第12話

『きさらぎ みう』サジェストには『如月 美羽』。『美羽』の発想はなかったな。西條は元国語教師でありながら人名のの豊かさに舌を巻いた。

――如月 美羽――

どんな人でも編纂ができる“アノ”百科事典(何かは後述。みんな知ってる)に掲載さていた。

一九☓☓年、三月二五日、(作者の想定では、1988年生まれ。ギリギリ昭和世代)長野県出身。元陸上長距離選手。海堂エンジニアリング→東亜工業(退社)身長一六八センチメートル、体重四五キログラム。

実際の印象より長身で大きく感じた。しかしこれは昔の情報だろう。他に判った事は、彼女の陸上選手を辞めるまでの経歴と出場歴だった。なかなかの好成績を残していた。そして西條は、かつて彼女が世間を賑わせていたことを少しずつ思い出した。十年以上前に現役引退していた。その後の経歴は一切なかった。一般人に戻ればそんなものだろう。他に、同姓同名のAV女優(残念ながら二〇二二年現在では現実にはいない。注作者)がいたが、流石に本人ではないだろう。写真を見たら似ても似つかない女性だった。

SNSをやっているような気配はない。“美羽、みう、ミウ”でも検索したが、それらしい人物には当たることはなかった。今度は“如月美羽 マラソン”で検索をし、様々なウェブサイトを読み進め、怪我が原因で引退したということがわかった。そして現役の美羽の画像はこの間、西條が遭遇した姿と違いもっと華奢で粗野に見えた。動画共有サイトには数は多くなかったが走る姿がアップロードされていた。いずれもかなり古い映像である。その姿は、西條が目撃した姿と同じだった。大きめのストライドで全身を使って走る姿に少しの間釘付けになった。西條の口元に笑みがこぼれた。そして、ベッドに横になって考えた。

「もう一度会えないかな。」

再び身体を起こして、玄関に立て掛けてある松葉杖に目をやった。杖には診療所の名が丸目の癖字がマジックで大きめに書いてあった。西條は松葉杖を返しに行くことはすっかり忘れていたが、その癖字をじっと見つめ、思いついたようにおもむろに立ち上がり、机の引き出しから万年筆と洋楽便箋を引き出しから出すと書き始めた。


拝啓

如月 美羽さま


不躾な手紙を出すことをお許しください。私は先日、新宿御苑側で助けていただいた西條将美といい、ルポライターを生業としております。先日の怪我ですが、あなた様に助けていただいたお陰で大事に至ることなく、順調に回復いたしております。

  そして、私の仕事柄、あなた様に興味を持ち、お名前を存じ上げた上で、失礼を重々承知の上、で少し調べさせていただきました。あなた様のマラソン選手としての華麗なる経歴とご活躍に胸を打ち、是非とも再びお会いして取材をさせて戴きたいと思い手紙を出しました。是非ともご検討していただきたいとよろしくお願いいたします。

敬具


西條 将美


少し固いが、これでよいだろう。これは西條が初めての取材相手に承諾を貰うには最善の方法だった。特にガードが固そうな相手、年配者、保守的な人物には効果覿面だった。手書きだとより効果があった。出来るだけ若い取材対象には洋便箋を使い、年配には和便箋を使うように心掛けた。これは、年齢層でどのような活字媒体を普段から見ているか考えた結果で、今のところ、これについて苦情はない。そのほとんどが、「手紙を貰い驚いた。」等の答えが帰ってくる。それが会話のきっかけになり、早い段階から打ち解けて話が出来る。西條は洋封筒に丁寧に宛名を書いた。勿論、自宅の住所は知るよしもない。勤務先、診療所の住所を書いた。丁寧に糊付けをして、切手を貼った。切手は女性が好みそうなデザインのもの切手のコレクションの中からを選んだ。早速郵便ポストへ投函しに出掛けた。それは、西條にとって久しぶりの外出だった。手紙をポストに投函したときに、西條は確認するように美羽の顔を思い出した。美羽の美貌は、女優やモデルのそれとは違うと思った。西條はその道の専門家ではないが、仕事で接してきた女優やタレントの様な華が足りないと感じた。

ネットを検索していく中で、彼女への称賛、容姿への羨望以外に、彼女への批判の記事も少なからず目にした。多くは、フルマラソンの経験が浅いこと。次に、指導者への批判、実力が伴わないのにも関わらず、メディアでの取り上方。如月美羽本人によるメディアで発言した駅伝への批判への批判。最後の駅伝批判は陸上界の駅伝経験者からは猛批判された。

人気というのは厄介で、その影には嫉妬ややっかみがある。実力だけで勝負する世界でも割り切れない感情が付き纏うのだ。白黒はっきりしていればどんなに楽だろうか。西條は天井を見上げそう思い耽った。


その丁寧に書かれた手紙は1日置いて、美羽の元へ届けられた。

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