第56話 トラウマ
「太一くんを見たから、Vtuberなろうって思ったんです」
テレサは言った。何の気なしに訪れたこの場所で、しょうもない企画に全力投球する俺を見て興味を持ち、俺のチャンネルを見て衝撃を受けたと。チャンネル登録者数と再生数が二桁台にも関わらずめげずに活動を続け、100日間連続動画投稿を貫徹しようと奮起する姿に感動をしたと。
「自分の決断で行動を起こして、目標を成し遂げようとする太一くんに憧れたんです。私とは真逆だって。人の目を気にせず我が道を行こうとする姿がカッコ良いなって思ったんです。結果が振るわなかったのは残念でしたけど、それでも私は太一くんのファンになって良かったって心の底から言えます。それで思ったんです。この人と同じ場所で何かをやってみたいって」
「それで素顔を隠せるVtuberってわけか」
「はい。パパの影響で日本の漫画やゲームを好きになっていたので、そういうお話もできそうだなって思いました」
「そういえばそんなことも言ってたな」
資本主義と競争社会の最上位に位置するテレサの父親が、日本の漫画とゲームを愛好していたなんて想像が付かない。お偉いさんはそういうのを庶民の娯楽だと切って捨てそうなものだが、しかし、元を辿ればテレサの父親も昔は一介の若者でしかなかったのだ。生まれながらの金持ちと自力で財を築いた成り上がり者では、価値観に差異があっても不思議はない。
「私が太一くんのファンになったのは、ひたむきに努力している姿に魅力を感じたからなんです」
テレサは気恥ずかしそうに言った。
褒められるのは嬉しいが、俺は素直に喜べなかった。
「……空っぽなのは俺のほうだよ」
「どういう意味ですか?」
テレサは赤裸々に境遇を話してくれた。
その誠意に応えたい。
「……何で俺がYouTuberになったか、まだ話してなかったよな?」
「聞かせてくれるんですか?」
「テレサになら良いよ」
俺は今でも忘れられないあの日の出来事を思い返した。
去年の冬のことだ。同級生が早くも卒業後の進路を意識して動き出している中、俺は自分の将来を思い描くことができずにやきもきしていた。このまま進学するのか、それとも就職するのか。どちらもピンと来なくて、判断を先送りにして漫然と日々を過ごしていた。
無為に流れていく時間に身を浸し、登下校を繰り返す。毎日のようにもどかしさを抱きながら、このままでは良くないと分かっていても、何をすればいいか分からない。そんな自分に嫌気が差していたのをよく覚えている。
そんなある日、駅のホームで出勤ラッシュの列に並んでいた時のことだ。
スマホを耳に添えたサラリーマンが、目の前に相手がいるわけでもないのに頻りに頭を下げて謝り倒していた。
サラリーマンがどこの誰かは知らないが、毎日同じ時間の同じ車両に乗り合わせていたこともあり、顔だけは覚えていた。何年も使い古したスーツを着用し、革靴の踵は擦り切れていた。薬指に指輪を嵌めた左手で吊革に掴まり、毎日暗い顔で俯いていた。
どこにでもいるサラリーマンという風貌だが、この日だけは、列を外れて必死に謝るその姿が印象に残っていた。
サラリーマンは電話を終えると、ベンチに腰を下ろして頭を抱えた。
どんな会話をしていたのかは知らない。解雇を言い渡されたのか、仕事で大きなミスをしたのか。事実がどうであれ、辛い内容だったのは間違いない。
電車が到着し、俺は駅員に背中を押されて電車に乗り込んだが、サラリーマンはベンチで俯いたままだった。俺は動き出した電車の中からその姿を見送った。
その日はサラリーマンのことが頭から離れなかった。
授業に身が入らず、適当に時間を潰しているうちに放課後になった。委員会にも部活動にも所属していなかった俺は、見飽きた通学路を歩き、駅で電車に乗り込み、家から最寄りの駅で下車し、目を丸くした。
サラリーマンがまだベンチに座っていたのだ。
朝からずっと留まっていたのだろう。電車を降りた人たちが改札へと歩いていく中、ホームで立ち止まった俺は、呆然とサラリーマンを眺め続けた。
しばらくすると、電車の到着が間近だと伝えるアナウンスがスピーカーから流れてきた。
線路の向こうから電車がやってくるのが見えた。
電車は次第に大きくなり、先頭車両がホーム付近に差し掛かった時だった。
サラリーマンが線路に身を投げ出したのだ。
「目の前でそんなことが……」
俺の話を聞き終えたテレサは絶句していた。軽々しく人に聞かせるような話ではないから今まで黙っていたが、話したら少し気が楽になった。
「俺はあの人がどこの誰なのかは知らない。それでも毎日顔を合わせていた人が目の前で死んだのはショックだったよ」
その日以降、俺はサラリーマンが身を投げ出した線路付近に近付かなくなった。改札が遠くなるのを承知で毎日乗降する車両も変えた。
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