遊びにもならない

牛尾 仁成

遊びにもならない

「何が闘鬼だ。ただのくたびれたオッサンじゃねぇか。昔どんだけ有名だったか知らねぇが、今の現役世代はウチらなんだ。いつまでもデカイ顔を晒してんじゃねぇ。目障りなんだよ」


 悪態を吐かれたオーガはさして気を害した様子も無く、「悪かった」とだけ言う。そのスカした態度もまた鼻に付いた。まるでオレの言葉など聞く意味さえ無いとでも言いたげだったからだ。だからオレはこのロートルのオーガに礼儀を教えてやることにした。


 要は喧嘩だ。何時の時代もオーガって生き物はシンプルだ。悪く言えばバカなんだが、オレは別にそれでもいいと思っている。力で全て解決する。それがオーガの生き方だ。だから、自分より強そうな同族を見つけるとつい力比べをしたくなっちまう。大抵の奴は乗っかって来て、そのままオレにボコられる。それでお終いだ。どっちが上かって話はそれでケリが着く。


「どうしたよ、オッサン。ビビっちまって動けねぇのか? オレはどこからでもいいんだぜ?」


 そう言ってオレはワザと肩をすくめる仕種をとって隙をさらす。そして間髪入れず拳を打ち込んだ。相手のオーガはギリギリのところで拳をかわした。


「へぇ、歳食ってる割には良い反射神経じゃん。もう少し遊べそうだなッ!」


 その言葉を合図にオレは相手へと襲いかかった。2度、3度と拳を繰り出すが全てかわされる。だが4発目の拳がわずかに右の肩口をかすめた。体幹が少しだけブレるのをオレは見逃さない。半歩更に踏み込み、腰から肩肘と生み出したパワーを容赦なく左フックとしてえぐり込む。


 オーガの大柄な肉体に備わる筋肉は文字通りの凶器だ。牽制で繰り出すジャブでも容易に他種族の命を奪うことができるが、オレの拳は特に鍛え上げている。例え同族といえども受ければただでは済まない。そして、この短すぎる距離から放たれる視界外のフックをかわすことはできない。オレは勝ちを確信した。


 だが、必殺のフックは何も捕えなかった。


 オレは驚いた。かなり驚いたが、それだけだ。いよいよ、相手は本当に楽しめる相手だとお世辞抜きでワクワクし始めたぐらいだ。フックをかわすのなら逆にオレの隙を相手は見逃すまい。それを見越して、素早く身を引き相手のタイミングで防御を固める。ワン、ツー、ともらった。思っていた以上に重いが、あのフックをかわすのならこのぐらいはむしろ当然だ。オレのオーガとしての本能が囁きかける。コイツは倒しがいのある強敵だ、と。


 向かってきた相手の体を観察する。左腕が前ということは、右に力を溜めている。左腕がほぼ残像のみでオレに迫ってきたので、オレはこれをあえて受けた。いいぜ、来いよ。ただし、その右手は出せねぇぞ。何故なら、先にコッチのストレートが決まるからな!


 受けたことによる衝撃と痛みで少し視界がグラついたが、おかげで懐にもう一度コイツをおびき寄せられた。相手も右を打とうしているが、半歩ばかし遅い。渾身のカウンターをお見舞いしようと左腕を繰り出すのと同時に、オレは違和感を感じた。


 何だ? 受けたアイツの左手がオレの胸元に移動しているのか。だが、それがどうした。腕を伸ばし切った状態で何ができるって――


 何かがオレの体を通り抜けた。ふ、とオレにしか認識できない空白が流れる。そうして水が上から下に流れるような自然さで、オレの体が宙に浮かんだ。


 衝撃でも驚愕でもなく、唐突な現実がオレに朝を知らせるのと同じ当然さで告げる。


 オレはコイツに勝てない。


 相手の左の掌から流れ込んできたのは、オレが知っているちゃちな気などではなかった。山一つがその全質量を持ってオレを突き飛ばす力だった。信じられなかった。瞬間的な極度の集中は限界まで体の制御を削る。すなわち、拳を打ち合うような剛の戦いを高度に繰り広げながら、刹那のうちにそれを柔の力、それもオレが知っているどんな力よりも巨大なものに転換させて流すなんて芸当。


 全身の肉と言う肉、臓腑という臓腑に強烈な衝撃が入る。視界が真っ白になった。


 時間の感覚が麻痺したのか、ひどく遅くなる。背中に地面にたたきつけられる痛みを感じたのはオレが弾き飛ばされてから結構経った後に感じた。


 ギャラリーの驚愕や怒号も、くぐもってよく聞こえない。潰れかけた肺をどうにか動かして、絶え絶えの息を吐く。とてもではないが、立てない。


 オレを吹き飛ばした張本人であるオーガがオレに近づいて来た。緋色の旅装で身を固めているが、オレを見下ろすとその灰色の瞳がオレを覗いているが分かった。


 その瞳には、勝者の喜悦も敗者への侮蔑も無い。ただ、ほんの少し寂しそうな光が灯っていた。いや、違う。あれは、憐みだ。この程度の強さしかない、と見切りをつけた上で向ける同情だった。


 生まれて初めて味わう完膚無きまでの敗北と、生涯で最も激烈な憤怒がオレの中で沸き起こった。だが、その怒りをこの赤いオーガにぶつけることもなく、オレの意識は暗闇へと沈んでいった。

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遊びにもならない 牛尾 仁成 @hitonariushio

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