ふくぼんっ!~後輩に幼馴染を奪われ、彼を返して欲しくてもなにも言えない女の子のお話~

くろねこどらごん

第1話

 白い扉の前に立つ。


 昨日もここにきた。


 明日もきっと、ここに来る。


 そして私は後悔する。それでも私は、ここに来なくてはいけなかった。


「来たよ、景」


 コンコンと2回ノックし声をかける。

 するとすぐに返事が来て、私はドアを開けて部屋の中へと入る。

 ここ最近、何度も繰り返してきたやり取り。決して慣れたくないルーチンワーク。

 ドアをくぐると、消毒液の強い匂いと、白いカーテン。そして白いベッドに横たわりながら手を挙げる男の子が、私を迎えた。


「よお、千夏。今日も来たんだな」


 私の名前を呼ぶ彼の声には、どこか苦笑が混じっている。

 本当は、「また来たのか」と言いたいんだろう。今日もという言葉から分かるように、ここには頻繁に訪れていた。

 ううん、その言い方は正しくない。本当は毎日訪れているからだ。

 あの日、幼馴染の景が怪我をしてから、ずっと。


「うん。今日はプリント持ってきたから。数学ね。あと、クラスの子達からの差し入れもあるよ。何冊か漫画貸してやるから、これでも読んどけって言伝も頼まれたから」


「うえ、数学かよ。嫌いなんだよな。まぁ差し入れは有難いけどさ。ずっと寝てると退屈だからなぁ」


 嫌そうな顔をする景から目線を外し、こっそり横へと動かした。

 本来シーツで覆い被されているはずの足元には、片方の足を上からギプスで吊っている。


(っ………)


 それを見るたび、私は胸を締め付けれるような感覚を覚えてしまう。

 まるで自分がした過ちを、見せつけられているような気がしたから。


「ごめんね…」


 気付けば謝罪の言葉が口に出ていた。

 謝ったところで、何にもなりはしないっていうのに。

 ううん、それどころか―――


「謝んなよ。もう散々謝られたし、もういいって。なんとも思ってないからさ」


「でも…私のせいで、足折っちゃって…最後の大会にも、出られなく…!」


「俺がそうしたいって思ったんだからいいだよ。てか体が勝手に動いたし。助けられて良かったんだから、それでいいんだって」


 だから気にすんな。そう言って、彼は笑った。

 この話題についてはこれで終わりにしたいことが、態度から分かる。

 それを見て、喉に出かかっていた「でも」という言葉を、私は必死に飲み込んだ。


「………うん」


 なんとか頷くことはできたけど、胸がひどく痛い。

 この優しい笑顔が昔から、ずっとずっと好きだったのに。

 今はただ、見ているだけで辛かった。


「それに、もうすぐギプスは外せるらしいからさ。そしたら松葉杖使って動けるようになるし。そうなったらすぐにリハビリだ。また歩けるようになっから、心配すんなよ!」


 私を元気づけようとしているのか、明るい声で話してくれる景。

 本当は、その時間を走ることに使いたかったはずなのに。

 中学の頃から、ずっと陸上を頑張ってきて。

 高校にも推薦で入れて、注目されて。


 あの日の帰り道でも、タイムも伸びてきて絶好調だってはしゃいでた。

 大会でいい結果を残せれば、目標にしてる大学にだって声がかかるかもしれない―そんな夢を、景は目をキラキラとさせて語っていた。


「ふふっ、景ならきっと大丈夫だよ。景が頑張ってることは、私が一番よく知ってるもん」


 私は彼の夢の話を聞けて、嬉しかった。ちょっと子供っぽく声を張り上げて夢を語る横顔が、昔とちっとも変わってなくて、それがなんだか嬉しくて、素直な気持ちで頑張れって応援した。

 幼馴染ということもあって、元々距離は近かったけど、私に夢を語ってくれたのが、素直にただ嬉しかった。

 その夢の先に、景の隣に。私が一緒にいても、いいような気がしたから。

 そして同時に、私は浮かれてしまった。


「ねぇ、景。その時は、私も―――」


「っ!!あぶねぇっ!!!」


 一緒の大学に行っていい?そう聞こうとして、緊張して。周りが見えなくなっていて。

 差し掛かった交差点の向こうから、こっちに突っ込んでくる車に、気付くことが出来なかった。

 気付いていたのは、隣を歩いていた幼馴染。

 そして、そんな馬鹿な私を、景は庇った。


 ドンッと突き飛ばされる感覚。

 甲高いブレーキ音。それは、私の耳に未だ残り続けてる。


 なにが起こったのか理解できたのは、倒れてる幼馴染の右足が、赤い水溜まりの中に沈んでいることに気付いてからのことだった。



 ※



 それからすぐ救急車が来て、景は病院に運ばれた。

 幸い命に別状はなく、轢かれた右足を除けば、他の箇所に大きな怪我はなかったらしい。

 だけど、骨折のために、景は一ヶ月の入院を余儀なくされた。

 大会はもう間近に迫ってて、治ったとしても決して間に合わないタイミングだった。

 いや、リハビリも含めれば、そもそも走るどころか歩くことさえ時間を要する。


 結果、事実として、景は最後の大会に出ることは出来なかった―――私のせいで。

 有り得たかもしれない夢と未来を、私は幼馴染から奪ったのだ。


 何度も後悔した。私が景の代わりに事故に合えば良かったのにと、自分を責めた。

 景の前でその話をしたら、景にひどく怒られた。

 そんなことを言うんじゃない。俺は後悔なんてしてないし、お前に怪我がなくて本当に良かったと、逆に慰められた。


 私はますます死にたくなった。

 辛いのは景の方のはずなのに、彼の前で懺悔して、自分が楽になろうとしたのだ。

 浅はかで軽薄で、惨めだった。自分の愚かさを、突きつけられた気がした。

 合わせる顔なんてなかったけど、それでも来なくてはいけなかった。

 許してもらえたのは事実でも、私は罰が欲しかった。

 そうでないと、自分で自分が許せなかった。


 それなのに、私はまた彼に謝った。

 楽になりたいという気持ちが、まだ心の中にまだ燻ってるということだろう。

 だって、こんなにも辛くて苦しいんだ。


 以前は景といると、あんなにも楽しくて、胸が温まっていたのに、今は同じ空間にいるだけで息が苦しくなる。涙が出そうになってしまう。胸を後悔が襲ってくる。

 罪悪感が全身にのしかかり、心も体も潰れてしまいそうだった。


 コンコン


 その時、部屋の外からノックの音が響いた。

 直後、声が聞こえてくる。


「先輩、入っていいですか?」


 女の子のものだった。それも、私の知っている声。

 一瞬体が固まるも、景は「いいぞ」と外に聞こえるよう返事をする。

 途端、ガラリとドアが音を立てて開かれる。


「失礼します、先輩…あっ」


 そしてその子と目が合った。

 思った通り、彼女は陸上部のマネージャーをしている、一つ下の後輩の子だった。

 よく景のお見舞いに来ていて、毎日ここに来ている私とよく鉢合わせをしていた。


「……また来ていたんですか」


 ただし、関係は良くなかった。

 向けられる声は低く、私を見る彼女の目つきが険しくなる。

 それに気圧されるように、私は立ち上がっていた。


「ご、ごめん。私、もう帰るねっ!」


 そしてそのまま、逃げるように病室を後にする。

 いや、事実として私は逃げるのだ。後ろから景が声をかけてきたような気がするけど、振り返るようなことはしなかった。



 ※



「は、ぁ…」


 ひとりベッドで息を吐く。

 私がようやく落ち着くことができたのは、自宅にたどり着いてからのことだった。


「あの子、怒ってた、な…」


 マネージャーの子の目には、確かな敵意が宿ってた。


 ―――なんで貴方がここにいるんですか


 そうハッキリ告げていたように思う。

 当然だろう。彼女だって景の頑張りを、いつも間近で見ていたはずだ。

 景はたくさん頑張っていた。人一倍練習に明け暮れていた。

 そんな姿を見てきた人が、突然の事故を、理不尽に思わないはずがない。

 まして、その原因になった人物と会ったなら、睨みつけたくなる気持ちも分かる。

 何度も顔を合わせても、関係がよくなる気配は微塵もなかった。

 これもまた当然のことで、毎回私がすぐ逃げ出すからだった。

 あの目で見られると、自分のしたことを突きつけられるようで、耐えることができないのだ。


「私、なんでこんなに弱いんだろう…」


 膝を抱えて蹲るも、それでなにが解決するはずもない。


「時間を巻き戻せたらいいのに…」


 出てくる言葉も後悔ばかり。

 あの日から、私はずっと悔み続けてる。

 これからも、あの時のことを、ずっと後悔し続けるだろう。



 だけど、私にとって本当の後悔は、これからだった。



 ※



「私、先輩のことが好きです」


 あの人―先輩の幼馴染だという人がいなくなった後の病室で、私は自分の想いを先輩に告げていた。


「え…?」


「私、先輩のことが好きなんです。付き合ってもらえませんか」


 先輩は戸惑っているみたいだけど、もう一度自分の気持ちをハッキリ告げる。

 分からないなら、何度だって言うつもりだ。ただ、そこに先輩を好きという以外の気持ち―怒りが混ざっていることは、否定できない。


「治るまでは、私が先輩のお世話をします。なんだってします。どんなことだって言ってください」


「いや、その、気持ちは有難いんだが…いいのか?」


「はい、その代わり、ひとつ約束してください」


 曖昧な返事だったけど、私はそれをYESと捉えた。

 勢いだろうとなんだろうと、付き合えたなら私の勝ちだ。

 そして付き合えたというなら、もう割り込ませなんてしない。


「あの人、先輩の幼馴染さんですよね。事故の原因になったっていう」


「…その言い方はよせよ。俺は気にしてないんだ。アイツだって悪くないんだし」


 むっと顔をしかめる先輩。いけない、対応をミスったか。

 それを悟って、私はすぐに頭を下げる。


「ごめんなさい。責めるつもりではなかったんです。ただ…あの人、あまり体調良くなさそうに見えたので、そこが気になって」


「ああ…アイツ、事故のこと気にしてるみたいだからな。お前は悪くないって、いつも言ってんのに…」


 なに言ってるんですか、先輩。

 悪いのはあの人じゃないですか。そりゃ一番悪いのは事故を起こした運転手ですけど、それでも先輩が足を折ることになったのは、あの人の不注意からでしょう。

 それで大会に出られなくなったじゃないですか。あんなに頑張ってたのに。

 タイムだって伸びてきて、嬉しそうにしてたのに。嬉しそうに笑う先輩の顔を見るのが、私の一番の楽しみだったのに。


 それを全部奪ったのは、あの人ですよ。

 私、頑張った人が報われないのって嫌いなんです。

 だって、理不尽じゃないですか。たくさん努力してきて、あと少しで結果が出せるって時に、事故に巻き込まれるなんて。


 先輩は優し過ぎるんですよ。

 許せないって言っていいんですよ。

 怒ったっていいんです。なのに、私に愚痴のひとつだってこぼしてくれない。


 それが嫌なんです。私が来ると、いつも先にあの人がいることも嫌です。

 ここに来ると、いつも暗い顔をしているあの人が、私は大っ嫌いです。

 私は悪いことをしました。最低です。ごめんなさい。そう言いたいって、顔に書いてますもん。

 実際に言ってるかもしれませんね。言ってたら、先輩は怒るでしょう。そんなことを言うなって。そうしてまたごめんなさいって、あの人は言うに決まってます。


 そうして自分を慰めるんですよ。

 悪いことをした自分可哀想。許されないのに許してもらってごめんなさいって。


 クソじゃないですか。ただのオ○ニーですよ、それ。

 そんな身勝手な自慰行為に先輩が巻き込まれるなんて、私は我慢できないんです。

 だから―――


「なら、私が言っておきますよ。しばらく来ないでくださいって。気持ちが落ち着くまでは、そのほうがお互いのためなんじゃないでしょうか」


 彼女という立場から言えば、あの人を先輩から引き剥がせる。

 そう思ったんですよ。



 ※



「―――そういうことですから。それじゃあ」


 次の日。放課後。

 授業が終わっていつも通り、急いで景の病室に向かおうとした、その日。

 昨日病室で出会い、睨まれた、あの後輩の子に呼び止められ、一緒に向かった校舎裏で、信じられないことを言われた。


 曰く、自分と先輩は昨日から付き合い始めた。


 曰く、私が帰った、あの後の病室で、告白した。


 曰く、もう私には病院には来ないで欲しい。先輩のことは、彼女である私が、全部世話をしますから。


 曰く、辛気臭い顔をもう先輩に見せないで欲しい。ごめんなさいと謝ったところで、先輩の時間は帰って来ない。


 曰く、先輩を自分の慰めに巻き込むな。可哀想と思ってるなら、一生ひとりで自分を慰めてろ、と。


 曰く、曰く、曰く―――色んなことを言われたと思う。

 ただ、頭に入ってこない。最初に言われた、景と付き合うことになったという言葉の衝撃が大きすぎて、頭の中がグワングワンと揺れている。


「ま、待って―――」


 それでも、なにか声をかけないと―そう思い、彼女を呼び止めたのだけど、


「―なんです?」


「あ、う…」


 また、あの目で睨まれた。

 貴方が悪いと、黒い瞳が告げてきて、声が詰まる。

 そんな私を見て、彼女は心底馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、


「……言いたいことも言えないなら、黙ってればいいのに」


 そう言って、今度こそ立ち去っていく。

 その背中に、かける言葉はなにもなかった。


「う、あ…」


 私は地面に膝をついた。湿った感触が気持ち悪い。でも、立ち上がる気力もない。

 なにを言えばいいというんだろう。だって、言いたかったことを言おうとしたら、景を事故に合わせてしまったんだ。


「あ、ああああ…」


 なら、もう言えるはずがなかった。

 あの時のことはトラウマとして、私の体に刻まれているのだから。

 分かってないのはそっちじゃない。返して。返してよ。私の好きな人を、取らないでよ。


「あ、ああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっっっ……………!!!!!」


 そう言いたいのに、言葉が出ない。

 ただ私は、泣き崩れることしか出来なかった。

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