第20話
ポットを持った沙織はグラスに水を継ぎながら、
「そんなに、ストイックにしていて、好きな人は居なかったの?お年頃なんですし。」と、水をさした。すると西條は、「沙織さん。」と咎めた。美羽はコップを口に当て、西條と沙織を交互に見ながら、「良いですよ。」と言って、話を続けた。
「これは、今の話より少し後になるんですが、あれが初恋っていうのですかね。中学の時は気になる男の子はいました。でもそれって、クラスの女子みんなが気になる男の子ってやつで、結局、好きとかそういうのじゃあないんですけどね。後、中学時代は先ほどお話したこともあったので。」
沙織はそれに頷いた。沙織は聞いていないふりをしていても耳に入っているだろう。美羽はそう考えた。そして、今自分語りでアドレナリンが出まくっている高揚感を台無しにしたくなかった。
「高校行ってもそういう気になる人がいたかもしれませんが、彼氏が出来るって何だか漫画や小説の遠い世界に感じていましたし。だから、私の事を好きになってくれた人を必然的に好きなるって当然だったかも。」
沙織は空いている椅子に腰かけて、美羽の話に食い入った。西條は迷惑そうな顔をして沙織を見た。
「放課後、グランドを走っている私を観察している男子生徒がいました。陸上部の誰かを見に来ていることはわかったのですが、私も含め部員のみんなは、最初は気味悪がっていました。」
「どのくらいのペースで見に来ていたの?」と沙織が質問した。
「あのときはほぼ毎日だったかな?」
「毎日?まるでストーカーじゃない。」沙織は驚いた。美羽は、
「そうなんですかね。見方によればそう見えるかも。しばらくすると、スケッチブックを片手に見に来ていて、私達を見ながら絵を描きはじめて。スケッチをしている様子でした。それから素性がわかって、三年生の先輩で美術部の副部長って事がわかりました。そうなると、誰を目当てに見に来ているか、話題はそちらに動いて……」
すると、西條は、「まるで、巨人の星だな。」と洩らした。美羽と沙織は二人で西條の顔を見合わせた。
「そんな話が。絵を描く事が好きな青年(牧場春彦)が、毎日主人公、星飛雄馬の姿をスケッチしているから、投球フォームの異変に気付くってエピソードが。」と説明すると、二人は納得の声を上げた。そして美羽は話を続けた。
「ある日、先輩の一人が、私の走っている姿を追ってスケッチしていることに気付いて、彼に声をかけたんです。それで、彼を私の元へ連れてきて、そしたら、彼が、言うんです。」
沙織は前のめりで聞いている。美羽はその前のめりの沙織を避けるように西條に視線を送りながら、
「私をモデルに絵を描きたいって言って……」
沙織は、それを聞くと悲鳴を上げた。美羽は、沙織の悲鳴を迷惑そうに聞いている西條に目を合わせて笑った。沙織は、
「それで、モデルになるのは承諾したの?」
「はい、特に断る理由もなかったもので、それにモデルになって欲しいなんて言われたの、初めてだったですし。だから、雨が降った日のような、部活が休みの日には。」
「で、ヌード?」沙織が質問した。美羽は、若干の含みを持った言い方で、「まさか、ユニフォーム姿ですよ。」と言った。「モデルになっている間や、休憩の時間はおしゃべりして、デートの約束をして、気付いたら付き合っていたのかな。」
「どっちが告白したの?」と沙織が聞いた。美羽は、
「彼からです。」と答えた。沙織は、矢継ぎ早に、
「どこで?」と聞くと、
「さっきから興味津々ですね。」と笑いながら、
美羽は「こういう話楽しいですよね。」と言いながら、美穂子や良枝が楽しそうな笑顔を思い出した。「これか。」美羽は沙織の反応で理解した。
「放課後、美術室です。高校の美術室、校舎の西側にあって、あの日は一段と夕日が眩しくて。」と言うと美羽は、日射しを避けるような目付きをした。
「ロマンチックね。」沙織がうっとりと言った。美羽は、
「ええ、そうですね。告白されたとき、私は特に驚きませんでした。彼が私の事を好きなのは知っていました。そういうのって態度でわかりますよね。とても、優しい人でしたし。私の事を大事にしてくれたから私も彼の事を好きになるのにそんなに時間がかからなかった。思うとピュアでしたね、二人共。趣味とか全く合いませんでしたけど。彼はインドアで、運動神経が良い訳ではなかったですし。」
「デートとかどうしてたの?」
「もっぱら彼に任せていました。映画、映画デートが多かったですね。あと美術館や博物館とか。絵を描いていたから、美術館が多かったですね。企画展があるとよく行きました。お陰で、有名な画家の絵画位はわかるようになりましたし。あとは、彼の家に行って、素描、ドローイングのモデルもしました。でも退屈じゃありませんでしたよ。モデルになっている間、色々なお話して。ちょうど、そうですね、今日みたいに。」
すると、ずっと黙っていた西條が質問した。
「君は絵を描いたりしないの?彼氏君に教わるとか。」
「それが、さっきも言いましたが、私、絵を描く事は苦手で。美術の成績はよくありませんでした。だからですかね。彼と付き合ったのは。さらさらと筆を動かして描く姿がとても格好良く見えましたし。」美羽は少女のような過表情をして笑った。
「じゃあ、ヌードになったりしたの?」
「沙織さん!よしなよ。下世話なんだから。」西條が嗜めた。
「マサくんだって男の子なんだから、当然知りたいでしょ?」と沙織はからかった。西條は、
「沙織さんが興味あるだけじゃないか。」と少しムキにになった。
「芸術家の彼氏と、その彼女なんてそういうのがないと変じゃない?」
美羽は、この二人のやり取りが年上でありながらも可愛らしく思えた。沙織が美羽に「ねぇ。」と相槌を求めたが、美羽はその質問には、
「そんなの、秘密ですよ。ご想像におまかせします。」と答えた。沙織は、
「じゃあ、そういうのもあったって思って良いんだね。」と期待を込めていった。
「で、それからどうなったの?」
「しばらくお付き合いは続きました。それから、彼が卒業して、大学進学のために東京へ行って、遠距離恋愛が続きました。電話やメールのやり取りが続いて、5月の連休には彼が帰郷して、そのときは少し痩せて帰ってきたのをものすごく心配したりして。それから夏休みになって、私の方から東京に行きました。私にとって初めての一人旅。でも、人って変わるものですね。 彼は自分っていうのをしっかり持っていて、そう簡単に周囲にたなびいたりしないのが魅力でした。私がそう勝手に見ていただけなんですけど。本当は、美術系だからこそ、感受性が豊かでとても感化されやすくて、なんか違ったな。あと、浮気してた。一緒にいても私のことなんか眼中にない感じでした。まるで子供扱いして。周囲から与えられる刺激のほうが彼にとって見ればよほど魅力的で。きっと浮気相手もそういう感受性が豊かな人だったんでしょう。私なんか片田舎の陸上少女にしか見えなかったでしょうね。」と苦く笑った。
「ショックだった?」と沙織が恐る恐る聞いた。
「それは、もちろん。帰りの高速バスの中でずっと泣き通しでしたよ。まだ一七歳になったばかりでしたし。彼に気に入られてお付き合いを始めたけど、そのときに、本当に好きになっていたんだと思いました。東京が恨めしかったですね。彼を変えてしまった東京が。だから当時の私は東京には絶対に暮らさないって誓いました。」
「でも、今はその東京で暮らしてる。」と西條が言った。
「ええ。わからないものですね人生って。暮らしてみるとそんなに悪いところじゃないって。刺激的で。私のような性格の人間には合っているかも。」
沙織が、「その後、彼氏と別れて……?」
「はい、頭に血が上っていましたから、私が持っていた、彼の描いた絵をナイフでメチャクチャに切り刻んで彼の家に送ってやりました。」美羽は静かに言った。
この告白には、西條と沙織は声を揃え「怖いっ。」と声を揃えて、顔を見合わした。美羽は、
「そうですよ、当然の報いですよ。純情な乙女心を傷つけると怖いんですから。」と涼しげに言った。それには沙織も同調した。沙織は、
「ありがとう、ごめんなさいね。お邪魔して。楽しかったわ。」と言って立ち上がった。続けて、「ちょっと待ってて。」と言って席を離れた。
「申し訳ないね、話を脱線させて。」と西條が謝った。美羽は、
「いいえ、懐かしかったです。初恋の思い出なんて、誰かに話すなんてした事ないですもの。でも、ちょっと恥ずかしいですね。」
「話のついでだけど、その絵を送った後、彼から何か返事とか連絡はあった?」と西條が質問をした。西條も結局、興味はあったのだと美羽は思った。
「すぐには来なかったです。でも、何年かして、そう、つい最近、六年位前かな。東京に暮らし始めて割りとすぐだったと思います。エアメールが実家に届いて。ドイツで暮らしている事と、結婚の報告でした。お相手はフランス人ですって。彼はその後大学を卒業して、ドイツに渡って、自動車メーカーに就職したそうです。今は車の内装のデザインをしているって書いてありました。あと、絵は私が切り刻んで彼のもとに送ったものが綺麗に修復されて送られてきて……なんか、その絵を見た時に、反省しちゃいました。」と話を締めた。西條は、
「ありがとう、ちゃんとオチがついたね」と言った。
「彼はずっと絵のこと気にしていたのでしょうね。私は切り刻んだところで満足しちゃいましたけど……私はあのとき、彼のプライドも一緒に傷つけたけたんだと思います。でも、あっちのほうが大人で一枚も二枚も上手でしたね。私はそれがわかるまでにかなり時間はかかりましたけど。」
「で、その時、陸上はどうだったの?」と西條は沙織のお陰で大きくそれた話を軌道修正した。すると、沙織がシフォンケーキ持って来た。それを美羽の前に差し出すと、
「楽しいお話を聞かせてもらった、お礼ね。これは私のおごり。」
「美味しそう。」美羽は素直に喜んだ。「良いんですか?」と、聞いた。「ええ、遠慮しないで召し上がって。」
美羽は、「すみません、ありがとうございます。それじゃあいただきます。」とってフォークを手に取った。
「沙織さん、悪いね。」と西條が謝った。
「いいえ、マサくんにはないけどね。」
西條は気が抜けたように笑いながら、美羽のフォークで大ぶりにケーキをカットして口に運んでいる姿を写真に納めた。
「ちょっと、それは止めてくださいよ。」と美羽は抗議した。まるで子供が抗議をしているように無邪気だった。西條はコーヒーのおかわりをした。
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