第38話

 そのとき、隊長が腰の剣を引き抜いた。

 スラハヴァーは、飛刀に手をかける間もなかった私の楯になろうとしてくれた。 

 だが、水の中ならともかく、地上では間に合わない。

 龍騎兵たちも、そろって剣を抜き放つ。

 斬るべきか斬らざるべきか決めかねていると、隊長は部下たちと共にひざまずいた。

 私の前へ、剣を横にして差し出す。

「我らが剣の主となっていただきたい」

 隊長にならって、龍騎兵たちも剣を捧げた。

 山猫頭のアレアッシュワティが歓声を上げる

「そうこなくっちゃな」

 だが、私は立ち尽くすより他はない。

 おろおろと龍騎兵たちを見下ろしていると、横からアッサラーが囁いた。

「受け取られよ、この国には新たな主が必要だ」

 それが聞こえたのか、狼頭のヴィルッドが口を挟んだ。

「そんな気を起こす男には見えんがな」

 すると、再びモハレジュがしがみついてきた。

 冷やかしのひとつでも言うかと思ったが、ただ、私の身体に頬を寄せて黙っているばかりである。

 答えかねていると、ファットル爺さんが辺りを見渡して、重々しく言い渡した。

「こいつのしたいようにさせてやれ」

 そこで誰もが口を閉ざしたが、スラハヴァーだけがぼそぼそ言っていた。

「いやなんだよなあ、こういうの。人が変わっちゃうから」


 私は胸を打たれた思いがした。

 邪神の言葉を思い出す。

「忘れるな……これで終わったわけではない」

 その意味が分かったような気がしたのだ。

 都の人びとが私を先帝の子として迎え、次の王と呼んだとき、そして龍騎兵たちが剣を捧げたとき、心の底で頭をもたげた思いがある。


 ……私なら、できる。


 先帝から玉座を奪い、世継ぎを得ることにのみ執着した炎の帝王とは違う。

 私は、龍神の加護を受けているのだ。

 主を失ったこの国だけでなく、 世界までも正しく変えられるのではないかとまで考えたのだ。

 だが、私はそこで踏みとどまって告げた。 

「炎の帝王も、たぶん、そう思っていたことだろう」


 王の座が拒まれるとは思っていなかったのか、都の人びとも龍騎兵たちも、しばらく言葉を失っていた。

 その代わり、私はスラハヴァーに答えた。

「私もいやだ、私でなくなるのは」

 するとモハレジュは、正面からすがりついてくる。

 いやがるその仕草は、やはり子どもだった。

「アタシもいやだ、フラッドがフラッドでなくなるの」

 アッサラーが苛立たしげに横から問いかけてくる。

「ならば、誰が国を治める?」

 炎の帝王に支配されていた時代しか知らない私は、言葉に詰まる。

 だが、やはり私の身体の反対側からネズミ頭のファットル爺さんが言い返した。

「今さら何を言うか、もともと治まっておらなんだではないか」

 不謹慎な笑いが、あちこちから聞こえる。

 その気持ちを、スラハヴァーが代わって口にした。

「いいよ、前よりマシなら」


 どうやら、私は王位に就かなくてもよくなったらしい。

 それを確かめるために、敢えて言ってみた。

「さて、どこへ行こうか……」

 実を言えば、本当に考えていなかったのだ。

 狗頭人の賞金稼ぎキャルブンが、十文字槍をかつぎながら吐き捨てた。

「らしくないな、素人じゃあるまいし」

 どこかで会おう、と言い残して去っていったところで、すかさず隊長が頭を下げる。

「せめて都に留まってはくださいませぬか」

 知らん顔をするのは済まないという気もした。

 だが、都にいれば、また担ぎ出されることがないとも言い切れない。

 そのときは、あの邪神が私を新たな炎の帝王にしようと、耳に毒を吹き込もうとするだろう。

 テニーンがいたら何と言うか……。

 たぶん、何も言わず、困ったように微笑むことだろう。

 すると、村から来た若者たちが、隊長よりも前に進み出た。

 恐る恐る口にしたのは、私にとっては願ってもない頼みごとだった。

「これだけ雨が降ったら、きっと、作物も増やせる。畑仕事も増える。だから、鍬とか、鋤とか……打ってくれないかな」

 飛刀を打ったときの鉄と水と、タタラを作る土さえあれば、何十年でも使えるものができるだろう。

 頷いてみせると、若者たちは小躍りして喜んだ。

 モハレジュが、当然のように私を見上げる。

「じゃあ、アタシも」

 仕方なさそうに、隊長もひざまずいたまま頭を下げた。  

「何かあったらお迎えにまいります」


 こうして、私はモハレジュと共に、飛刀を打ったあの村へと戻ってきた。

 先帝の息子が、村の鍛冶屋になったわけである。

 丈夫で長持ちする農具が手に入ることになって、村人からは大歓迎された。

 雨が降るようになって、作物も取れるようになったが、いいことばかりではない。

 長雨になると、畑仕事にも出られず、村人は空模様を眺めて一喜一憂するようになった。

 それは、この国の、いや、世界中の誰でも同じことだ。

 だから、遠くから私を尋ねてくる者もある。

 多くは、評判の鍬や鋤を求めてくるのだが、ときには私が何者か知っていることもある。

 そんなときは知らん顔で、こう言ってやるのだ。

「お気をつけなさい。雨は、いつまでも降り続かないものです」

 畑仕事がまたできるようになることもあれば、日照りのときが巡ってくることもある。

 随分と不自由なものだが、世界とは、たぶん、そういうものなのだろう。

 割り切ってしまえば、幸せに生きられるものだ。

 そこで、ふと思い出して尋ねてみる。

「これでいいんだな、テニーン……」

 まだ空模様を気にしていたモハレジュが、ふくれっ面をして私を睨みつけてくる。

 腹の辺りにそっと手を触れているのに気付いて、思わず顔がほころぶのを感じた。

 広い世界をひとりで生きてきた私も、いずれ、新たな世界を生きる新たな生命をこの手に抱くことになるのだろう。

(完)

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魔界刀匠伝 兵藤晴佳 @hyoudo

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