第28話
美羽は、自分のロッカーを片付けをし、帰り支度をした。そこへ良枝が、
「あの娘、手当している間、こんなこと言っていたわ。「私達の良く知っている人が、もしも、オリンピックに出たりしたら素敵ですよね。もしも、先輩がそういう気持ちになれたら、私、一生懸命サポート出来る。」って。期待していたのよ。そう、あなたにね。」
「そんな……」美羽はそれ以上返さなかった
「そうよね、私も、そう思う。過大評価だわ。でもね、他人の期待は無碍にしちゃダメよ。少し、ゆっくりなさい。」と言い残し、良枝は、更衣室を出た。
“過大評価よ”は良枝の本音であろう。今回の、厄介事への皮肉と、美羽は思った。
――自分は何処行っても厄介者かも知れない。――
と気持ちはふさぎ込んだままだった。
帰り際の風景がこんなにも無機質に映ることは今までなかった。デパートのウインドウも、行き交う人々も、冷たい空気の様だった。美羽は、明日にでもハローワークへ行こうと考えていた。自宅へ帰り、缶ビールを開けた頃、無料通話アプリの着信が鳴った。主は千絵だった。美羽は、千絵にさとられないようにするために、一口ビールを飲んで、着信のボタンを押した。
「もしもし、」
「もしもし、」
悟られないように一段高い声で呼びかけに応対したが、
「なんか、あったでしょ。」と、カウンターパンチのような一言が飛んできた。長年の友は騙せないと観念した。
「わかるんだ。」
「わかるんだ、じゃないわよ。何年、あんたの友達やっていると思うのよ。何処にいても、私は如月美羽の事はお見通しだわ。」と、千絵は鼻で笑った。親友の高飛車な態度に観念した、美羽は、この数日の間に起きた出来事を、ざっくりと話して聞かせた。美羽が話し終えると、千絵は、
「そうね……そういうことは、何処へ行ってもそれはあなたに付き纏うことかもね。だってそうじゃない、あなたが如月美羽を辞めるんだったら別だけど、そういう訳にはいかないでしょ。私だって辞められたら困るわ。」と言った。
「私は、そういう存在じゃない。期待を背負って走れるほど、速くもない。」
「そうね、回りの期待を背負うのは自惚れかもね。」
美羽は黙っていた。千絵は良枝と同じようなことを言った。
「他人の期待をどう思うが勝手だけど、その、みほこちゃん?いい娘ね。可愛いわ。そういうピュアな気持ちを他人に求められるのって、美羽を信じていることじゃないかな。ちょっと灼けちゃうな。」
少し二人は沈黙した。美羽が先に、口を開き、
「明日、ハロワ行こうかと思ってる。次の職場探さないと。」
「ちょっと待ちなさい。」千絵が遮った。
「職場を変えるなんて事は絶対しないでよ。そういうの、あんたの一番悪いところ。別に、首って言われたわけじゃないんでしょ。後悔だけして、全く反省してない。」と、叱った。美羽は千絵の強い口調に、驚いて言い訳をしようとしたが、その後の言葉が続かなかった。
「折り合いをつけるって、時間がかかるものかもね。美羽にとってはまだ、過ぎ去った過去じゃないのよ。」千絵は、先ほどとは違う優しい口調で、慰めるように言った。「テレビ電話にして、美羽の顔が見たいわ。」と言い、美羽は言われるがまま、音声通話をテレビ電話に切り替え、千絵に顔を見せた。千絵は普段のテレビ通話のときと変わらない様子で、
「疲れた顔して美人が泣くぞ、この。」と言った。
「ごめんね。」美羽が呟いた。
「謝るのは、みほこちゃんに、でしょ。」千絵は優しかった。美羽は、少し笑顔になり、
「うん。」と子供のように、頷いた。
「少しの勇気よ。でも、年取ると、その勇気を出すことも億劫になるのよね。」千絵は、そう言うと、「頑張れ、」と続けた。
「ありがとう。明日、お父さんのお墓参りに松本へ帰ろうと思ってる。」
「そうね、少し頭冷やしたら良いと思う。美羽のお父様も喜ぶだろうし。あと、ハローワーク行くよりは全然、良いことね。私も今度帰ったら、ママのお墓参りをするつもりよ。いつ帰れるかわからないけど。」
と、千絵が続いた。続けて、
「元気だしなよ。」
「ありがとう。」
「礼は要らないわ。親友として、当たり前ですもの。」
白々しく聞こえるが、今の美羽にはとても嬉しかった。
「私、ちゃんと謝れるかな。」美羽は心細そうに言った。
「それは、あなた次第。ちょっとの勇気よ。いろいろと聞きたいことがあったけどまあいいや、今度で。」と千絵は言って、別れの挨拶をしてから電話を切った。千絵のいつもの別れ際の言葉がなかったが、美羽は少し元気になれたような気がした。が、今回も、千絵の様子を聞くことは出来ずに終わった。しかし、今の美羽には千絵のことを受け止められるほどの心の余裕もなかった。もしかしたら千絵は何か話したくて電話をくれたかもしれない……
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