第4話 神奈川国王フジタ・ゴロスケ
前後を数台の軍用車に挟まれながら区国王専用防弾仕様車が首都高を走り、二十三区国を跨いで隣国、神奈川国手前の大田区国で高速道路を降り、国境の検問所を抜けてからが神奈川国領となる。
「手続きを簡略化できれば国同士の移動に面倒がないが、そうできない問題が山積みのようだ」
運転する私の隣りでユリコ様が肩を竦めながら言った。私もまさか東京国外まで足を伸ばすとは思ってもおらず、しかも神奈川国王との食事会だと知ったのも高速を乗る手前辺り。東京国よりも領土の広い神奈川国の国王が東京国を構成する小国家の一つ、中野区国王にどのような要件があるというのか。それとも要件があるのはユリコ様の方なのか。二人が顔を合わせれば判明するにしても私は緊張で余計な力が手に入ってしまっている。
他国を相手に何かしら下手をすれば東京国全体の問題となる。信用も信頼も失墜して貿易までも打ち切られてしまったり、あげくには東京国に攻め入ってくる可能性だって。神奈川国は海上戦を得意とし、保有する軍艦は二百隻以上。それらが東京湾に展開されでもしたら、東京五大国の品川区国と江東区国が保有する数と質で劣る型落ち軍艦で対処などできるはずもない。そうなれば最後、東京国は火の海に飲まれてしまう。
ああ、目が回ってきました。ユリコ様に東京国の命運が掛かっているんだぁ。きっとユリコ様なら大丈夫という反面、本当に大丈夫だろうかという疑念もまた拭い捨てられない。
「力を抜きなさい。車がフラフラしているよ」
「で、ですが、ですがぁ、最悪の場合は戦争になったりしたら」
「戦争? 何を言っている。これから友人と世間話をしながら食事をするだけだ。なぜ戦争が起こる心配をする」
「でも、もし」
「カヤは面白い子だ。間違っても戦争なんて起きない。本当に昔からの馴染みでね。久しく顔を合わせていないから互いの健康を確認するだけだよ」
我が王にそこまで言わせてしまったのが臣下として恥ずかしいことにようやく気付いた。いけないいけない。我が王は大丈夫。大丈夫と言ったのだから私が一々胃に負荷を掛けてやる必要なんてない。今は運転に集中していればいいのだ。
沿岸沿いの車道を走っているが対向車と一度も遭遇しないのは、神奈川国側が気遣ってくれたお陰だろう。お陰で安心して運転ができ、神奈川国の城がある鎌倉領まであと三十分ほどだ。
十九時を少し過ぎてようやく八幡宮近くに居を構える城に辿り着いた。中野区国の城というより二十三区国の中でも新宿区国、渋谷区国、品川区国、台東区国。江東区の東京五大国を除いた区国の城より大きく堅牢な造りは城塞のよう。唖然とそれを見上げていると、「ほら、行くよ」ユリコ様に笑われながら諭され彼女から数歩下がった距離を保ちながら続く。
鉄柵の門を抜けると広い敷地と奥に城がある。門から一直線に伸びる舗装された道の左右には花壇が並びよく見えればその全てが造花であると判る。城の扉が開き室内灯で逆光となる人影は両手を大きく挙げて、「おーい、久しいなぁ!」野太い声で歓待した。
城内に招かれてようやくその人影が露わになると、海の男を連想させる褐色の肌にトキト将軍とまではいかなくても鍛えた隆々の筋骨は衣服の上からでもくっきり浮かび上がる。短髪にした白髪と口周りに整えられた白髭からはどことなく紳士な印象を受けた。
「よぉ、お前は変わりなくってところかい」
「私は人造人間だから老化というものとは無縁でね。羨ましいか?」
「年老いることもまた人生の道楽の一つよ。にしても、ユリコが宮廷作家を付けるなんて、そこら辺は変わったな」
神奈川国王、フジタ・ゴロスケ様が私を見下ろしてニカッと笑った。
「さあ、話は飯を食いながらにでもしよう。あの奥の部屋がパーティー会場だ。俺はちょいと用意があるんでな、先に行ってくれ」
そう言い残して二階へと上がっていったフジタ国王に言われたとおり、私達は会場へと踏み込んだ。
映画で見たような中世貴族が社交パーティーをしていそうな煌びやかなダンスホール。天井から下がるシャンデリアなんてあれ一つで幾らのものか、なんて無粋な計算をしながら青軍服の神奈川国兵士やら彼等の伴侶であろう貴婦人方から盛大な歓迎を受け、まだ自国王も登場していないというのに勝手に食べ始めている気風はとても自由で、それを許す度量を有している器の大きな王のようだ。
「お前達も好きに楽しむといい。ただし、暴れてはいけないよ」
袴を翻して振り返り親衛隊に釘を刺すように言った。
片目を閉じてフッと笑いながら全員を確認すると、首肯の返答をした者達から食器類を手に持って各テーブルに盛り付けられた料理へと散った。その俊敏な動きは普段の訓練で培われたものだろうが、まさかこんな場所で成果を見せられるとは誰が予想しようか。
私もユリコ様と一緒に方々に挨拶に回りながら気に入った料理を皿に盛り付けていると、どこからともなくこの場に似つかわしくないジャンジャンジャンとした音楽が流れ始める。
「待たせたぁ!」
扉を勢いよく開け放ったフジタ国王がこれまたキラキラとした金一色の衣服に身を包んで会場入りした。ユリコ様も専属の親衛隊達も見慣れているのか、彼のヘンテコな衣装に顔色変えず彼を迎えた。
大した反応も得られなかったフジタ国王は逆にそのことが恥ずかしかったようで、テーブルのボトルワインを掴むと一息で飲み干してしまう。
料理をお腹に収めるとフジタ国王がユリコ様を別室へと誘い、私は空気を読むべきかと思案しているとユリコ様から付いてくるように命じられ、これはまさかなにかアレな展開などが起きやしないかという不安は、人払いした室内で真剣な面持ちで向かい合う二人の王を見て杞憂であったと胸をなで下ろす。しかし、二人の雰囲気から別の不安が私の中で込み上げてきて、「作家のお嬢ちゃん。悪いがこれから話す内容はオフで頼むぞ」先程までの豪快な人柄とは打って変わって威圧的な視線に竦み上がり、「は、はい!」これからどんな話し合いが行われるのか気が気でなかった。
「まずはユリコから話してもらおうか。東京大連合国の結束事情をな」
何を言っているのか初めは判りませんでした。神奈川国が東京国について探りを入れている。私はハッとなってユリコ様を見るも、「宮廷作家は王の一生に偽り在ってはならぬ。そう言ったからこそ、今夜、カヤを連れてきたんだよ」笑いもせず此方を見ることなく、その視線は真っ直ぐフジタ国王へ向けられていた。
私も覚悟を決めねばならないようだ。
「はい。私の胸の内に秘めておきますが」
「これを書いて良いのは、全てが終わった後だ。ユリコの物語を大いに着飾るネタだ」
二人も私の覚悟を悟って、ユリコ様が言われたとおり先に口を開いた。
「東京大連合国の結束はいつ崩れてもおかしくはない状態にある。特に区国市国間での軋轢は日に日に増している。フジタの所に寝返ろうとしている市国もあるなんて噂が立つくらいには険悪だよ。区国同士も水面下では蹴落とす算段と腹の探り合いだ。五大国とされる新宿、渋谷、品川、台東、江東は自分が真に東京国盟主だと見栄ばかり気にしている時点で底が知れているな。これは冗談ではないが、区国より市国を落とす方が難関かもしれん」
「中野区国は今後どう動くつもりだ?」
「変わらず。愛しい中野区国民が安心して過ごせる国造りをする。どんな手段を用いても中野区国を守り、障害は排除する」
どんな手段と口にしたユリコ様の言葉に、この前の研究技術者達に提示した新たな兵器開発案を思い出した。
「近いうちに力なき区国を初め、市国諸共を我欲に溺れた馬鹿者共が侵略作戦を決行すると予想している」
「一騒乱来そうなわけだな。穏やかじゃないねぇ。しかし内輪揉めなんかしていたら山梨国、埼玉国、千葉国が好機とみて混乱に乗じて攻め込んでくるだろう。東京国は上手い汁の大樹だからな、こぞって飲み干されるぞ」
「うちの馬鹿達はたとえ攻め込まれようとも強大な技術力と軍事力を以て容易に撃退できると過信している様だ」
「そこで神奈川国が隣接する山梨国にでも牽制を入れて、少しでも外敵の脅威を減らしたいというわけだな。ユリコの
「奸知とは聞き捨てならないなゴロスケ。私は東京国を混沌に陥れようとする輩の愚策を逆手に取るだけだよ」
「しかし現実的ではない考えだろう。小国が出しゃばったところで東京国を変えられるとは思えねぇな」
「そのための準備は着々と進んでいる」
「抜かりのない女だなぁ、怖い怖い。人造人間は思考に余計な私情やしがらみを介入させねぇ合理的な頭をしている。故に真っ直ぐ最短距離で物事を完結させる。そう……、どんな犠牲や手段を講じてでも。まあ、ユリコのことだからきっととんでもねぇことをしでかすんだろ」
「楽しみに待っているといい。その時が来れば大きく時代は変わる。その時はお前にひと働きしてもらえると私もやりやすい」
国内情勢を喋り何やら企てがあるユリコ様に賛同する神奈川国は一体、東京国の水面下で何をしでかそうとしているのか。私程度が予想をしてみたところでそれは大きな間違いを思い描くだけの無駄骨になる。
最後に握手を交した両国王は立ち上がって何事もなかった、ただ談笑の延長線上であるかのように笑い合いながらパーティー会場へと戻った。
会場では皿や人が高く宙を舞い、けたたましい音を立てながら怒声や罵声が行き交う惨状と化していた。どうしてこうなった。私達が密談をしている間に何があったのかを誰かに問おうにも、血気盛んに殴る蹴るの大乱闘を繰り広げていて、ユリコ様もフジタ国王もやれやれ困った子達だ、と溜息を付き、「カヤはあちらのご婦人方と一緒に観戦していなさい。明日は大事な用向きがあるから控えて欲しかったが……」どうしてでしょう。拳を掌に打ち付けたユリコ様もまた楽しんでいるように見えるのですが。
「楽しぃ楽しぃ二次会の始まりだぞぉ」
隆起した二の腕が一層にボコリと盛り上がり、彼の不適な笑いに乱闘していた誰もがゾッとしたように一斉に休戦し、ユリコ様とフジタ国王に満面の笑みを浮かべ、青と灰の軍服入り交じりながら殴り掛かる。
いやいや、ちょっと待てよ。お前等、親衛隊や国軍のくせに我等が王に対してなにを意気込んで立ち向かって行くんだ、なんて突っ込みを入れる暇も無く、私は迫る群れに恐れをなしてご婦人方の集まる一角へと待避する。
神奈川国兵士と中野区国親衛隊を殴り、投げ、蹴り飛ばすフジタ国王に対してユリコ様は、多勢の纏まりもない責めをいなしながら、その細身の何処に秘めているのかも判らぬ豪力の一撃を的確に叩き込んでいく。
人が飛ぶ。壁に叩き付けられる。テーブルは割れ、シャンデリアは衝撃で揺れる。阿鼻叫喚の一方的な暴力の嵐を見て高揚し野次を飛ばすご婦人方もそうだし、私はユリコ様とフジタ国王に対して色んな意味で恐怖を覚え隅っこでガタガタと震えるしかできずにいた。
ああ、もう、どうしてこんなめちゃくちゃな人ばかりなんだよぉ。
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