第16話
「何をお話しすれば良いのでしょうか?」と尋ねた。西條は少し間を置いて、
「そうですね……自己紹介。どんな子供でしたか。どんな大人になりたかったか、とか。」と立て続けに質問をした。美羽はストレートの長い髪をかき分けてはにかんだ。笑うと左側にエクボが出来るのを西條はじっと見つめた。
「自己紹介って難しいですね。名前は知られているんで、Wikipediaに書かれていることを改めて紹介するのもなんですし。」
そう言って戸惑う美羽に西條は、
「そうだな……、今現在の如月さん、貴女の自己紹介からどうですか。」
「あ……はい。わかりました。えっと、私、如月美羽です。今、新宿の診療所で看護師やっています。趣味は、趣味は走ること……。」
美羽はそう言うと、「恥ずかしい……」うつむいた。
「いいよ、いいですよ。そんな感じで。それから、どんな子供でしたか。」と、西條は質問を続けた。
「そうですね、子供の頃か……」美羽は、やや遠くを見ながらしばらく考えた。
「小さかった頃は現在のように大人になるなんて想像なんてできなかったかな。 小さい頃は、子供のままでずっと続くと思っていました。……父が亡くなるまでは。」
「お父さん、亡くなられて……差し支えなかったら、いつ頃亡くなったのか教えてくれる。」
やや、西條の口ぶりが優しくなった気がした。できればもう少しフランクに話してほしいと思ったが、まだお互いそういう空気ではない。質問されてぎこちなく答える姿はまるでお見合いをしているようだ。
「私が十歳の時に。交通事故でした。」美羽はコーヒーを乾いた口に一口運んだ。西條はそれを確認してからコーヒーを口に運んだ。砂糖やミルクは入れなかった。
「私の実家はお寿司屋で、母方の祖父が始めました。祖父は元々東京生まれで実家は戦前、海苔養殖を大きくやっていたようです。戦争が始まって、祖父は、遠縁がいる松本市の温泉旅館は引き取られました。疎開ですね。そこで終戦を迎えたのですが、実家は東京大空襲で焼かれてしまい、そのまま松本に居付くことになります。疎開先が温泉旅館だったこともあってそこに住み込みで。そのうち板前として働くようになって、その旅館に丁稚奉公していた祖母と結婚します。」
「よく知ってるね。なかなかそういう家族のことを話せる人っていない。」と西條が口を挟んだ。
「ええ、私にとって忙しい両親の代わりに祖父母が親代わりでした。祖父には、小さい頃は童話や昔話の代わりによく聞かされました。」と言った。西條は美羽の笑顔を見過ごさないようにカメラを構えてシャッターを切って言った。
「今の笑顔が撮りたくてね、ありがとう。」
初めてそんなことを言われて写真を取られたことに美羽はおどけた。
「どうぞ、続けて。」
「宿六ってご存知です?」美羽は西條に質問した。
「宿六。ああ、わかる。宿にいる、ろくでなし。」
「はい。祖父母が結婚したときに祖父は若くして旅館の板長になるんですけど、それは遠縁であった先代の主人にはとても可愛がられたからなんです。でも、その後を継いだ先代の娘婿が相当な放蕩者、宿六だったそうで、なにかと祖父と反りが合わなくて遂には大喧嘩をしてしまい、辞める、辞めないで相当揉めているところ、運良くすぐ近くの旅館に引き抜かれて、そこで夫婦共々働くことになって……当時は、高度成長期で会社や団体の旅行が流行った時で景気も良かったんでしょうね。その時に私の母が生まれて、市内に家を購入して……あ、丁度その新しい旅館の板長から寿司の握り方を教わって、それらが転機だったんでしょうね、しばらくしてから独立します。」
「じゃあ、お父さんは婿養子さん。」
「そうです。父は祖父の下で修行をして、それから母と結婚するときは、祖父はお店を任せていました様です。祖父は半ば引退状態で悠々自適だったようで。たまに板場に立つくらいで。でも、父が交通事故で亡くなったとき、状況が一変します。」美羽もようやく話が乗ってきたのか、「兄はその当時、高校二年生でした。サッカーをやっていて地元のクラブチームに加入していました。有名な有力クラブからスカウトされていて、将来はJリーガー何て言われていましたね。父も祖父も兄に家業を継がせなくてもよいと考えていたようなんですが。そしたら、父が急に亡くなってしまい、選択を迫られました。でも、私達家族は生活していかないといけませんし、それに、母は外で働いた事がない人だったので、何処かへ働きに出るなんて出来る人ではないですし。父が亡くなったときはひたすら狼狽えていたのを子供心によく覚えています。だから、兄には、選択の余地はなかったと思います。それから兄は技術を身につけるために、高校を中退して、一年間祖父が懇意にしていたお店に修行に出されて、一人前になるまで、その間、祖父が板場に立ち、家族と共にお店ののれんを守りました。」
「その間、君は。」
「家族は家を守る為にてんてこ舞で、私は、放って置かれました。家に帰れば誰もいないですしね。家族はみんな忙しくて私の相手なんかしている暇なんてないです。ただ、兄が修行から帰ってきて、暫く経ってからは祖父母が少し相手にしてくれるようになったかな。」
「その時から陸上を。」
「いえ、まだです。小中学生の時は水泳やっていました。」
「水泳。」
「はい。父が始めさせた事なんですけど。私はそのきっかけはよく覚えていないんですね。小児喘息の疑いがあったらしくて。」
「ああ、水泳が良いって聞くものね。」
「はい。だから、始めさせたって。私も嫌いではなかったから、近くのスイミングスクールに通って、中学生になったら水泳部に入部して。」
「泳ぎは上手いんだ。」
質問に美羽は口元を緩めた。
その「上手でしたら今でも続けているかも。ごくたまに、ジムに行った時くらいは泳いだりしますが、そうでもないですね。」
謙遜かもしれないが、西條にはそうは聞こえなかった。恐らく本音だろう。
「色々あって中学二年生の時に辞めちゃいましたけど。」
「高校受験のためではなくて?」
コーヒーではなく水を一口入れながら美羽は頷いた。それから目線を西條から逸らし、少し間を置いた。
「もう、時効かな。話してもいいかな。」誰ともなく独り言のように呟いてから、カウンターの沙織を気にしながら「ここだけの話でお願いします。」と西條に念を押した。西條は、
「良いよ。オフレコで。」と、レコーダーの一時停止のボタンを押して見せた。美羽は後で考えれば、本当に停止ボタンを押したのかわからないと思ったが、その場では西條を信用した。美羽は姿勢を正し、話を続けた。
「女の子ってグループを作りたがりません?」
美羽の唐突な質問に西條は少し戸惑ったが、教員時代の経験からすぐに理解ができた。
「そうだね。その中でまとめ役というか、リーダー的な存在が出くる。」
「そう、そうです。当然私のそういうのがクラスにもあったのですが、私は、どこのグループにも属さない感じでいました。別にクラスメートと仲が悪いとか、そういうのではなくて、ただなんとなく人の輪に入る事が出来ないでいました。私が通っていた中学は学級委員みたいな制度がなかったんですが、案の定そういうタイプの人がいてクラスを仕切っていました。その娘は小さい時に神戸から引っ越して来て、丁度、阪神大震災の時ですかね、今考えるとあれは被災して避難してきたのかなって思うんですが、やっぱり都会から来たせいか垢抜けていました。私は、関西方面の人、お付き合いが無くてわからないのですが、あんな感じなのかな?とにかく話題の中心に居たがる感じで。私は、あまり好きじゃなかったな。それでも、都会から来た転校生っていうことで、小学校の時は隣のクラスだったんですが、私のクラスの男女にも人気はありましたね。顔や出で立ちも可愛らしかったですし。それで、必ず廻りには取り巻きみたいな娘が居て、その中で君臨していました。そうしたら、中学で同じクラスになって、さっきも言いましたと通り、私ははみ出しものって訳じゃないんだけど、なんとなくそのグループには馴染めなかった。でもそのヒエラルキーが変化を迎える事があって、中学二年生になって直ぐに今度は東京から転校生がやって来て、その娘が後で私の一番の親友になるんですけど、千絵っていうんですけどね。もう、桁違いなくらいに、美人で可愛くって、育ちも生まれもよく、ずば抜けて垢抜けていて。それでいて気さくで誰にでも優しくって。最初私はとてもじゃないけど近寄り難くて、でも他の皆は千絵に夢中になりました。勿論、男子のみんなも。今まで存在したグループが無かったかのように。再編されて。それでも私は、新しい輪に入ろうとはしませんでした。ちがうな、出来なかったな。こうなると、今まで君臨していた娘から仲間がいなくなっちゃって。それで、新しい仲間を作る為に私に近付いてきました。別に私はグループに入ったわけでもないんですが、普通に接していたと思います。それが、グループを作っているときは高飛車に見えていたんですが、付き合ってみると以外と悪い娘じゃなくて、ちょっと強欲で自分を通すような強引なところもありましたけど、普通の娘でした。人間って実際付き合ってみないとわからないものですね。でも不思議と学校以外では会ったりしなかったな。何処かへ遊びに行くとか、お互いの家に出入りをするみたいなことは。今考えるとそういうのを避けていたのかなって。学校だけの友達でした。
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