第3話 お使いと変態と寡黙とセクハラ

 今日も朝からユリコ様の傍に控えていますが彼女はいつも通り書類にサインをしたり、昼食を中野繁華街で食べたりと変わらぬ日々を過ごした。この後は研究所に赴いて研究費や機材から資材の調達依頼を聞きに行くという平和なもので、原稿用紙に彼女の物語を書かねばならない私からしたら少し退屈な日々。



 渋谷区国王は毎夜カジノやバーに入り浸って、嘘偽りの武勇伝を誇らしげに語り、控えている私達は彼の虚言を真実にするべくメモを取り、今後の小説に組み込むべく構成を熟考しながら王の醜態を呆れながら眺めていたものだ。



 実際どこもこんなものだとは聞いているので、平和であればそれはそれで良く、私はことある毎に交際を勧めてみたり、過去の偉業などないか臣下の人達に聞いて回ったりとしてみたが、この間の兵器開発新規案を上回るような話はない。



「どれくらい書き進めた?」



 ちょっと意地悪をしてやろうという表情で私の原稿用紙を覗き込み、数行の文章を追っていく目元は愉快に細まり、「あまり書けていないようだな。こんな時世だ、仕方ない」弾んだ声音でユリコ様は囁いた。



「我が王、ネタになるような事をしてくださいよ」



 文句を言うのは筋違いだが、ユリコ様と過ごして二週間も過ぎ、互いに冗談を言い合える関係にまで距離を狭めた。彼女直下の将軍達はもはや友人のような距離感でプライベートな時間では彼女に敬語は一切使われない。流石にそこまででない私はしっかりと線引きをしている。



「ネタが欲しいか。そうか、ならば、今夜予定を空けておいてくれ」

「何かあるのですか?」

「出掛ける。付いてくれば何かと面白いかもしれないな」



 研究所に出掛ける彼女を駐車場で見送り、私はユリコ様から頼まれているお使いを済ませるべく自転車に跨がると、「う、うわぁっ!?」自転車が右側からの衝撃で傾き、咄嗟に出した左足で転倒を防ぐ。ムッとなって、「私が気に入らないなら、無視してくださいよぉ!」猩々しょうじょうのような体格に体毛を生やし、中野区国軍の将官服で身を飾る、茶色に染めた短髪は逆立ち、歯茎を剥き出して笑う特徴の大男が私を見下ろしていた。



「気に入らねぇ? 違うな。可愛い子を嬲って楽しんでいるだけじゃ」



 うら若き乙女を嬲ることを趣味とする、見た目同様に悪役外道なこの男は中野区国五大将軍ウラバ・トキト様。普段は鷺ノ宮領を管理して隣接する練馬区国や杉並区国の動向を見張るが、なぜかこうして度々城に顔を出すとユリコ様に挨拶もせず、私を虐めて満足すると帰って行く変態の人なのです。



「ぐぅっ」



 睨み上げると喉元が大きく露わになり、トキト将軍はその無骨で大きな手で私の喉を締め上げたのです。慌てて彼の手から逃れようと必死に足掻くも虚しく、足先も地面を離れてバタバタとするだけで次第に失われていく酸素不足に涙と涎を垂れ流しながら、涙で滲んだ視界の中央にトキト将軍が愉しんでいる不愉快な顔が映り込む。



 トキト将軍の行為に目を見張った兵士達は急いで駆け寄り、自分たちより大きい彼から私を助けようと躍起になって説得するもまるで聞こえていないかのように私を見続け、笑顔をより咲かせていく。



 糞。この変態野郎。私が死んだらどうしてくれるんだ。流石に今回はユリコ様に言い付けてやると睨んでやると、ようやく満足したのか私の威圧におののいたのか解放してくれた。



「いい顔じゃ、いい顔じゃ。今日も良い物が見れたぞ」



 豪快に笑いながら私の垂らした唾液と涙が付着した手を見せつけるようにペロリ。ペロペロと舐め取り、これには酸素を必死に取り入れる私や集まった兵士達をドン引かせた。こいつはヤベェ奴だ。本気でイカレタハッピーマウンテン野郎だ。



 大股で城の敷地から出ると路肩に停めてあったスポーツカーを拭かして走り去っていった。



「大丈夫か。まったく、本当によく判らないお方だトキト将軍は」



 周りの人達に心配されながら私は倒れた自転車を起こしてペダルを踏み込むと、「あれ?」ガシャっという音がして後輪が引っかかり、振り返ると、蹴りを入れられた衝撃でホイールが歪んでしまっていた。これではもう使い物にならないではないですか。あの糞馬鹿ゴリラぁぁぁぁぁ、心の中で怒りの叫びを上げる。ご愁傷様でしたみたいな顔をする兵士達に、「自転車を貸してください!」全力で頭を下げた。



 ギアもついていない安物を借り受け江古田領まで地図を見ながら足に負荷を掛けながら自転車を漕いで、ようやく辿り着いたのは江古田領を管理する将軍の屋敷だった。



「すみません。ユリコ様の命令で参りました、ミナモト・カヤです」



 呼び出しベルを押してからヒリヒリする喉を使って名乗ると、これまた先程のトキト将軍とは別ベクトルの目付きの悪い男が出迎えた。



 痩せ細った身体に軍服も映えず、顎先に向かうにつれて細くなっていく顔は病弱な印象なんて抱かず、つり上がった口角と目尻はまるでヒットマンのよう。オールバックにした女性のような艶やかな長い髪先を腰元で揺らすこの男性は、カンダ・テツロウ様。トキト将軍と同様に中野区国五大将軍の一人である。



「何だ」

「あ、ええと、此方を渡すように言われてます」



 鞄から取り出した包みを渡すと、また私を睨んでいるのではないだろうけど睨んでいるようにしかみえない視線を向け、「首はどうした」私は自分の首をさすりながら、「トキト将軍に絞められました」この顔の怖い将軍様に嘘を言う勇気もなく本当の事を話した。



「中に入れ」

「え?」

「同じ事を言わせるな。薬を塗ってやる」



 見た目に反して意外と優しいと評判のテツロウ将軍に付いていき、掃除の行き届いた屋敷には、使用人や兵士がキビキビとした動きで自分の役割をこなしていた。



 彼等を観察しながら二階の両開きの扉の部屋がテツロウ将軍の部屋のようで、インテリアは何もない。執務机とベッドの他には小さな本棚を埋める分厚い本だけだ。生活感を一切感じさせない部屋にどう反応をしていいのか困惑していると、机から塗り薬を持ち出してきて、顎を見せるように指示すると指が食い込んだ場所に冷たくスースーする薬を塗ってくれた。



「ありがとうございます」

「構わない。アレには気をつけろ、あいつは気に入った奴を壊す」



 簡潔に話す彼とコミュニケーションを取るのも一苦労だが、私を心配してくれていることは確かに伝わったし、彼の好意も素直に嬉しかった。



「このお礼はいつかさせていただきますので」

「必要ない。用が済んだら帰れ」



 最後にもう一度だけお礼を言ってからテツロウ将軍の屋敷を後にした。このまま城に戻ってもユリコ様がいなければ小説も書けないし、この後やることも指示されていないから暇なのだ。



 トキト将軍とテツロウ将軍を含めて将軍は五人。残りの三人のうち二人はまともな部類で、もう一人は一番ぶっとんだお方だ。あの日の夜の記憶を抹消してしまいたい程の悪夢を植え付けたあの人は私にとってトラウマ級の災厄そのもの。



 思い出すだけで背筋が震える。記憶から悪夢を排除するには楽しい記憶で上書きするしかない。自転車をもう少し借りることにして中野駅前の繁華街へと向かった。



 中野区国民が一番集まる場所だ。サンモール商店街やブロードウェイはいつも賑わっている。国民や兵士が入り乱れる様子が見れるのは中野区国くらいだろう。ブロードウェイの地下には重火器を初めとした代物から、何千年も昔に存在していた侍や騎士といった身分の者が身に付けていた武具や武器などが高額で陳列する店、特殊な配合で作られた見た目も名前もヘンテコな野菜やら肉類を扱う店、何でもありの市場が展開している。



 一階二階三階は旧時代の名残でブランド品やどう見ても壊れているジャンクゲームや本といった物を中心に取り扱う。



 見ているだけでも飽きさせない摩訶不思議ダンジョンなブロードウェイをグルリりと見て回り、サンモール商店街から一本二本外れた通りの飲食店で昼食を済ますべく店を物色する。昼間から幸せそう恵比寿顔で酒を煽り飲む彼等を見て、ついついお酒を飲んじゃおうかな、なんて誘惑が一瞬だけ芽生えたけど夜にはユリコ様の付き人として出掛けなければならないのでグッと堪える。



 ちなみにですが二十歳未満の喫煙飲酒を禁じる法律が何百年か前までは機能していたそうですが、この通りそれぞれの文化で独立している国政を敷いている現代社会。統治する王が新たな法を制定し、中野区国では十五歳から飲酒喫煙を許されています。私は十六歳なので飲んでも問題はないのだけれど、一つ、二十歳未満が飲むことを許されている酒は五パーセント未満が条件であり、これを犯した者と提供した店には然るべき罰則が適応されるそうだ。



 何処も書き入れ時で空いている店も無く、比較的に空いていそうなランチ営業の居酒屋を選んで入店すると、どうして比較的に空いているのか店内を見渡して納得した。



 座席のほとんどが灰色一色の軍服姿で埋まり、その中で目立つまだ二十歳を過ぎたくらいの若い男性が私に気付いて手招きすると指先で隣の席を示した。此処に座れという合図。私は会釈をしながら椅子を引き、「こんにちは、カツシロウ将軍。だいぶ大所帯で店を占拠しましたね」こんな口調で他国の将軍を相手にすれば間違いなく極刑となるが、この国の、特に彼は身分を気にしない性分で、部下ともこうした砕けた関係を築いている。



「午前の演習でこいつらも腹を空かせてるからな。全員分の代を持つとなれば安くて食い盛りの野郎共を満足させる店なんて、ここしかないだろ?」



 白い歯を見せて笑う姿さえ品格を見失わない彼もまた中野区国が誇る五大将軍に名を連ね、唯一まともな二人のうちの一人、カツシロウ・ド・ベルクール様。異国人とのハーフとして産まれ、中野区国最高の剣の達人として兵士や国民から、その垂れた目尻は常に微笑み、穏やかな性格と緑色の瞳が美貌と相乗効果で人気を博している人物。だが、こうして昼間から酒臭さを漂わせる軍人としてダメな所も常識に囚われない彼の魅力……、といって良いのか悪いのか、庶民的な思考はユリコ様に似通っていて、そこに惹かれるのかもしれない。



「午後の仕事に差し支えない程度にしてくださいね」

「そんなことより、宮廷作家の仕事について僕は興味があるんだ。どうだろう、僕もちゃんと活躍させてくれないか。トツツキ区国王の傍らで冴え渡る剣技なんて文章で飾ってくれよ」

「主人公はユリコ様ですから、まあ、近くに居たら登場する機会も多いかも知れませんね」

「外伝で僕を主人公にしてくれてもいいよ?」



 酒臭くも愛らしい笑顔を向けられ、見ている光景と臭いのギャップというものは脳に変な錯覚を働かせる。まだ注文も頼んでもいないのに鯖味噌定食が私の前に置かれた。しかもご飯の量はどうみても私のような小柄な女性が食べきれる量を凌駕している。



「いっぱい食べて大きく膨らませないと将来の旦那さんに飽きられるよ」

「膨らむ……? ああ、そういう……。おいこら、やんのか、やるんですか!? 私だって怒ったら凄いんですからね、このセクハラ将軍!」

「凄いなんて言葉は男を籠絡できる身体になってから言おうね」

「ぶぅッころぉす!」



 握った箸を振り上げて襲いかかるも普段から鍛え上げている軍人相手に敵うはずもなく、周囲からは酔っ払いの酒臭い歓声。余計に私の怒りに油を注ぎ、女を身体でしか判断できない腐れ野郎に一発見舞わなければ気が済まない。



「はいはい。僕が悪かったよ。余計にお腹が空くから食べたらどう。食べきれなかったら僕が責任を持ってキミの使用した箸で見事完食してご覧に入れよう」

「私の食べ残しが食べたいなんて変態ですね! トキト将軍と同列の変態ですよ!」

「僕をアイツと一緒にされるのは心外だよぅ」



 アレとかアイツとかと散々な言われようだけど、それは普段の行いが悪いトキト将軍に非があり私は擁護するつもりもない。それよりもこの変態野郎に一発を……、と意気込むが店員からデザートをオマケしてもらい、彼の顔を立ててこの場を収めることにした。



 次、胸のことを言ったら確実に殺す。



 私は鯖味噌定食をしっかりと噛みながら神に誓うのでした。

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