第6話 不穏な中野区国と均衡崩落の兆し
報告会が終わればあとは用意された食事や酒を楽しむ時間として、親衛隊の人々も羽目を外しすぎない程度に周りの人達とコミュニケーションを取ったりしている。
サナエ将軍はまた何処かにふらりと消えてしまい、私はユリコ様から離れすぎない距離を保ちながら北区国と豊島区国の宮廷作家とそれぞれの生活や執筆の進捗状況などを話ながら盛り上がっていた。こうして同業者と顔を合わせるなんてまず有り得ない職業なのだから、互いに喜びを分かち合える大切な一期一会の瞬間だ。
「中野区国王は人造人間なんだよね。豊島区国は人造人間の居住を認めてないから、初めて見たよ。本当に人間と変わらない……というか、人形みたいに美人さんだ」
「北区国は確か居住を認めているんだよね?」
「うん。表面的には認めているけどさ、いつ政権を覆されるか判らないっていうのが、本音みたいなんだよ。まあ人間が造った生命体が人間社会を崩壊させる話なんて旧時代の娯楽では定番中の定番みたいだったし……、あ、別に悪気があって言ったわけじゃなくて」
「ああ、うん。大丈夫。今のは聞かなかったことにするから。でも、我が王は本当に中野区民の生活を案じているんだ」
そこからそれぞれの区王の自慢話から競い合うように言い争いになって、中野区王、北区王、豊島区王からお叱りを頂いた。せっかく顔を合わせた三区の王も自分たちの国の治安や将来の展望を、上辺に笑顔を張り付かせて冗談を挟みながら話し合う姿を見ていた私達はゾッと背筋に薄ら寒さを感じながら見守っていることしかできなかった。
豊島区国王はまだ若い二十代くらいの癖の強い黒髪をした浅黒い肌の男性で、シャツにジャケットを合わせたラフな衣装は着物に袴姿を合わせた下駄履きのユリコ様と並んでこの場に馴染めていない。北区国王は煌びやかなダイヤモンドを散りばめたスカートが膨らんでいるヴェルサイユ宮殿からお忍びで抜け出して来たような出で立ちだが、彼女もまたその豪奢と時代錯誤な衣装は落ち着いたこのパーティーでは浮いている。浮いた三人が一箇所に集まればそれはより目立つし、まるで仮装パーティーや合コンと勘違いしたようにも見える。
まあ、仮装パーティーとかそう言った意味ではサナエ将軍も似たようなもので、会場をもう一度見渡してもあの目立つオカマ姿を見つけ出すことは出来なかった。
「どこ行っちゃったんだろう」
「誰か探してる?」
「えっ、あ、いやぁ、別に探してないよ」
サナエ将軍が視界に入らないのであればそれはそれで良いのだけれど、何処かの国に対して迷惑を掛けていないかが心配だった。宮廷作家の身分でここまで自国を心配せねばならないのは酷だ。親衛隊の人達やユリコ様もサナエ将軍のことなんて忘れているように気にした素振りもない。
いっそのこと忘れてこの時間を楽しまねば損だ。私は時間ギリギリまで仲良くなった宮廷作家の二人と有意義な時間を過ごした。
帰宅する際のエレベーターの順番は軍事力や資金といった国のステータスが上位の者から使用するようで、大した成果も残していない中野区は最後のエレベーターに乗り込んだ。護衛達は車の手配などをするべくあらかじめ早めに下りていったが、一緒に乗り込んだ区王達の中に江東区国と王主催国の台東区国王と乗り込んだ。ユリコ様は何も遠慮する様子もなく平然とした顔で静かに佇み、豊島区国王や北区国王、は顔を軽く伏せてまるで猛獣の脅威が過ぎ去るのをおとなしく待つ獲物のようだ。
一階フロントに付くとそれぞれの護衛達が待機していて、その中にサナエ将軍の姿もあった。先に豊島区国王と台東区国王を降ろしてから、私達宮廷作家を連れた三区王が続く。
挨拶を済ませると各々の車両に乗り込んで自国へと帰っていく。
「退屈させてしまったか?」
「とんでもありません。私にとってとても有意義でした。まさか他の宮廷作家達と意見交換をしたりと楽し時間を過ごさせていただき、ありがとうございます」
「宮廷作家を連れてくるのが他に北区国と豊島区国だけとは思わなかったな。己が意見を述べる貴重な場面を彼等に見せて書かせると私は読んでいたが、どうやら外したようだ」
自分の中で賭け事でもしていたのか、負けそのものも面白いという顔で、シートに深く背中を埋めると窓を少しだけ開けた。
「あー、美味しかったわぁ。お土産たんまりと頂いちゃった」
「サナエ将軍はどちらにいらしたんですか。探しても全然見つけられませんでしたよ」
「うーん。それは乙女の秘密ということにしておいてぇ」
面倒臭いので返さない。東中野駅でサナエ将軍を降ろして山の手通りから早稲田通りに折れて城へと帰還した。今日のことを早速原稿用紙に書き連ねたいという欲求が逸り、アパートまで走り帰宅し、風呂もサッと済ませて机に向き合って数時間。少し疲れたので外を散歩しようと家を出たのが二十三時過ぎ。住宅街は静まり返っていてほとんどの家屋の明かりも消えている。
平和の森公園まで足を伸ばしていた。自動販売機でお茶を買って園内を一周してから帰ろうか。小説の構築を考えながら歩いていると、背後から自分以外の足音を機敏になった耳が拾い咄嗟に足を止めて振り返った。
「気のせいじゃないと思うけど……、気のせいかな。誰も居ないし、居てもわざわざ隠れない、よね?」
しかしまた歩き出そうと正面を向いたそこに外灯を遮る人影が目の前に佇んで、喉が引きつった悲鳴を発するも腹部を殴られて苦悶の声に塗りつぶされる。
護身用の拳銃も家に置いてきてしまっている。危害を加えられたと考えるにこれは非常に不味い状況だ。園内の中心で叫んだとしても誰かが駆けつけてくれる保証もないどころか余計に目の前の人物を刺激してしまう。
殴られたお腹が痛くてしばらく起き上がれそうにない。ソイツは見せつけるように外灯の明かりに手に持つソレを反射させた。
ナイフだ。逆光になって相手の顔も表情も判らないが、ただの変質者にしては度が過ぎている。中野区内の不審者情報にも該当する人物はいない。殺される予感に冷や汗が頬を伝う。
脇腹を蹴り転がされて仰向けになった体勢ですかさず馬乗りになると、私の恐怖を掻き立てるようにゆっくりとナイフを逆手持ちにして振り上げた。ナイフの動きに合わせて私の視線が追う。ああ、殺される。翌日に発見される私はきっと酷い状態で見つかる。夢半ばで、念願の宮廷作家になれたというのにこんな中途半端に終わる。
振り上げた腕を背後から誰かが掴んで阻んだ。
その人物もまた逆光で見えないが助かったと安堵した時には、暴漢は背後の人物から横殴りの蹴りを見舞って横転した。
「婦女子の殺害事件は評判と治安に影響する」
聞いたことのある静かな声。
転がされた暴漢はナイフを拾って逃走をはかるも割って入った人物の手元が発光と破裂音が一瞬、火薬の臭いが私の鼻に届く前に暴漢が苦悶の声を上げた。
今度は蹲る暴漢を蹴り転がして手錠を両手と両足にしっかりと嵌めた。
「立てるか? 手を貸そう。アレを警察に引き渡したら家まで送るからしばらく待っていろ」
「あの……、ありがとうございます。暗くてよく判りませんが、そのお声はツキモト将軍ではありませんか?」
電話で警察に人員を平和の森公園へ要請したその人物は暴漢を引きずりながら外灯の下へと移動した。
「やっぱりツキモト将軍でしたね」
「そういうキミは宮廷作家のミナモト・カヤだったな。こんな時間に何をしている?」
三十代半ばくらいの生真面目な第一印象。真一文字に引き結んだ口と縁なし眼鏡の奥から覗く細く鋭い糸目の男性こそ最後の中野区国五大将、ツキモト・ユキオ将軍。彼は弥生町領一帯を管理しているのだが、彼こそどうして自分の領地からだいぶ遠い新井領にまで来ているのか。
「私は休憩で散歩を。ツキモト将軍は?」
「私も似たような感じだ。だがキミは運が悪いな。平和な中野区国でこんな暴漢に襲われるなんて」
「そうですね。徹底的に取り調べてください」
「ここら辺の領地は中野区国王の管轄だ。彼女が効率の良い手段で吐かせてくれる。よりにもよって中野区国民を殺そうとした相手だ、手段は選ばんだろう」
「怖いですね」
「敬虔な中野区国民であれ」
ツキモト将軍の口癖だ。彼は熱狂的な愛国者であり、トツツキ・ユリコ中野区国王に絶対的な信仰を示しておられる。普段の行動からも中野区国民として恥じぬよう心掛けているようで、部下への指示や作戦立案は他将軍の追随を許さない実力者だと噂されている。武のサナエ将軍、智のツキモト将軍と並べば完璧な双璧だ。
足下に転がる男は未だに苦悶の声を上げるだけでもう反抗するつもりはないらしく、冷めた眼で見下ろしていたツキモト将軍の糸目が一瞬だけ見開かれ、急ぎ手を伸ばそうと屈もうとするも、急に暴漢が激しく痙攣を引き起こし、直ぐに動かなくなった。
何が起きたのかを考える前に、「服毒自殺を選ぶただの暴漢がいるものか。これは刺客の線でも調べておいた方が良いな。まあ、犯人に繋がる証拠品に期待はできないだろうが」冷静に言ってから到着した警察隊に遺体を留置場ではなく、大和町にある軍施設へ移送するよう指示すると、電話を使ってこれから運ぶ遺体の身元や使用した毒を検出するように指示を出した。
「キミが狙われたのは偶然か意図的か判明しない。しばらくの夜間外出は控えたほうがいいな。それと人員をしばらくキミの家の周りに配してもらえるよう此方で提言しておく」
「ありがとうございます。お手数をかけてしまいますが宜しくお願いします」
伸ばした背筋とキビキビとした軍人めいた足取りだけど、私の歩調に合わせてくれるツキモト将軍の心遣いに心の中でもう一度お礼を述べ、自宅に到着するやなんとツキモト将軍が私より先に上がり込み、唖然と立ち尽くす私を置いて浴室やトイレといった人が隠れられそうな箇所を徹底して確認して回ると、戸締まりをするように言い残して帰って行った。
まさか上がり込まれるとまでは予想もしていなかったが、要人が出掛けている間に暗殺者が部屋に忍び込み、護衛の手薄な帰宅時を狙って殺害する話も他国ではよくあるようで、些細な可能性も摘み取る徹底主義に流石は軍人だと感心させられた。
カーテンを閉めてベッドに寝転がりながらも電気を消すのがちょっと怖くて、でも完全に暗くしないと眠れない私は布団を頭から被り無理矢理眠りに逃げ込むことにする。
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