1章:第23世界

世界について、名前について

 わたしを助けてくれた“キョージュ”について行くと決めてからは話が早かった。今まで生きてきた中で結構長い間一緒に住んでいたご主人様も、わたしのことは興味がなかったみたいですんなり別れることが出来た。なんでもあの植物園がボロボロになってしまったと聞いてすっかり落ち込んでしまったらしく、いつもと違ってずいぶんとしょんぼりしていた。最後まで怒られるのは嫌だったし、元気がないうちに別れられて良かったのかもしれない。


 その後、キョージュはなにかのお話を偉そうな人としていた。内容は分からなかったけど、多分いい感じで終わったみたいで最後には握手をしていた。それが終わると、彼はわたしの方に来て、しゃがんで少し嬉しそうにこう言った。

「おめでとう、君も一緒に来れるようだ。しっかりと手続きさえすれば問題ないと確認はとった。ただ…」

 ここで1度息を吐いてから、

「やはり名前はいるようだな。書類に書くために必要らしい。」

 少し不満そうに言った。


「名前…ですか」

「ああ。本当なら時間を取って君が納得いくものを決めたかったのだが、私も生憎そう長くはこの世界にはいられないのでな」

 世界、と聞いて、少し心臓が跳ねる。。これだけ凄くて強い人なら、もしかしたらそうじゃないかと思っていたのだ。


 そんなことを考えていたら立ち止まってしまっていたみたいで、気がつけば彼は少し遠くにいた。彼の細長い足はどうしたって私を置いていってしまう。彼も気がついたようで、私と同じ黒髪を掻きながら

「?どうしたんだ。何かあったか」

 少し気遣うように聞いてくれた。


「いや、なんでもないです。ただ、別の世界というのが初めてなので。少し緊張してしまって」

「そうか。…そういえば、君は『世界の構造』について知っているのか?」

「えっと…実は、あまり。学校も昔少しだけ行ったっきりで…」

 彼はまた少し顰め面をすると、すぐにその顔は元通りになり、そのまま牧師さんのように滔々と話し出した。



「ふむ。ならば、初歩的なことから始めていこう。については知っているね?」

「はい!ご主人様の植物園にもなになに世界から来たー、とか書いてあるものもありましたから」

「そうだ。そこに様々な植物があったのと同じように、世界にも様々なものがある。それこそ、これから私達が行く世界とこの世界とでは大違いだ」

 なるほどと、分からないながらに頷いておく。多分、向日葵の世界と紫陽花の世界は違う、みたいなものだろう。


「それで、ここからが重要だ。これらの世界はそれこそ花の種類のように多くあるが、その世界ごとに繋がっているポイントがある。これを共鳴リンクと呼ぶ。規則性はなく、ひとつの世界としか繋がっていない世界もあれば数多の世界との共鳴リンクを持つ世界もある。まるで、世界同士が手を伸ばし合っているようだ」

「この世界はどうなのですか?」

「ここ、第1018世界はどちらかと言えば前者だ。だが、これから向かうのは後者、つまり様々な世界から来た人間が住む世界だ」


 新しいことばかりだ。自分がこれまでとても狭い世界しか知らなかったのだと自覚する。

「そう、なのですね。…やっぱり、想像が難しいです。申し訳ありません」

「謝る必要は無い。想像できなくとも、すぐに実物を見ることが出来る。世界踏破者トラベラーと共に暮らすとはそういうことだ。常に新しい世界と触れることになるからな」


 またなにか、聞きなれない言葉が聞こえた。

「とらべらー、とは何なのですか?」

「…確かに、あまり知られていない言葉かもしれないな。簡単に言えば、『世界探索者ツーリストより強く、最強の生命体イモータルを倒しうる人材』ということになる」


 世界探索者ツーリストならわかる。いわゆる出稼ぎ労働のようなもので、まだ村にいた時にたまに見かけたことを覚えている。わざわざ外の世界から来て何かをするなんてかっこいいとその時は思ったものだが、ご主人様は「仕事に溢れて別世界まで来た落ちこぼれ」だとか言ってバカにしていたので少し悲しくなったりもした。


 わたしは結構世界探索者ツーリストのことは好きだ。しかも、キョージュはそれ以上にすごいというのだ。もちろんわたしはそれを身をもって知ってて、それならやっぱり、まるで―

「―勇者様みたい」


 ポロっと声に出てしまったそれを聞いてか、彼は少し切なげに笑った。

「…『勇者』か」

「私はそんな大層なものではない。ただ奴らを狩り、滅する世界踏破者トラベラーだ」

 そんなことを言って、それから彼は振り返って、

「そろそろ行くぞ。あまり長居しても悪いからな」

 と言い残して歩き出した。


「え、でも名前を付けないと」

「―イヌイ」

 名前…なのだろうか?耳に馴染みのない響きをしたソレを、彼はもう一度口遊む。

「イヌイ。それがお前の姓だ。名前は好きに決めろ」

 イヌイ。意味は分からなかったが、なんとなく落ち着く響きだ。それに。

 キョージュが、初めてくれたものだ。


「…はい!」

 無性に胸の中がいっぱいになってしまった。イヌイ、イヌイと繰り返していれば、だんだん楽しくなってきて飛び跳ねてしまいそうになる。必死でそれを抑えつつ名前を考えてみれば、ふとひとつの言葉が頭に浮かぶ。


「マキ」

 そう呟くと、前を歩いていた彼が足を止めた。すぐに振り返り、わたしの方に近寄ってきて肩を掴まれた。

「今、なんと言った?」

 その顔がとても恐ろしく、それでいて泣きそうに見えたのは気の所為だったのだろうか。肩に当てられた手に段々と力を込められていく。


 それがとても怖くなってしまって、か細い声で

「…マキ、です」

 と発せば、彼は少しの間逡巡したかと思うと

「…そうか」

 とだけ返してまた前に向き直ってしまった。

「良い名だ。大切にするといい。…書類には私が書いておこう」

 そう言い残して、またわたしを置いて何処かに行ってしまった。


 恐ろしかった。いくら優しくとも、何かが彼を怒らせてしまうとああまで恐ろしくなってしまうのだろうか。それとも、「マキ」という名前に嫌な思い出でもあったのだろうか。

 …少しだけ、自分の名前が嫌になった。


 でも、「良い名だ」とも言ってくれたのだ。嫌なら変えろと言うだろうし、これでもいいはず。きっと、多分大丈夫。それに、せっかくキョージュから初めて貰ったものなのだ。大事にしなくてはバチが当たってしまう。それこそ、神様だってそういうだろう。


「よし」

 今日からわたしは、「イヌイ・マキ」。大切な名前だ。

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イモータル・ハント~其は『最強』を断つ刃~ 筆菜 @Blewgelle

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