第2話 中野区国王トツツキ・ユリコ

 中野区国宮廷作家として活動を初めて三日が過ぎた。その間に何をしていたかと言えば、住民権もまだ得ていなかった私に王が口添えをしてくださり城の近くにアパートを借り、生活必需品を初め原稿用紙等々を揃えつつ、中野区国の地理把握の為に自転車を乗り回していました。



 ワンルーム部屋の端っこに置かれた電話の呼び出しで起床した。昨日はずっと自転車を漕いでいたため疲労と筋肉痛のダブルパンチのお陰で上手く起き上がることかなわず、某ホラー映画の主役のように床を這いずりながら受話器へと手を伸ばし、「はい。ミナモトです」寝起きの声もそれこそ怨霊じみた低く生気の無い声なわけで、「起こしてしまったかな。それは済まないことをしたが、緊急で城に来てはもらえないか」寝ぼけている私を気遣ってゆっくりと喋ってくれた、気品と威厳を持ち合わせた低く優しい声の主こそ中野区国を統べる我が王、トツツキ・ユリコ様であらせられる。



 彼女の声を聞いただけで反射的に身体の痛みも忘れて起立。受話器から伸びるコードに引っ張られた電話機が宙づりになって、膝を何度も強打するのも構わずユリコ様に返事を返す。相手が切ったのを確認してから受話器を置き、覚醒した頭の中にはすでに出掛けるまでの準備の手順が構築されていた。



 湯沸かし器の電源を入れて蛇口を捻り、パジャマから制服に着替える。タイミング良くお湯が出たので顔をジャブジャブと洗って歯を磨いたら、ざっと戸締まりやガス栓を確認して玄関に下げてある自転車と部屋の鍵を手に木造二階アパートの階段を駆け下りた。



 自転車で三分ほどの場所に城があり、大日橋通り坂を上ると早稲田通りと紅葉山通りが交差する十字路を中野駅側へと折れてすぐに城はある。



 中野区国指定の灰色軍服の兵士達に元気よく挨拶をしながら自転車を停めて、敷地内に配備された小型戦車や軍用バイクの間を走り抜ける。ロビーから正面階段を折り返しながら登り最上階突き当たりにある王の間で呼吸を整えた。



 男性兵士にその場で待つよう言われ彼は部屋の中へ。直ぐに扉が開き、「どうぞ」私と入れ替えで彼はまた扉の外に出た。



 王の間は広い正方形。左右に並ぶ女官や諸々の中野区国王の政務に必要な人材が控えている。玉座にしては地味な木製の椅子に腰掛ける背の高い三十代中程の女性が私を見て軽く手を上げた。頭を垂れて彼女に膝をつこうとしたら、彼女は玉座から滑るように先に膝をつき、私の両脇に両腕を差し入れてそれを阻んだ。



「そんなことをする必要は無いよ。電話でも謝罪したが呼び出して済まなかったね。カヤ、キミが中野区国で宮廷作家をしていることが渋谷区国王に知れたようだ」

「え、それってつまり私は……」

「案ずるな。キミを奴に引き渡すようなことはしない。キミはもう私が守るべき可愛い中野区国民だ」



 そう言ってゆっくりと立ち上がり、付いてきて欲しい、と私の手を引いて王の間を後にした。彼女の歩く後ろ姿はなんとも優美で、黒の長い髪を折り返して挿したかんざしのなんたる雅なことか。なにより彼女が歩けばカッカッと下駄が鳴り袴は揺れる。着物の袖から露わになる人形・・のような人間味を感じさせない白い腕と同様に日焼けを知らない髪から垣間見える横顔と碧色の瞳。



 そんな見目麗しく造られた彼女は人造人間。



 二階にある一室。大きなスクリーンが窓際から垂れている。カーテンを閉めて照明を落とすとスクリーンが白く発光しだす。スクリーン左右に置かれた大きなスピーカーからは電話の呼び出し音。ブツリと音が途切れると同時にモニターには見知った顔が映し出されて生唾を飲んだ。



「手間を掛けさせたね、中野区国王」

「手間という程ではないな。手間というのならば、そなたが中野区国に派遣した間者ではないか。私がしたことと言えば、彼女を電話で呼び出したくらいさ」

「簡潔に言うと、その娘の身柄を渡して欲しい」



 身柄が渡されれば最悪の場合は処刑される。渋谷区国の軍事力や技術力は東京五大区国に数えられる強国であり、もし下手な事を言えば私を大義名分に掲げて戦争を仕掛けてくる可能性もないとは全く言えない。相手が頷くと高を括っているからこそ画面越しの彼は穏やかな面持ちで、内心では中野区国王が平伏するその瞬間を心待ちにしているのが見え見えだ。



「お断りしよう」

「なに……。そっちの通信設備が劣っているのか、よく聞き取れなかったが?」

「ここは一つ、私とビジネスをしないか?」

「その娘を買うと言いたいのだろうが、生憎だが国外逃亡者を見逃したと知られると渋谷区国は恥を晒すことになる」

「元から私に譲る取り決めがあったことにし、彼女は約束通り中野区国へと馳せ参じた。もちろん直ぐに渋谷区国に貨物車両の手配もしよう。貴重な宮廷作家なのだろう、それなりの金品や資源は提供させて頂くつもりだ」



 私なんかの為にそこまでの支払いをすると提示したユリコ様に対し、画面の向かい側では悩む素振りもまた端正な顔立ちの渋谷区国王、オウガイ・ヒノヒコは女性受けの良い笑顔を、「金銭一千万と中野区国で開発を推し進めている、科学兵器開発案の特許譲渡と完成までの協力でどうかな?」悪意に滲ませて提示に対しての返答。



 こんな馬鹿げた条件なんてあるはずもない。宮廷作家の年収でさえ二百万もいかない不遇の職であり、彼は一国一人雇用の宮廷作家を腐らせるほど抱え込んでいる。私一人がいなくなったところで困る要素もないというのに、一千万の金銭に加えて今後の中野区国発展を願う開発技術の特許含めて譲渡しろなんてのは横暴だ。



 横暴と判っていてユリコ様がどのような判断を下すのか楽しんでいるに違いない。しかし、ユリコ様は熟考する間もなく、「いいだろう。直ぐに金銭一千万と兵器開発に関する資料ならびに技術者数名を輸送しよう」そう言って近くにある回線電話へと手を伸ばし、条件とされる全てを渋谷区国に送るように伝えると電話を切った。切る直前まで受話口の向こうから事情を伺おうとする焦燥の声が聞こえた。



 オウガイ区国王もこれには呆気にとられ、渋ってくるか断るかの二択だと踏んでいた予想が外れ、「えっ、え……、マジか」なんて無意識に言葉を漏らしている。



「ユリコ様、どうして!」

「私は約束事と一度自分の意志で口にしたことを違えるつもりはないからね」



 再びスクリーン越しにオウガイ区国王と向き合い、「そなたも荷受けの準備をされるといい。話は終わりでよろしいな?」挑発するように睨み付けたその碧い眼差しは力強かった。



「たかが人間一人だぞッ!? どうしてそこまで出来るというのか! 愛玩人形の考えというのは人間様には理解ができませんよ」

「私も恥ずかしながら私がよく理解できていないのでな。人間は人造人間より複雑な思考回路をしているらしいが、私はただ一つの決めた事を優先させるだけだよ」



 言い返そうとするオウガイ区国王が口を開きかけたがユリコ様が勝手に通信を切った。これ以上は相手をするのも面倒臭いと言っているかのように微笑んで、「これでカヤはもう大丈夫だよ」私の手を握り、「改めて宜しく頼む。キミが綴る物語の主人公として、恥のない人生を生きねばならなくなったな」もうこの時には感極まっていた私は、まともに言葉も返せずに泣きじゃくっていると優しくその駄肉のない胸で抱きしめてくれました。



 今日はこのまま休務にするということで、護衛の兵士を三名付けて買い物に出ることになった。ユリコ様が街を歩けば国民達が歓声を上げる人気ぶり。この美貌と合わせて親しみと理解のある人格者が内政を敷いていれば納得もいく。買い物ついでに技術者たちに謝罪をしにいくとのことだが、私に余計な気を遣わせないために、あえて次いでに研究施設に行くと言ったのだろう。



 研究施設は都立家政にある大きな白い建物。煙突が幾つも伸びてモクモクと黒煙を吐き出している。研究施設の為に造られた水路に薄めた薬品を排出してそのまま浄水場へと流れていく。



 中野区国王の訪問に技術者達は大慌てで迎え入れ、もちろん彼等はありえない命令を下した彼女に対して、「無礼を承知で申し上げさせて頂きます。我々の……、中野区国発展の技術を易々と渋谷区国に譲渡するというのは一体どういうお考えがあってのことでしょう」自分たちが住む中野区国をより良い豊かな国にするべく、日夜研究に埋没していた彼等からすれば納得が行かないのは当然のこと。



 彼等を説き伏せるだけの言葉をユリコ様は用意されているのか。



「キミ達が懸命に、そして努力も惜しまず真摯にこの国を想って研究に勤しんでくれたのは重々承知している。しかし、キミたちの努力を無下にしてしまった私を愚王だと罵ってもらっても構わない。一人の国民を守るべく、大金と国の財となる技術を秤に掛けて判断したのだから」



 正直に話してどうするのか。これでは余計な反発を買い、国民から国と区国王に対する信頼は失墜してしまう。背後に控える兵士たちはどう諫めるのか、彼等が暴動を起こした際にどうやって守り、対処するのかを思案している様子だ。同じように今頃は内政機関では国民に対してどう誘導するか等の議論をされていることでしょう。



「区国王として区民の努力を蔑ろにした罪は大きい。そなた等を処分に問わない。まずは私を好きなだけ罵り殴るといい。それでも気が済まぬというのであれば、路肩の石をぶつけてくれて構わない」



 その場で下駄を脱ぎ、背筋を伸ばして正座をした。



「お前達も今から彼等のする事には一切の口を閉じ、目を瞑れ、よいな?」



 そんなことを言われて、はい判りましたなんて素直に従えるはずもなく、なんとかユリコ様を諫めようと両側から彼女を立たせようとするが、彼女は頑なに動こうとしない。それどころか、その細腕に秘められた豪力を駆使して体格を上回る男達を軽々と薙ぎ払った。



「忠義嬉しく思う。しかし愚かな王にも罰は適応されるべきだ」



 戸惑いながら顔を見合わせる技術者達の前に私はユリコ様との間に割って入り、膝をつき額を地面に擦りつけていた。



「ごめんなさい。私が……、私が渋谷区国から逃亡してしまったばかりに、皆様に、中野区国王に、多大な迷惑と損害を被らせてしまったこと、ここに謝罪させてください。申し訳ありませんでしたッ!!」



 背後から、「カヤは何も悪くはないよ。全ては渋谷区国を恐れ、弱腰に金品や彼等の努力を明け渡した私に責があるのだ。そんなに頭を擦りつけてはいけない。女の子ならば顔は大事にしなさい」私の両肩に手を置き、ゆっくりと背筋を伸ばさせた。



「ほら、血が滲んでしまっている。すまないが彼女に手当をしてあげてくれないか」



 起き上がって様子を見ていた兵士達に声を掛ける。彼等も諦めたように私を軍用車へと連れ込み、「あの人は甘すぎる。王ってのはもっと貪欲で、民は王のために在るくらいに思っていてくれれば俺達も楽なんだけどな」一番若い兵士が表情を歪めて吐きながら私のおでこを消毒して処置してくれた。



「トツツキ・ユリコ様は王の器ではない。純粋過ぎるお方だ」

「だよな。王の器でもなく人間でも無い。だからこそ今までこの中野区国は成り立ってきたんだろう。違うか、マサヤ?」

「ああ、そうだよ。トツツキ区国王がいたからこそ、俺達のような輩でも生きてこれたんだ。俺達にはあの方しかいないってことくらいは承知している。しかしだ、あの人は高潔で、人間を信用し過ぎている。だからこそ危うい!」



 この世界には人間の他に人造人間という種族が共存している。人造人間は何百年か前に種として機能し初め、人間の代理戦争やその優れた容姿から愛玩人形として扱われていたが、平和な世の中になると彼等は高度な知性を存分に発揮して種族として人間と同等であると認めさせて以来、こうして社会の中で共存し、あげくには区国王として君臨されるまでに至ったのがユリコ様だ。彼女は他の人造人間よりどこか人間に近い複雑な思考を持っているようにも見える。



「あの、大丈夫でしょうか?」

「大丈夫なはずがない。お前は宮廷作家としてこれも後世に残すのか?」

「はい……。私たち宮廷作家は嘘偽りなく真実を後世に王を主人公とした物語を書き残し、歴史書に貢献する役割がありますから」



 手出しするなと厳命され、実力行使の手個でも動かないユリコ様を相手にもはや人間はどうすることも出来ず、彼等も見守る他にないと諦めている。



「言質だけでは不安ならば署名もしよう」

「そういうことじゃないんです! 貴女は区国王なのです。たかが一人の人間に対して国の財をいちいち渡していたら、いずれこの国は滅びてしまう! 人より財、財在っての国なのだとご自覚ください!」

「人が国に劣るなんてことあってはならない。どのような生まれも育ちも関係なく、私が区国王としてこの地を治めている限りは人こそ至高の財だよ。それが気に入らぬのならそれは仕方ない。認めたくないのであれば、私から区国王の座を簒奪してみせればいいだけのこと」



 それに付け加えて、「区国王などというのはただの国の代表に過ぎない。罪在れば罰する。それは平民も軍人も一国の王の身分問わずにな。許してやりたい、許して欲しいからこそ、下さねばならない」この場にいる財を成そうとしていた者達に誠意を見せたいともう一度告げた。



「では、区国王。我々の要求や行動は貴女の誇りに誓い守って頂けるのですね」

「そのつもりだ。どんな罰でも甘んじて受け、請求も支払う」

「では」



 代表して前に出た責任者のような男が咳払いをして背筋を伸ばす。



「中野区国王、トツツキ・ユリコ様には我々の研究を剥奪した罰として……、罰としてぇッ」



 声が震えている。王に対して罰を言い渡そうとしているのだから恐怖がないはずもない。



「これまでの研究の代替となる、いえ……、それ以上の中野区国繁栄に繋がる研究案を求めます!」



 研究を奪われたのだから代わりの研究をさせろという研究者らしい罰を、「承知した。では、今からその研究内容を提案してもよろしいか?」微笑んだユリコ様に全員が呆けた顔をした。



 あらかじめ代替案を用意していたのだ。



「キミたちが推し進めていた研究の派生として考えていた案がある。しかし、これまで以上に複雑で難解な研究となろう。だが、その恩恵は計り知れない」



 荒唐無稽な夢物語のような研究案を口にしたユリコ様は誇らしく、その案を信じている様子。現実的思考回路を持つ技術者達も最初はその内容に愛想笑いや苦笑いを浮かべるも、彼女の説明でそれが現実的であると判るや、恐怖と意欲が同時に湧いたような顔をした。



 たしかにそんな技術が完成されれば中野区国は……、いいや世界の均衡が崩れてしまう。

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