第6話 "神樹の森、九尾嗤う夜"

 ティアの新しい盾の調子を見るため、軽くダンジョンに3人で潜って過ごした2日間が過ぎ、いよいよ当日。

「ナオ君~逢いたかったのですよ~」

 ふわりと爽やかな香りを漂わせ、玄関を開けたナオにいきなり飛びつくミキ。

 桜色のサマードレスが淑やかな可愛らしさを演出しているが、抱き着き押しつぶされた胸の感触に思わずドギマギする。


「3日間も、大変でしたね。俺達だけ先に解放されてしまってごめんなさい」

「いいのですよ~、それがミキのお仕事ですし」

「ユイさん達は大丈夫だったの?」

 飛びついたミキを、ナオの腕から肩上に飛んで避けた紗雪が、少しむったしたような表情を浮かべ問う。

「はい。一昨日無事目を覚まされまして~。事情の聴取とか受けていましたが、問題なく昨日、解放されました」

 そうそう、と、前置きし、リビングに到着するや、手に提げていた袋の中身を広げる。

「これ、今回の報酬の、それぞれの衣装です!」

 色鮮やかなラッピングの施された袋がそれぞれの前に3つ、置かれる。

「サイズ調整をかけないといけないので、それぞれの防具に取り込んでしまわないと実際には着られませんが、まずはお渡ししておこうと♪ 巫女ドレスは全員緋袴スタイルです。水着と、天女服が色違いなので、お好きなのを選んでくださいね~」

「オーナー、ちょっとベッドルームに行っていて」

 要領を得ない顔で首をかしげると

「主様、どのような色を選んだか、後日お披露目の楽しみにさせていただきたいのです」

 ティアに説明され、いそいそと、移動し、扉を閉める。


 わいわいがやがやと、声がすることしばし。

「ナオ君、もういいわよ~」

 お呼びがかかり、事前に用意しておいたテイクアウトの料理をテーブルに広げる。

「では、お疲れさまでした!明日からのダンジョン攻略再開に向けて今日は英気を養いましょう」

 楽しく会話の弾む4人に、すっかりこの光景が日常になったものだと、感慨もひとしお。

 そのような中、こっそり睡眠薬を事前に含んでおいたケーキを取り出す罪悪感……。

「ねぇナオ君~」

 カスタードクリームたっぷりのスポンジケーキにフォークを刺す直前、

「もしね~。私をもらってって言ったら~、ナオ君もらってくれる?」

 さらりと言い、ぱくりとケーキを口に入れるミキ。

「それは、どういう……」

「ん~?言葉通りの意味よ~ミキ、ナオ君の事、好きだもん」

 急な言葉に目を見開き固まっている紗雪とティア。

「あはは~でも、ナオ君には紗雪ちゃんがいるか~。ティアちゃんだって。うふふ、ごめんね変なこと言って、忘れて忘れて!」

 気まずい空気を吹き飛ばすようにケーキを次々口に運ぶミキはその後、うとうとと眠りに落ちるまで言葉を発することはなかった。

 眠気に首の揺れだしたミキが倒れないようそっと肩を抱き抱える。

 突然の爆弾発言にまだ紗雪とティアもぎこちなさが残っていたが、今はとにかく目の前の事と切り替え、屋上に向かうべく行動を開始する。

 事前に用意してあったメッセージを指定された宛先へ送信。念を入れ、その間だけほんの刹那異星体ネットワークからも遮断する。

 屋上に着くと、扉を開いた無人の移動用モービルが待っていた。

 お姫様抱っこしていたミキの頭をぶつけないよう気を付けつつ、乗り込む。人工光に照らされながらモービルは一路1区本庁舎へと空を滑り出すのであった。



「むにゃ、ミキ寝ちゃったのかな。ごめんねナオ君。て、あれ。ここは……?」

 転移扉の前、お姫様抱っこされたまま目を覚ますミキ。床に寝かせるのは忍びなく、結局ここに連れてくるまでずっと抱いたままだった。案内してくれたスーツの女性は、姿を見られないようにとの配慮か、すでにいない。

「ちょっと急で申し訳ないのですが、これから、依頼をこなしに行きます。ダンジョン装備に着替えてもらってもいいですか?」

 危険地帯に事前の心構えもさせず連れて行くことへ忸怩たる思いを抱えつつ、促す。

「う、う~ん?う、うん、いいけれど、え、どういう状況」

 戸惑いつつも、薄荷色のワンピースドレスとに着替え、杖を手に現す。

「では、行きます」

 あらかじめ行先の設定されていた転移扉を開く。



 むせるような緑の匂い。一面を覆う木々。黒い渦を抜けると、そこは森の中だった。

「森?でもこの感覚は……」

 きょろきょろと辺りを見回し、何かを感じ取るように杖を握り、額に当てるミキ。

 手元に受け取っていた地図を広げ、空に浮かび上がった紗雪に方向を確認してもらう。

「オーナー、こっち、1㎞くらい先が広場の端」

 ここはすでにダンジョンの中、それも最深部。ティアが盾と、森の中ゆえ取りまわしを考慮し剣を手に、最大限気を張って、周囲を警戒する。

「ミキさん、ここはB級ダンジョン、”神樹の森”の最深部です。外では説明もできず申し訳ありませんでしたが、神樹の苗を取りに、来ました。」

「やっぱり……ナオ君なんていう事を。ここはダメよ、引き返しましょう、前にあげた”転移”のカードはまだ持っているでしょう?」

「いえ、ダメです。ミキさんを自由にしてあげるって、決めたんです」

「ナオ君……どこまで知って」

「とにかく急ぎましょう。敵に見つかる前に」

 眉をしかめつつも、背後に、やってきた転移扉がすでに無い事を確認しついてくるミキ。

 不慣れな深い森ということもあり、歩みは思うより遅いものとなった。


 もう少しで森が終わるというその時

「主」

 低く抑えつつも鋭い呼びかけと共に、側面上方へ構えられる新たなティアの盾。

 木漏れ日に微かに光る線が見えたかと思うと、大きく広がった網が迫っていた。


「聖翼よ」

 盾が蒼銀の光を発し、両側面から延びる1対の翼が広がると蜘蛛糸の網を絡めとる。

 盾ごと捕らわれることを回避したティアに向かい、黒く鋭い、剛毛の生えた脚先が一斉に振り下ろされる。

 衝撃に押し込まれつつ耐えるティア、盾の表面を足蹴にし、別の木へ飛び退る敵。

 その姿は生白い美女の上半身が黒々と艶光る蜘蛛の下半身から生える、アラクネーと呼ばれる魔物の姿を象ってかたどっていた。

 盾から伝わる強い衝撃にも転倒することは何とかこらえ、構えなおすティア。

 鬱蒼としてる樹木の上に退いたアラクネーに、紗雪の古式銃も照準を付ける先を見失っている。

 他の敵を呼び寄せる事を警戒し聖歌の謡いは始めず、見えていない敵に襲撃されることも警戒し4丁をそれぞれ別の方向に向けつつ、胸の高さほどに浮かんでいる。

「次来たところを捕らえてみます」

 ミキの魔力が高まり、周辺の木々がざわざわと、ざわめきだす。枝がしなり、形を変える。樹魔法で周囲の木々に働きかけているのだ。

 隙を逃すまいと、愚者の剣を柄を顔右に、切っ先を斜め下に向け、両手で構える。

「そこ」

 フリントロック銃2丁が同時に火を吹く。無色の魔法弾丸が木と木の隙間をすり抜ける。ゴトリと重い物が地面に落ち叩きつけられる音。

「他にもいる。大きい蜘蛛」

 黒い靄に代わる前の姿を視認した紗雪から警告が飛ぶ。

 後ろから飛ばされる複数の蜘蛛の網、後方樹上にちらりと見える赤く光る蜘蛛の目。

 ミキに操作された木々の枝が伸び、曲がり、放たれた粘着質の網を絡めとる。

 交差する網の下、上に集中した視界をすり抜けるように、高速で地面を這い、迫る2体の腰ほどの高さもある蜘蛛。

 後ろに控えていたミキにとびかからんとするその2匹、右一匹を素早く踏み込んだナオの刺突が刺し貫く。

 交差する左1匹が空中を進む。

 一閃、下段から逆風に切り上げられた剣にクモの半身が左右に分かたれる。

 剣を左脇き構えに引き戻す勢いをそのまま脚に伝え、振り上げた右脚からの蹴りで横に蹴り飛ばし、ミキに靄に変じる前の死骸が激突するのを防ぐ。

 その間にも隊列正面ティアに目掛け、前方上方から大蜘蛛2匹、真上から再びアラクネーが蜘蛛糸の網を投げ、迫りくる。

「聖翼よ」

 ティアの掛け声とともに、盾の翼がさらに限界一杯まで大きく広がる。背の翼もつられるように左右に広げ、前方に飛び出すと、大蜘蛛の網を絡めとる。落下を躱されたアラクネー本体と彼女の糸が地に落ちる。

 距離を詰められ正面から、盾の壁のような一撃をくらわされた大蜘蛛2匹。動きの止まったそこに、紗雪のマスケット銃2丁からの弾丸がそれぞれ眉間を正確に打ち抜く。まだ動こうと蠢く2匹を振り向きざま剣の斬撃で切り裂くティア。

 背後で霧に還る2匹を背に、脚を撓めたわめ、いづこかの、木とつないであったらしい蜘蛛糸を引く力も借り飛びのこうとしているアラクネーに再度盾の突進をかける。

 ぎりぎりで跳躍が間に合い、躱すアラクネー。


「縛れ」

 ミキの掛け声に、アラクネーが一直線に向かう先の木から延びた枝が、絡みつく。

 圧倒的な膂力で枝を折り砕くも、確かに空中で動きが止まったアラクネー。

 その後ろ脚2本が袈裟懸けに振り下ろされた愚者の剣に切り飛ばされ、古式銃4丁から放たれた弾丸が胴に風穴をうがつ。

 深追いを避け飛びのくナオと入れ替わりに、素早くアラクネーと仲間たちの間に立ちふさがるティア。

 重ねられた損傷に力が抜け、いよいよ絡まる枝から抜け出せずもがく、その様子に、左右からナオとティアが留めの斬撃を放った。

「何とかなった、ね」

 急ぎ落ちた魂石を拾い、森が切れる先へと急ぐ一行。

「中央がほど近い場所に転移されたお陰でしょうね。もう、すぐそこよ」

 と、油断なく古式銃を並走させる紗雪。

「そうですね、このダンジョン深層の森の恐ろしさは、方向もわからなくなる中、永遠襲ってくるさまざまな森に順応した敵性体と、樹そのもの、森そのものまでも襲ってくることです。神樹と、最後のボスが近いここだからこそ、敵生体の密度も低いのでしょう」

 さすがに余裕無く、それでも必要な情報を添えるミキ。

「抜けます」

 木の密度が下がり、陽の光が先から見え、警告するティア。


 鬱蒼と視界を遮っていた森を抜ける。


 そこは周りを深い森に囲まれた、円状の大きな草原の広場だった。

 中央には巨大な1本の満開の桜の樹が天を衝いてそびえていた。

 大崩壊前に世界最大と言われた樹の高さのさらに何倍あるのだろうか、現実ではありえない、500mは軽く超えるであろう大樹。幅はさらにその何倍あるのだろうか。幹もまた、100mでは到底足りるまい。

 あまりの巨大さに遠近感を狂わされるが、警戒しつつも急ぎ駆け寄る。

 近寄るにつれ、空気が清冽とした気配を纏っているように感じる。上空からは、はらはら、はらはらと、桜の花びらが舞い降りてくる。

「あれが、神樹……?」

「はい、桜の巨木、です。ここはもう、ボスの領域内です。お気をつけて」

「いづれも巨大な、芋虫型、病魔型、龍型のどれか、でしたね」

「そうです。いづれであっても気配を感じたらすぐに転移を」

 ミキが重ねて警告するが、それには答えず、若木があるはずの幹の根本へと急ぐ。


 最大限警戒しつつ進むも何者も現れず、舞い降る桜の美しさについ目を奪われはじめた頃。

 ようやく大きく広がる巨大な桜の幹まであと半分ほどまで近づいたか、というところで。

「足元、変よ」

 上空から見ていた紗雪から警告が上がる。

「土が盛り上がって……」

 ティアの言葉半ば、前後左右4方の地面がはじけ飛び、草交じりの土くれが爆発したように飛び散る。

 さらに少し離れた四方八方で同様の現象が。


 地面の下から出てきたのは、性別も年齢もまちまちな、人型の死体の群れだった。

「後ろの封鎖を頼みます」

 襲撃方向を限定せねばまずいと、いったん前方をティア、後方をナオが抑える隊列を組みつつも、ミキの樹魔法で後方に蔓からなる柵を作り上げてもらおうとする。

 寄せる波のように歩み寄ってくる死体の群れ、幸いはその速度が緩慢な事か。

 ハルバードに持ち替えたティアは、触れるを幸いと、盾と長柄の得物で次々死体を叩き潰し、切り裂く。

 後方ではナオが敵の間を駆け抜け、脚を切り落とし、進行速度を留める。

『この腐肉の群れは、くさいわ、気色悪いは、かなわぬの』

 愚者の剣から嫌悪のため息が漏れるが我慢してもらう。


 中距離に位置する相手には次々紗雪が弾丸を送り込み、死体の動きを止めていく。

 ミキを中心とした魔力の高まりが地に染み渡る。動く死体達の出現にも勝る地面の爆発が、ナオ達の元来た方向、地を裂くように緩く弧を描き立ち上る。後には首下ほどまでの高さがある複雑に絡み合った木の根の壁が、そびえたっていた。


 後ろのひとまずの安全が確保されたのを確認するや、ナオも前方に加勢、左右をティアとナオが抑えつつ、紗雪の援護を受け戦線を押し上げていく。

 傍の動く影が減ってきたころ、遠間の動く死体達に動きが出始める。

 なんと、隣の死体の身体を引きちぎり、力任せに投げつけ始めたのだ。

 投石もかくやの質量、それ以上に腐った汁が滴るしたたる有様に、たまらず、

「速度は遅いです、駆け抜け、引き離しましょう」

「ああ。しんがりはオレが。ティア先頭に、一気に行こう」

 ティアの進言に神樹の幹まで走り抜けることを決める。駆け出す3人に遅れる事少し、急ぎ命中軌道にあるものを切り払い落し、すぐに後を追う。


 いよいよ幹までわずか。

「見えた。オーナー、たぶんあれじゃないかしら」

 前方、人が数人は余裕をもって納まりそうな大きなうろが地面に口を開けているその中、まだほっそりとした木が植わっている。若木ながら不思議とその枝には美しい桜の花が咲き誇っていた。


『止まれ』

 洞の前に、薄桃色の瞳に、桜色の髪をなびかせる女性が空間から染み出すように現れ、立ちはだかる。

『神樹の苗に何用か』

 柔らかな、可愛らしい表情のミキと違い、冷たい無表情ではあるものの、全体としての姿かたちがあまりに瓜二つな様子に思わず立ち止まる。


「ミキを、この子を救うために必要で、地上に持ち帰りたいのです」

 急ぎ応える。

『穢れし同胞をとな。なれば資格を示せ』

 ミキを一瞥するも興味はないとばかりに正面に向き直り、やおら天に、いや、神樹に向け両腕を広げる。

 そして、神樹の幹がうねり、洞の入り口が、急激に育ったように見える樹表に覆われ閉ざされてしまう。


「な……これじゃ苗に届かない」

 立ちはだかる女性と、洞を閉ざす樹表を打ち抜くべきか逡巡していた紗雪がこぼす

 後ろからは追いつき始めている死体の群れが……いや、彼らの進行が止まっている。

 何かを恐れるように、見えない線で区切られたかのように横一直線に並び、止まっている。


「あるじ、どの!」

 ドンッと、突き飛ばされ、紗雪とミキの元に後退するナオ

「だめ、転移を」

 彼らを覆うように最大限空に浮いたティアが、盾の翼を展開させ頭上に掲げ

「聖域顕現」

 さらに、全員に蒼銀に輝く守護の結界を巡らせる。


 視界が白く消えた。

 頭上から落ちてきた光の柱に飲み込まれる。


 地に叩きつけられるティアと、彼女の掲げる盾に潰されるように、仲良く地面に仰向けに倒れ伏す。

 白く染まり何も見えない視界の中、結界の蒼銀の輝きに生じる無数のひび割れがむしろ白一色の中にあって唯一の闇色として目に映る。

「木々よ」

 盾と地面に挟まれ苦しいながらも、魔力を集め、樹魔法を発動しようとしたミキ。

 が、何も起こらない。

「だめ、あたりの植物に、干渉できない」

 光の柱の外に退避させていたらしい古式銃を上方に向け、あたりかまわず発砲している音が聞こえる

 ガラスのように砕け散る結界

「くぅう」

 ティアの喉から悲鳴が漏れる。ハルバードを消し、両手で必死に盾を支え、わずかに浮遊の力を振り絞りナオ達の身体が守られる隙間を辛うじて生み出す彼女。

 ようやく白い光が消える、焼け付いたようにおかしくなった視界に辛うじて木の幹が影としてぼんやり見える。

 それよりも、上方、仰向けの視線のままに正面を見れば、

「龍」

 下を見下ろし、悠々と桜の木の下を飛ぶ、東洋龍の姿があった。

 長大な身に散る桜の花びらを受け、悠然と空を泳ぐ緑の鱗に、白く長い腹。

 厳めしい顔はブレスを履いた口をまさに閉じるところ、しっかりとこちらを認識し、睥睨している。


「癒しよ」

 3人を守り抜き、荒い息を漏らすティアに、ミキの回復魔法がかかる。

 紗雪の古式銃の魔法弾は表皮にはじかれ貫くことができていない。

 愚者の剣であればあるいはと思っても、そもそも空を飛べぬ身では……。

 もはや選択の余地も無しと、懐から1枚のカードを取り出し、跳ね起きる動作のさなかに握り絞め、一縷の望みを胸に意識を込める。

「頼む、来てくれ!!」


 ぐぅるりと、4人の上空と、神樹の幹を、無限大記号のように連なる円環2つの形に体を泳がせる龍。

 虫けらの如き存在が存命であったことに意外の念を感じたか、口を開き、今度は直接喰らってやるとばかりに巨大な顔を地に向け迫る。


『夜ヨ、来たれヤ』


 独特のイントネーションに、淫蕩な色を想起させる、淫らな声が耳朶を震わせる。

 世界が闇夜に落ちた。


えてや、よたろう去れ、馬鹿者が


 寸刻前まで陽の光に照らされていたはずが、星一つない夜空に天が置き換わっている。

 厚い桜の花の層を抜け、夜空に浮かぶ真円の月。


 まるまる、ふさふさと、豊かに実る狐のしっぽを九つ揺らし、ぴくぴくと、先を震わす頭の頂の柔らかな狐耳。

 純白の毛に月明かりが照り輝く。


 その姿を目の当たりにした龍が、凍てついたように、止まる。

 圧倒的な威圧感を振りまいていた龍が、その光を失い、呆と瞳を惑わせる様が怖気を誘う。


 背筋を凍らせるような蕩ける笑みを浮かべ、はんなりと身をよじり、こちらへ振り向く絶世の美貌の女。

おてきはほんに、ぞっとするよなあなたは本当に、素敵なおひと、蜜の香りしたたるその御霊みたま、あちきに与えてくなんし』


 しゃなりしゃなりと、高下駄の足で外八文字に歩み寄る美女に、片時も目が離せない。紫色に輝く瞳に吸い込まれていく。

 心の奥底から、身体の芯から、彼女へと流れだしていく魂を感じる。

語りましたかれど、ゆっくりお話ししたいけれど、わちきは儚き籠の鳥』


 しゃらん、しゃらんと、頭飾りの金びら簪が小さく振られる首にあわせ、微かに鳴る。

 前帯に結んだ大きな帯の影から口元へ、すうるりと、いつの間にやら掲げられた繊手に、つままれた長煙管きせる

『満ちる病魔の子らよ、呪えや呪え』


 ぷかりと、艶めかしい唇の間から、煙が吐き出される。

『ぬし様の勲、見せてくなんし』


 呼びかける声と煙に誘われ、地面から漂い始める薄紫の霧。

 途端にあたりに怨嗟の声が響き渡り始める。

 事前の情報にあった、病魔型のボス出現の特徴。

 その霧が、いまだ茫然自失から脱却していない竜の身体にまとわりつき吸い込まれる。

 まさか、もう1種のボスを彼女が呼び出し、使役したというのか。


 煙管を扇子に持ち替えた九尾の美女が、口元を隠し、流し目を寄越す


 龍がしびれるように地に堕ちる。

 大きな振動に桜の木が揺れ、月明かりに夜桜の舞い散る花びらが雪化粧を施す

『汝よ、男を魅せろと言われておるぞ、カカカ。ほれ、ぶった切ってしまえ』

 愚者の剣が、龍を滅せよとけしかける。


 病魔の呪いに侵され、のたうちながらも意識を取り戻した龍がナオを一心に睨みつける。

 浅く開かれる龍の口、牙の隙間から、焼けただれたような跡が見える。刻々と削られる己の身に、


「はっ……!」


 牙をむき出し、地をえぐり、暴風とも呼ぶべき風圧を伴い突進してくる龍。

 むき出しにされた恐ろしい牙をまっすぐに見据え、漆黒の剣を振りかざし突貫する。

 すかさず紗雪が勇壮な調べを聖歌のスキルに乗せ謳い上げる。

 力強く背を押す歌声に力を得、わずか斜めに進路を取り、巨大な牙の壁をけりつけ駆け上がる。

 圧し進む龍の圧を新たな重力となし、地に水平に身を低く、脚を吸いつかせ駆け上がる黒髪の青年。

 気を抜けば、腰と足を潰される圧倒的な速度と質量の圧を、水平方向の推進力へ転換する。


 牙の隙間から白光が漏れ始める。

 身の内を九尾の呼び覚ました病魔の呪いに侵されようと、己の崩壊も辞さぬと、ブレスを歯を食いしばったまま撃ち放つ。

 牙の合間から、口の端より順に立ち上る光の壁。

 翔けるナオ、眼前から迫る破滅の光の壁。

 すれすれを


 ……


 抜ける。すれ違う光に髪の先を塵に還されながらも、刹那の差で牙の壁を抜け、龍の鼻上へ抜ける。

 紗雪とティアに魂を捧げ、比例し力を得た愚者の剣の刃が今こそ振るわれる。


 かつて屠った竜とは桁の違う幻想の生き物。

 その顔面が、駆け抜ける勢いのまま下段に差し込まれ、地を割り進むがごとく引き裂かれ、止まらない。

 鼻先から正中線に、額。

 のたうつ竜の巨体の揺れを下半身の力で抑え込み、翔ける、翔ける。

 刃を深く差し込むため、傾けた上半身をそのままに、体を龍の身体と水平にひた走る。

 龍のみを縦に捌きさばき下ろす。


 瞬きのような間の、されど龍には絶望的なすれ違いの果て。

 病魔にむしばまれ、呪いに浸され、上半身を深く裂き割られ。

 幻想の主がドウッと、伏した。


 元の洞のあったその場へ戻ると、からんころんと、上機嫌に扇子の陰から笑う、白銀の九尾。

 先ほどの衝撃に未だ片膝をついたティアと、土ぼこりに汚されながらも眼差しの力を失っていない紗雪とミキが、戻るナオをしっかりとみている。


『はよう、わちきを、呼びなんし』

 目を笑みの弓に曲げ嗤うも、つい、と、途端につれなく視線をそらし、背を向ける。

 しゃなりしゃなりと、歩む後ろ姿。

 わさわさと、揺れる豪奢な九の尻尾。

 新円の月の元、溶けて消えるようにその姿が虚空に失せた。



 夜が解けるほどける



 陽の光が戻り、再び照らす中、長大な竜の身が、一斉に黒い靄へと姿を変える。

 一抱えもある魂石が、足元に転がった。




 閉じた洞の前に、桜色の髪の女性が、再び姿を現す。

 冷たい表情を一つも変えぬまま、龍に勝利したナオを見る。


 その胸の中央から。

 禍々しく捩れた太いランスが、突き出した。


「ミキ、殺せ」

 ねばつく男の声が桜の神樹の元に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終わった世界のダンジョン興行 ~人形と愛を交わす青年~ malka @malka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ