瀬をはやみ

柊 彩蘭

第1話 瀬をはやみ

 清尾さんの事、好きでした。僕と付き合ってください」

 私が、智樹に告白されたのは12月のよく晴れた日の事だった。


 小学生の頃、私は軽いいじめにあっていた。

 理由は、給食がうまく食べられなかったから。ほんの少しの量でも、気分が悪くなってトイレに駆け込むことも少なくなかったから。低学年の頃は主に男子から、きもいとかよく言われてた。高学年になるにつれて少しづつ食べられるようにはなったけどそれでも、みんなの四分の一くらいの量しか食べることはできなかった。それに対して、ダイエットとか減らしすぎとか今度は女子から言われるようになって、少し意地悪されるようにもなった。

 そんな私とずっと仲良くしてくれたのは夕夏ゆうかだった。私に絡んだら夕夏までいじめられてしまうかもしれないと思ったけど、夕夏は頭がよくて運動神経もよかったから誰も夕夏に意地悪できなかった。

 夕夏は私にとって自慢の友達だった。


 中学校に上がっても、環境はあまり変わらなかった。同じ小学校の子はほとんど同じ中学校に上がったから。

 部活動は、私は美術部に夕夏はバスケ部に入った。

 美術部には、同じクラスの智樹くんがいた。智樹くんは、20人ほどしかいない他の小学校出身の子だったから話しやすかった。

 智樹くんが私の水彩画の色使いを好きだと言ってくれたことをきっかけに、二人しかいない同学年の美術部員として仲良くなった。智樹くんのデッサンはとても繊細で参考になったし、智樹くんは小学校の頃の男子たちと違って気配り上手で優しかったから一緒にいると落ち着いた気持ちになれた。

 でも、智樹くんは学級委員でクラスの人気者だったから部活の時以外は話しかけられなかった。同じクラスだった夕夏も学級委員になって、学級会などで智樹くんと二人で協力している姿や学級委員の集まりに行く時に楽しそうに雑談している姿を見ると、自分と智樹くんが一緒にいる時間がなんだか滑稽に思えてしまうこともあった。


 あっという間に一学期と夏休みは通り過ぎてしまった。

 それは、夏の暑さをいまだに引きずっている9月の事だった。いつもと同じように校門でバスケ部の練習が終わるのを待って、夕夏と一緒に水路沿いの道を歩いていた時の事。

凪咲なぎさ、好きな人とかできた?」

 唐突に夕夏が言った。脳の奥の奥のほうに智樹くんの顔がふありと浮かんで脳内の私が慌てて両手をぶんぶんと振ってかき消した。声が上ずらないように気を付けて私は言った。

「いないけど、夕夏……もしかして?」

 少し大げさににやりと口角を上げてそう聞くと、夕夏はもそもそと何かつぶやいて

「凪咲、誰にも言わないでくれる?」

 と、顔を真っ赤に染めて言った。

 ここで、なんというのが正解なのだろう。もちろんと答えたら、きっと夕夏の口から聞きたくない名前が出てきてしまう。でも、いやだと答えたら秘密ごとが苦手な夕夏に苦しい思いをさせてしまうかもしれない。どちらを選んでもどちらかが苦しい思いをする。 

 それなら、苦しませるより苦しんだほうがいい。

 それが、私が夕夏のためにできることだと思うから。

 だから、

「もちろんだよ」

 と、満面の笑みで答えた。

 不安の色が一パーセントも混じっていない純度百パーセントの笑顔のつもりで。そして、夕夏が口を開く。

「ありがとう。私が好きな人はね――――」

 キーンと耳鳴りがして、最後のほうは上手く聞き取れなかった。

 それから、部室でも気づかれないように少しだけ智樹くんと距離を置くようにした。だって、私にとって智樹くんは「親友の好きな人」になったのだから。

 次の日描いた絵は、いつも通り描いたはずなのにいつもより色あせている気がした。でも、いつも通り白黒なのに、いつもより「親友の好きな人」の絵は鮮やかな気がした。


 それから、約3か月後。私は三階の渡り廊下で「親友の好きな人」に告白された。

 もちろん答えは決まっているよ。

「ごめんなさい。あなたとお付き合いすることはできません」

 これでいい、これでいいって呟きながら階段を駆け下りた。

 その日の帰り道に、凪咲にだけは言っておくね、ともうすぐ引っ越すということを夕夏から聞いた。でも県内ではあるから時々だったら会える距離だけどね、と。

 次の日からは、告白をお断りしたという事実から部室に行ったときもっと距離を置いて座るとこができると思った。もう、私の絵があんなに色あせて見えることも、あなたの絵があんなに鮮やかに見えることもない。夕夏には、何も言わなければきっとばれない。これでいい、これでいい……。


 でも、相手が学級委員の智樹くんだったことが盲点だった。うわさ話は次の日にはクラス中に広まっていた。――もちろん、夕夏にも知れ渡っていた。始業3分前に教室に入った私を、興味と嫉妬の視線が射抜いた。

「もう、慣れっこじゃん」

 自分にだけ聞こえるようにぼそっと呟いて席に着いた。

 6時間目が終わるまで、夕夏と視線すら交わす事はできなかった。その日、美術部は休みだったので早く帰って課題を片付けていた。そんな時、ピーンポーンと電子音がうす暗いリビングに響いた。外に出ると、制服姿の夕夏がいて今ちょっと話せる?   

 と言われた。私は、無言で首だけを縦に振った。

 近所の公園まで歩いて二人で端っこにあるベンチに腰掛けた。

「智樹のこと振ったって……本当の話?」

 先に口を開いたのは、夕夏だった。半信半疑な感じの口調だった。

「うん、本当だよ。私は好きじゃなかったし、一緒にいるだけでも場違いだよねって思ってたっていうか……」

その時、夕夏の表情がすっと消えた。

「そっか、凪咲嘘ついてるね。私が凪咲に好きな人言った時のこと覚えてる? 智樹の名前出した瞬間笑顔がすんって消えたの私、分かってた」

 知ってて、黙っててくれたんだ。結局、私夕夏に迷惑かけてんじゃん。

「ごめんなさい。私、告白を断れば楽になると思った。純粋な気持ちで夕夏の恋を応援できると思った。その気持ちに嘘はない」

「そんな形で応援されても嬉しくもなんともないから。凪咲と智樹が付き合うなら、祝福したかったのに、なのに、なのに…………ごめん、もう話しかけないで」

 泣き崩れる夕夏に言われた言葉がのどに詰まったみたいに、もう何も言うことはできなかった。私まで泣きそうになって、家までの道を全力で走って戻った。

 次の日から引っ越しの日まで夕夏は体調不良で中学校を休んだ。


 すれ違ったまま、顔を合わせることはなかった。

 もし左回りの時計があったら、ちゃんとさよならしたかった。


 それから、私は以前より勉強する時間を増やした。夕夏と遊ぶ時間が無くなって、時間が余るようになったし、それに強くなりたかったから。


 そして二年後、私は県内トップの偏差値の高校に合格することができた。

 入学式の日、しわ一つない制服を身にまとって背筋を伸ばす。

 「新入生代表挨拶。一年一組速水夕夏」

 はい! と、聞きなれたパリッとした声が体育館の空気を変えた。

 

 挨拶の言葉なんて入ってこなかった。昔の楽しかった思い出が次々に浮かんでは消え、涙をこらえるのに必死だったから。

 時を戻すことができなくても、もう一度―――。

 

 入学式と、最初の学級会が終わった。

 目指すは廊下の端にある教室。夕夏がいる教室。

 許してもらえるまで何回でも謝るから、あなたに会いに行くから。

 もう一回あなたのこと自慢させてよ。


   ***

 

 入学式の日、四組の名簿に凪咲の名前があってびっくりした。嘘かと思った。

 あなたが私の好きな人の名前を言う前に私が言ってやろうと思ってたって謝りたかった。

 本当に悪いのは私だって、打ち明けて。

 もう一回凪咲の笑顔が見たいよ。



 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 



 「「ずっとあなたに再開したいと願ってた。」」


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瀬をはやみ 柊 彩蘭 @ayatomousimasu

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