第5話 二十三区国報告会
帰りの車内でユリコ様は満足したような笑みをサイドミラーに写しながら夜景を眺めていた。潮の香りを含んだ夜風が酔って暴れた身体に心地良いと言う彼女に、「どうしてあんなことをしたんですか」咎める口調で聞く。
「東京国の区国王や市国王相手に手を上げるわけにもいかないだろう。それに薄氷の関係とはいえ上辺の平穏が続いている。ああやって、部下達と共に鬱憤と退屈を晴らすのも気持ちが良い物だ」
「まるで戦闘に飢えているように聞こえますよ」
「別段飢えているわけでも殴り合いが好きなわけでもないよ。傲慢な馬鹿共に囲まれてストレスが溜まっているだけだ」
「ほどほどにしてくださいね。見ていて怖かったんですから」
「すまないことをしたな。まさかご婦人達の背後でガタガタと震えて泣きじゃくっていたとは思いもしなかった。それと、また明日は昼から出掛けるから運転を頼めるか?」
「また東京国を出るのですか?」
「いいや。台東区国だ。二十三区国王が顔合わせする近況報告会が開かれる」
二十三区国王が勢揃いするとなると渋谷区国王とも顔を合わせることになるのか。あんなことがあって気まずいのだが、我が王からの誘いを断るわけにもいかないし、なにより彼女の物語を書く以上はそういった貴重な場はチャンスだ。
「ぜひお供させてください」
「護衛としてサナエを連れて行く」
「げぇっ、あの人ですか。一番苦手なんですよね」
「そう言ってやるな。トキトと同じようにお前を気に入っている。ただ、二人とも少し変わっているだけで良い奴だよ」
「ああ!! 思い出しましたよ。今朝、城でトキト将軍に自転車壊されて、首を強く締め上げられたんですよぉ! ユリコ様からしっかりと注意してもらっていいですか」
「本当に変わった愛情表現だ」
「それで済まさないでくださいよ。私が死んだり脳に酸素が行き渡らなくて後遺症が出たらどうしてくれるんですかぁ」
「上手くやるさ。手慣れているからな」
いや、そういう問題ではなくてですね……。まあ、今後はトキト将軍となるべく顔を合わせないように生活しよう。うん、そうしよう。
神奈川国の検問を通り大田区国から高速道路を乗り、中野区国に帰ってきたのは深夜の三時を過ぎていた。城で車を停めて、壊された自転車を一瞥して徒歩で帰ろうと門へと向かおうとしたところでユリコ様に泊まっていくよう声を掛けられたので甘えさせてもらうことに。
お風呂を頂いてから客間のベッドで大の字で寝っ転がり、ユリコ様はもう就寝されているのか、ユリコ様もあんなに子供の様な笑顔を見せるのか、等々、今日一日を振り返りながら、鞄に入っていたノートに箇条書きで今日の出来事を簡潔に纏めた。
隣接国の新宿区国や渋谷区国はこんな時間でも外を若者がフラついていたりする。正直言って治安は最悪だが、取り締まりもまた厳しく、スプレー缶での落書きや薬物売買などをしようものなら地下拷問部屋へと送られるなんていう都市伝説が流行り、実際に私がオウガイ渋谷区国王の宮廷作家であった頃、一度だけ彼に秘密の地下施設へと案内され、そこで何をしでかしたのか判らないが、血だらけで顔なんて青紫色に変色した男性に残虐渋谷区国王がトドメを刺す姿を見せつけられた。それを武勇であるかのような誇らしい顔を見た私は正直に、人間性を欠いて産まれた悪魔と内心で表現した。
あの男とまた明日顔を合わせた時に何と言われるのだろうか。考えたくもないのに想像力豊かな頭はあの悪魔が非道な手段で人間をいたぶる映像が脳裏に流れ始める。止めようにも止まらない。目を閉じてもより鮮明に、あの時の血や何かの腐臭が記憶から呼び起こされて実際にいま嗅いだような錯覚がした。
ダメだ気分が悪い。外の空気を吸いにロビーへ下りて自販機でお茶を購入した。軍用車が並ぶ駐車場の隅に置かれたベンチに座って空を見上げてみた。空気の汚れている東京国からは星の輝きも見えない。巡回や休憩中の兵士達と少しお喋りをしたりしていると空が白み始めてきていた。
結局一睡もしなかったな。もう眠くもないし今日は起きていよう。
一度客間に戻ってから制服に着替えて顔を洗ってベッドシーツを整えた。いつもはまだ寝ている時間なので不思議な感じがする。何か悪い事をしているような、ちょっとだけ気分が高揚して渋谷区国王のことなんて、いつから忘れていたのか覚えていないくらいだ。
しばらく部屋の窓から少しずつ変色していく空をボーッと眺めていると部屋がノックされた。壮年の兵士からそろそろ朝食の用意が出来るとの報せだった。城の食事は早いようで、ユリコ様も食堂へと向かわれたようだ。
体力勝負の兵士が詰めている城では基本的に朝昼晩バイキング形式を採用しており、肉魚野菜やら卵料理も幾つかバランス良く用意されている。毎日異なる献立を考える調理係は大変だが、飽きさせない工夫は兵士達から好評でその日一日のやる気も格段と上がるようだ。
私も食べられる量を皿に盛ってから、彼等とは少し距離を空けた場所に専用席に座るユリコ様と同席する。
「おはよう、カヤ。昨夜は眠れていないようだが?」
「おはようございます。どうして判ったのですか」
「部屋から見えていた。ベンチに座って空を眺めていたね」
「私が起きていたことを知っているということはユリコ様も眠っておられませんね」
「神奈川国の興奮が冷めてくれなくてね。まあ、睡眠を取っても二、三時間程度なら起きていても変わらないだろう」
ユリコ様は五穀米と鮎の塩焼きと冷や奴、汁物はパンプキンスープというどうしてこれをチョイスしたのかは謎だが彩りだけで見れば悪くはなかった。
「何時くらいから出発するんですか?」
「そうだね。早めに九時としようか。東中野領でサナエを拾わねばならないからね」
「本当にサナエ将軍にするんですか? まだまともなカツシロウ将軍やツキモト将軍でも」
「カヤ、キミは本当に苦手意識が強いのだね。だが諦めてもらう。既に決めたことだ」
「自分の意志で決めたことを曲げない方ですもんね、ユリコ様は」
「そういうことだよ」
食堂の喧噪から聞こえる愉快で下世話な話題にドン引きしながら食事を終えた。一度アパートに帰って時間いっぱいまで昨日纏めた出来事をもう少し詳しく文章に仕上げる。
だいぶ没頭していたようで時間は八時半前。城にもう一度戻ってユリコ様の傍に控えて時間を潰す。
兵士達に見送られながら二台の護送車に挟まれて、昨夜と同じようにユリコ様の乗る車を私が運転する。宮廷作家兼運転手が私の正確な役職だ。書くのも運転するのも好きなので私からしたら天職の一言。
「嬉しいわぁ。これからパーティーなのよね。どうかしらぁ、今日のためにおめかしをしたのよ」
スーツを着て毎日出社していそうな三十代くらいの男がバッチリ厚化粧を酷く決めた見た目に反して、ふんわりとした穏やかな口調で、そう、おめかしのロングドレスを着て車に乗り込んできた。
「パーティーといえばサナエのような気がしたものでね。忙しい中、すまないな」
「いいのよぅ。おひさぁ、作家ちゃんも元気してたかしら」
「え、はい。ええ、そうですね。私はとても元気です」
「あん。シャイガールちゃんねぇ。大丈夫よ、取って食おうなんて思わないんだからっ! あ、そうそう。貴女に私からのプレゼントなのぉ、後で開けてね」
小さな紙包みを渡されて、「ありがとうございます。何ですか?」まさか頂き物を貰えるなんて思っていなかった私は素直にお礼を述べていた。しかし中身については秘密らしく、車をそろそろ走らせようとした途端に頬をぷにぷにされて反射的に急ブレーキを踏んだ。
「な、なにするんですか!?」
「怒らないの。ちょぉっと頬をぷにぷにしただけじゃない。別に減るもんでもなし、ああ、羨ましいわぁ。若さは張りと潤いよねぇ」
「運転中は辞めてください」
「はぁい!」
子供の様に手を上げて返事をする。この人は苦手だ。悪い人でもないし害も加えてこないけど、なんというのか、雰囲気や見た目と言動や仕草のギャップが私を混乱させる。会社の出し物で中間管理職がウケを狙って女装したような完成度なのがまた見てて悲しくなってくる。サナエ将軍こそ私にトラウマを植え付けた張本人で、後機のことは一生忘れられない悪夢で在り一生許されない罪人である。私のファーストキスを奪った罪は重いのだ。
しかし彼……、彼女、いや彼は、間違いなく中野区国五大将軍の一角であり、新宿区国や豊島区国を最小兵力で任される人物。しかし彼はどうしてこんな装いをするのかは謎で、産まれてくる性別を神様が間違えただけ、と本人は言っていたが実際の所は判らない。クラシタ・サナエ将軍の噂と言えば、五大将軍の中で一番強いのではないか、というものがある。こんな巫山戯た見た目の人が将軍職に就いているのがまるでギャグのようであるからだ。実際に彼が戦闘行為をしている場面を見たこともないが、五大国の新宿国だけでなく豊島区国との開戦時に一番陥落しやすい領地、それも城に最も近い重要拠点を最小戦力で任されているのだから、噂は本当なのかもしれない。
車内で熱唱するサナエ将軍を乗せてようやく出発することとなった。このオカマはもうすでに酔っているのではないかというテンションの高さだ。
下道で行ってもそう時間は掛からない。区国王専用車の通行となれば平民達は急いで路肩へと車を寄せて道を譲る。なんだかちょっと気持ちがいい。しかし区国王専用車とはいえど緊急車両の方が優先されるようで、背後から迫る救急車に道を譲った後は快適なドライブ気分で我が王、ユリコ様を無事に台東区国中野領へと送り届けることに成功した。
近況報告会は上野公園近くにあるホテルを貸し切りで行われる。指定された駐車場に停車させて、昨夜の負傷が残る親衛隊達とサナエ将軍に囲まれながらホテルの最上階へと登った。
エレベーターが開くと赤絨毯を敷き詰めた大ホール。地上二十八階の高層ホテルなんて中野区国にもない。四方を硝子張りの贅沢な天望を満喫する各区国の人達。なんとなく見覚えのある顔ぶれが既に数名それぞれのやり方で時間を潰して、その中に渋谷区国王オウガイ・ヒノヒコの姿も見つけ、彼方が此方に気付くと、豪奢な指輪を嵌めた指でワイングラスをキザったらしく回しながら歩いてくる。
来るな。来るな。来るな。私を見るな。私を無視しろ。私は空気だ。そんな願いも届けられることなく、「スクリーン越しぶりですね、トツツキ区国王」軽い笑顔で挨拶を交すと、「どうですか、ミナモト君。ちゃんと中野区国王の武勇は書き進めていますか?」不気味なくらい爽やかな笑顔を見せられ、私はカチコチとした動きで、「はい、渋谷区国王。お陰で私は良い小説を書けそうです」お前の所なんかにいたら駄作しか書けないんだよ、と意味を伏せて言ってやった。
「いやぁ、貴女から譲って頂いた兵器研究案は実に素晴らしいですよ。同時にお借りしている技術者の方々も渋谷区国が誇る設備を余すことなく使いこなしておられる」
「そうか、それは良かった。是非とも東京国の発展に役立てて欲しい」
「もちろんです。おや、あそこにおられるのは品川区国王ではないですか。少し挨拶をしてきますので、これにて失礼」
優雅な会釈をして部屋の隅から東京国の街並みを俯瞰している壮年男性の元へと歩いて行った。どうせユリコ様から譲渡してもらった兵器案を自慢にでもしにいくに違いない。
「あの、サナエ将軍。もしかして怒ってます?」
「プンプンよぉ!! なにあのすかした奴。私のことチラリとも見やがらなかったのよ。信じられる!?」
「あまりの美しさにきっと恥ずかしかったのではないですか?」
いやぁ、まあ理由は判りますが。
各区国王は護衛や私と同じように宮廷作家を連れていて、青痣が目立つ中野区国親衛隊はチラチラと遠巻きに興味を持たれている様子。流石に神奈川国で乱闘したなんて口が裂けても言えない。
ホールに流れていた緩やかなクラシックが途切れてアナウンスが入る。
「東京国各区国王は中央大テーブルの名前が書かれた札の席にお座りください」
巨大な円卓の上に置かれた二十三人分のネームプレート。ユリコ様が着席し私達は背後に控え、その場の全員を見渡しながら緊張していく空気をその肌で感じていた。
ただの近況報告だと言っていたのにどうしてこんなにも空気がピリつくのか。あのまま和やかな雰囲気の報告会が始まると思っていた予想を裏切られ、喉が渇いていく。
「三ヶ月ぶりにこうして変わらぬ顔を互いに付き合わせられることにまずは感謝をしたい」
進行役はニシダ・コウイチ江東区国王が担い、整えられた白い髭と着こなしているスーツはまるで王というよりは執事のようで、その老齢に刻まれたたおやかな皺さえも気品を感じる。
彼が胸に手を当てると全員同じく倣って胸に手を当て目を瞑り軽く会釈をした。これは決まりなのだろう。またこうして会えたことへの感謝の意を示したところで、一人ずつ近況報告や問題点などを簡潔に話して順番を回していく。
ユリコ様の番になり、「中野区国は最近まで開発していた研究案をより完成度の高いモノとするべく、技術力が進んでおられる渋谷区国王に譲渡し、現在新たな試みを中野区国では段階的に兵器開発を執り行っている。完成の時こそ東京各国が一つに団結しうる象徴となることを信じている」研究内容は伏せて着席した。
なんともまぁ、な表情をする各区国王の胸中では、生産技術や設備の面でだいぶ遅れている中野区国に何が作れるのか見物だという、あからさまに見下した態度で曖昧に笑って拍手をしている。
オウガイ渋谷区国王は横目でユリコ様を一瞥するが、他の五大区国王と同じように見下したような態度は取らなかった。むしろなにを作り、どう活用しようとしているのかの疑念が勝っているように見える。
技術案を譲渡されたオウガイ区国王だからこそ、中野区国のトツツキ・ユリコという人物の思考回路と発想力を危険視しているのかもしれない。
全区国王の報告が終わり、次に近隣の千葉国、埼玉国、山梨国、神奈川国に対する話題へと移行する。しかし昨夜の中野区国が神奈川国へと国境を越えたのは周知の事で、このことを詰められると、「中野区国のような小国が何故神奈川区国王と繋がりを持っていることに疑念を抱かれている様子。しかし、たかが小国の技術力も乏しい我が国に何が出来ようか。ただ個人的に仲が良く、互いの理想とする国について語り合っていた」これくらいで疑念も払えるはずもなく、「背後に控えているは私の親衛隊。昨夜、飲み過ぎて向こうの兵士やフジタ国王と殴り合う乱闘を繰り広げ、この場に青びょうたん顔を晒している」ぶっちゃけたユリコ様に、国際問題にはならないのか、という強い非難を上げる者もいたが、「問題はない。私はフジタ王と親しくてね。互いに平和維持の
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