな」


「それが今ではこうして手を取り合って活動している。不思議な縁ですね」


「本当にな」


 俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく微笑んだ。


「太一くん、ごめんなさい……勝手に連絡を絶って心配をかけてしまって……」


「気にしなくていいよ。これだけの大騒ぎになったら誰だって気が動転する。思ってなかったことを言ったりするし、するつもりがなかったこともしたりする。テレサの無事を確認できたからもう言うことなしだ」


「それだけじゃありません。太一くんには事前に過去のことを話しておくべきでした……」


「それはいずれ話すつもりだったんだろ?」


「はい……ある程度活動に慣れた頃にそれとなく言おうかと。こんな形で知られるのは不本意でした」


「だったら遅いか早いかの違いでしかなかったわけだろ? それなら気にすることないさ。テレサの過去がどうであろうとテレサはテレサだ。俺はプロデューサー兼マネージャーとしてテレサをサポートするだけだ。これからどうするべきかは、また、後日考えよう……」


 急速に眠気が押し寄せて来た。全身から力が抜け落ち、瞼が重くなっていく。今日は朝からてんてこ舞いだった。テレサの膝枕で安静にしてたことで無意識に溜め込んでいた疲労が噴き出してしまったようだ。


 こんな時間に野外でテレサに膝枕をさせたまま眠るわけにはいかない。俺は遠退いて行く意識を繋ぎ止めようと必死に抗ったが、テレサの顔が間近に迫っているのを最後に視界が暗転してしまった。


「……ありがとう。太一くん」


 温かい感触が唇に触れたのを最後に、俺は眠りへと落ちていった。

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