第3話

女性におぶさっている間はそう長くはなかったと思うが、西條にとっては長い時間に感じた。女性の背中はジョギング途中だったこともあり、じんわりと汗のニオイがした。西條はなるべくそれを意識しないようにした。しかし、先程の羞恥心よりも足の痛みが勝り始め、それどころではなかった。しばらくすると全4階の古びた雑居ビルに入った。

西條は次第に増す激痛に、そこに病院の看板があるかどうか確認する余裕がなかった。女性は「着いたわ。」と小さく呟くと、確認するように「痛いですね。」と優しく質問した。西條は大袈裟に頷いた。すると、「ですね。」頷きに優しく答え、続いて名前と年齢を聞いた。

「西條将美、四三歳。」と答えた。

女性は、「西條さん、もう少しだから辛抱してください。」と返事をした。 入り口を直進するとエレベーターがあり、彼女直進しエレベーターに乗った。女性の云う病院は三階だった。ここまで女性は全くといっていいほど息を切らすことがなかった。女性からは汗ばんだ熱気を感じることはあったが、汗とほんのりと甘い香りがした。西條は妙に安心した。

エレベーターを開くとすぐに病院の入り口になっており、扉を開くとガラスの扉があった。そこには、濃い目の緑色の明朝体で“新宿診療所”と書かれていた。女性は、西條をおぶさったまま、扉を肩で押し入った。受付にいる女性が「みうさん、どうしたんですか。」と呼んだ。西條はそこで初めて女性の名前が初めて“みう”という名前であることがわかった。西條は、納得した。この病院をかかりつけにしている患者ではなく、ここで働いているのだ。女医だろうか。いや、医師ならば名前の後に “先生”が付くだろう。恐らく、看護師だろう。彼女に対する疑問が西條の頭を巡った。というか、巡らせた。いろいろ考えていると気が紛れる。

「急患、右足首に怪我、捻挫の疑い、処置室のベッド空いています?」“みう”と呼ばれた女性は、病院のスタッフたちに聞いた。

「一番奥が空いています。」と、誰かが言った。

みうは、西條を奥の処置室までおぶって行くと、静かに西條をベッドへ降ろした。

「西條さん、大丈夫、すぐに先生が来ますから。」と言い残して部屋から出て行った。すると、すぐに別の看護師が来た。先程の“みう”より年下に見える若い看護師だった。二十歳代中盤だろうか。すると、“みう”は三十歳くらいか。若い看護師は何も言わず黙々と、転倒した時に擦りむいた膝や手のひらの処置をした。看護師は処置が終わると、「今、痛みは一から十までとしたら何の位ですか?」と聞いた。西條は「十」と答えた。看護師は「すぐに先生が来ますからね。」と言って素早くカーテンを引いて出ていった。

カーテンのお陰で辺りを見回すことは出来なかった。西條は空を見上げるように天井を見つめて息をついた。 四十にして女性におぶさったことを思い出だし、恥ずかしくも可笑しくなった。足首は冷やされて痛みを感じることがなくなっていた。それにしても、改めて体力がある女性だと感心をした。しばらくすると、

「また患者を拾ってきたな。」とカーテン越しに男の声が聞こえてきた。西條は頭の中で最初に聞いた名前と今仕方聞いた苗字をつなげた。“きさらぎ みう”

それが彼女の名前だ。きさらぎは恐らく二月の別名、如月で良いだろう。“みう”という漢字は“美雨”か“美海”だろう。そんなことを考えていたら、カーテンが開いた。

「えっと、西條さん、運が良かったねぇ。」と言いながら白衣を纏った額が広い薄毛でやや猫背で長身の中年、いや初老の医師が入ってきた。椅子に座り早速、西條の右足の診察始めた。おもむろに医師が患部を触り、足首を回したり上下に動かすと西條は激しく痛がった。医師はそれに構うことなく、「うん、靭帯はやっていないな。一応レントゲン撮っておくか。」と独り言のように言った。それを聞いたのか、先ほどの擦り傷を処理した看護師が入ってきて、ベッドを動かした。そしてベッドごとX線撮影室に運ばれ、レントゲン撮影をした。処置室へ戻されるとまた仰向けで天井を見つめた。しばらくすると医師が入ってきて、レントゲン写真を見ながら、「西條さん。骨に異常はないけれど、靭帯が伸びてますね。石膏ギブスとサポーターどちらがいいですかね。」と質問してきた。西條は、「どちらが早く治りますか。」と返した。

「固定できるからギブスのほうが良いかな。」と勧めると、続けて「しかし、入浴はしばらくできんがね。」と言った。

それなら「サポーターで。」西條は即答した。

医師は西條に足のサイズを聞きサポーターを取りに行った。

「参ったな。」西條は深くため息を付いた。

サポーターを持って処置室に入ってきたのは医師と、西條を助けた女性、“きさらぎ みう”だった。

“みう”は西條の脚を持ち上げ、椅子の上に置くと、医師は箱から黒いサポーターを取り出し、

「このサポーター、錦織圭選手も使ってたんだよ。」と自分の事のように自慢するように語った。西條はなんだか可笑しくなって、彼女の顔を見た。するとお互い目が合いも笑顔になった。今はマスクをしているが、先程の顔と想像すると、“みう”の顔は端正で美しかった。

サポーターをし終えると、医師は彼女の顔を見て、

「これから残って、仕事、やってく。」と質問した。“みう”は笑いながら、「これ終わったら帰ります。夜勤明けをこき使わないでください。労基に訴えますよ。」返事をした。

白衣姿の“如月みう”は走っている姿と違う柔らかい雰囲気だった。 “如月”と名札を付け、“みう”呼ばれたその看護師に、「まだ、お礼も言ってなかった。ありがとう。」

一瞬、みうの手が止まったように見えた。

「気にしないでください。仕事ですよ。職務上放って置けませんからね。」と言った。

西條は再び彼女の顔を注意深く見つめ、どことない既視感を感じた。今まで直接会った訳ではないが何処かで見た顔の様な気がしたが、もしかしたら気のせいかもしれない。

「少し休んでいて下さいね。」

「サポーターは寝るときも付けてないと駄目ですか。」西條が聞くと、

「先生に聞いてきますから。ちょっと待っていてくださいね。」と言って、美しい看護師は静かにカーテンを閉めて出ていった。西條はしばらく天井を見つめていたが、知らぬ間に寝に入っていた。


程なくして、カーテンが開くと「西條さん、タクシーが来ましたよ。」と言って如月看護師が西條を起こした。西條は浅い眠りから目を覚ました。如月看護師は松葉杖を用意して、「しばらくはこれを使って下さいね、返却は足が治ってからで良いので。、寝るときもサポーターは装着したままで。あと、シャワーもなるべく患部に当てないように、していただければ。」と注意事項を言って、松葉杖を渡した。西條は、再度、「ありがとう。」と礼を言って、松葉杖を受取って立ち上がろうとした。如月看護師は、それを介助した。身体を寄せたとき、おぶさったときに感じなかった女性らしさを感じた。一瞬目が合うと、如月看護師は、視線を外して微笑んだ。

受付の前に来ると西條は再度礼を言った。見送る如月看護師は会釈し、診室の方へ入っていった。西條はその後姿を見送ると、会計をし、診療所を出て行った。

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