週末のギロチン

亜済公

週末のギロチン

 ――断頭台でピースするやつを、僕は生まれて初めて見た。


 モノレールを降りて徒歩五分。黄色く染まりつつある並木道を、ぽつり、ぽつりと進んでいく。我ながら、夢遊病患者めいた頼りない足取り。やがて見えてくる都庁前の小さな広場に、安っぽいギロチンがたたずんでいた。木目を模したプラスチックの枠組みに、ステンレセス製の巨大な刃。清掃されてはいるものの、細かな隙間には赤黒いかすがたまっていた。罪人の首を「押し切る」ための、単純で原始的な装置である。

 その周囲に、今、無数の人影があった。赤とか青とか緑とか、雑多で――そして同時に、どこかのファッション雑誌で目にしたような既視感だらけの――格好をして。

 彼らは一様に、断頭台を見つめていた。

 今まさに首を落とされようとしている、彼女の姿を見つめていた。

「何がインスタ映えだ、バカ」

 僕はぼやきつつ、シャッターを切る。

 何世紀前の遺物だろう。ギロチンなんて悪趣味なものが都庁前に置かれてから、もう三年が経とうとしている。倫理を理由に廃止された死刑制度は、退屈を理由に復活した。僕らはみんな、この平和と――ネットにあふれる過激なコンテンツに飽きていたのだ。セックス・ドラッグ・バイオレンス。毎年のように流出し、決まってバズるレイプ動画。動物虐待には三百万の「bad」ボタンが押されるけれど、なんだかんだで誰もが新作を待っている。より強い刺激を、より強い刺激をと、求め続けた結果が、これ。

 毎週日曜、誰かが遂げる劇的な死を、都民は無料で目撃できる。


「めっちゃむかつく」

「うわー、うざい」

 半袖のセーラー服をひらめかせながら、いつだって、彼女は何かに怒っていた。炎上ツイートを死んだ目で拡散するクラスメイトに囲まれながら、ただ一人、自分の感情を発露していた。曰く、自販機がおつりを間違えたとか。あんパンの中身がスカスカだとか。一つ一つは取るに足らない、些細な事柄であったけれども――それが彼女自身の、本当の「気持ち」であることは、おそらく疑いないだろう。誰かの怒りに便乗して、リツイートボタンを押すのではなく。羨ましい、と素直に思う。

「……おはよう。いやはや、キモかったぁ」

「どうかしたの?」

 登校早々、どうもこうもないよ、と彼女はいつものように愚痴を並べた。父親が何かと絡んでくること。体臭がきつくて、同じ部屋にいたくないこと。遠回しにいってみても、「そうかそうか」と適当に扱われるだけであること。面と向かってはっきり口にしてしまったら、傷つけてしまいそうで怖いということ。

「ま、どうでもいいことなんだけどさ。それより、コンクールの絵は完成したの?」

「大体は。残ってるのは顔だけ、かな」

 僕は絵を描くのが趣味だった。

「顔面かぁ。大事だもんね。結局、見てくれがよけりゃ何だってうまくいくんだから」

 その通りだ。可愛ければ、格好よければ――もっと単純にいうのなら、ただ「美しい」というだけで、人生におけるあらゆる問題は解決するに違いない。誰もが好印象を抱いてくれる。誰もが味方してくれる。美男美女に感謝されるためならば、人間の一人や二人、殺してしまう者だっているだろう。そして残念なことに、僕の顔面は凡庸だった。

 だから、美しいものを作ろうと思う。

 作ったものの美しさによって、みんなにちやほやされたいと思う。

 詰まるところ、それが絵を描く理由だった。

「どう? 今年は入選できそう?」

 正直なところ、僕は今まで一度だって表彰されたことがない。最初にコンクールへ送ったのは、積み上げたハイチュウのスケッチだった。次がアルプス山脈の絵で、その次が穴の開いた靴下で。

 ――君は何を描きたいの?

 美術の先生に相談したら、真っ先にそう聞かれたっけ。はげ頭の、目つきが鋭い人だった。鼻の下にボサボサとひげをだらしなく生やして、妙に真面目くさった人だった。

 ――今は、仰向けのカブトムシを描きたいです。

 仰向けのカブトムシの顔を描くのは、案外難しいものなのだ。

「ほらほら、そんなに深刻そうな顔をするなよぉ」

 彼女は愉快そうに僕を見る。

「私は好きだよ、ああいう絵。『真剣じゃない』っていうことに、真剣に向き合ってる感じがしてさ。だから頑張って美人に描きな」

 過大評価だ、とそう思った。

「……頑張ってみる」

 僕にとっての日常は、彼女との会話に支えられた。唯一、待ち遠しいと思えたのだ。学校の授業も、他のクラスメイトとの歓談も、ただ始まって終わるだけ。「ああ、退屈な授業が始まってしまう」「ああ、やっと終わってくれる」。家に帰ればSNSで、友人から送られた話題の投稿を追いかける。猫の喉に管を押し込み、ガソリンを流し入れる動画。てっきりどす黒いものかと思っていたけど……オレンジの透明な液体で、グレープフルーツジュースに似ている。「虐待です。猫を何だと思ってるんですか」誰かのコメントが目に入った。僕は猫を何だと思っているのだろう? 考えがまとまる前に、指先はリツイートボタンを押している。一時間ほど画面に向き合い、無数の動画に目を通し、ようやく「終わった」とため息をつく……。

 そういう「始まり」と「終わり」の繰り返しに、僕はずっと前から飽きていて、そして誰もがやっぱり同じように退屈していた。もっと、刺激を。面白い日々を。だから法律を変えてまで――死刑をわざわざ復活させて、公開処刑まで可能にして――ギロチンは作られたのだろう。

 あの刃の落ちる、ドスン、という重苦しい音。

 首も、大気も、見ている者の意識すら、すっぱり切断してしまうかのような。

 血しぶきだって、死体だって、ネットにはいくらだって転がっている。首が飛ぶシーンを見たいのならば、どこかのテロ組織が昔流した、裏切り者の処刑動画でも探せばいい。けれどもあの音……膀胱に響くようなあの音だけは、実際に体験しないとダメなのだ。

 みんな、ギロチンに夢中だった。


 毎週日曜、公開処刑が行われる。観覧のためのチケットは誰だって申し込むことができたけれど、それなりの倍率で抽選が行われることもしばしばあった。凶悪犯とか、元人気俳優の断頭だとか。

「死刑になるって――」僕は彼女を横目で見る。「一体どんな気分だろうね」

 昼休み。学校の裏庭にはよどんだ緑色の池がある。鏡みたいに硬質な水面――そしてそこに映り込む空。透き通るような雲が一つ、風に煽られ漂っている。もう夏も終わりに近い。乾燥した空気の中に、蝉の死骸の臭いがあった。あのやかましく、同時に不思議なたくましさを感じさせる鳴き声は、この頃めっきり遠のいている。

 みーん、みーん、みーん。

 みんみん、みーん、みん。

 みんみーん、みんみんみ。

 みみみみみみみみみみん。

 みん。

 夏はそうやって終わっていくのだ。

「案外、気持ちいいのかもしれないわ」

 他に生徒の姿はない。周囲には、うっそうと茂る雑草や、蔦に絡まれ枯れかけた木、そして脚の腐った木製のベンチが、ぼうっとたたずむばかりである。教室ほどの広さしかないこの空間は、だからお気に入りの場所だった。

 彼女は弁当をぱくついて。

 僕はタブレットで件の絵を描き進め。

 ただ、静かに。

「気持ちいい? 自分が死ぬっていうときに?」

「自分が死のうと、他人が死のうと、それが刺激的な催しであることに変わりはないでしょ。第一、『命の価値』なんて、暴落する一方じゃない。戦争も病院も、弾丸も錠剤も、人の寿命を簡単に左右しすぎたのよ。みんなにとって大事なのは、生きるか死ぬかより、『面白いかどうか』なの……」

 こんな世の中吐き気がする、と彼女はいった。それから裏庭の端っこに行って、ゲロゲロと弁当を吐き出してしまう。米粒が、咀嚼された真っ赤なトマトが、卵焼きが、グリーンピースが、胃液と一緒にぶちまけられた。

「馬鹿げてる。ふざけてる。吐き気がするわ」口元のゲロを拭いながら、ため息とともに繰り返す。「みんな死んでしまえばいいのに」

 半袖のセーラー服をひらめかせながら、いつだって、彼女は何かに怒っていた。あるいは「憎んでいた」と表現してもいいかもしれない。スカスカのあんぱんとか、おつりを間違える自販機だとか。あるいは、ネットで拡散される過激な動画……消費される誰かの不幸……「かわいそう」といいながら、その実心躍らせている無数の誰か……。そして自分自身の父親にさえ、その憎悪は向けられている。

 おそらくは。

 世界の何もかもが、気に入らなかったに違いない。

 真剣になれない、すべてのものが。

「お父さんだってやっぱり同じ。死んじゃえばいいんだ。私の服と一緒に洗うなって何度いっても、『思春期だなぁ』なんて笑うばかりで。次の日には全部忘れて、洗ってる。……ああ、気持ち悪い。吐き気がする!」

 僕はタブレットに指を乗せる。カブトムシの顔を描き、気に入らずに消去して、再び描き、また消した。

「みんな死んでしまえばいいんだわ」

 弁当を口に運びながら、またいった。それは間違いなく本心だろう。誇張でも、空想でもなく。人類が滅亡するまで、きっと怒りは収まらない。

 夜遅く、SNSで彼女からメッセージが届いた時。

 僕はだから、さほど驚きはしなかったのだ。やりかねないと思っていたから。

 ただ、ぎょっとしただけで。


 ――どうしよう。殺しちゃった。


 血。

 血、血、血。

 赤い血、黒っぽく赤い血、赤っぽく黒い血。

 固まった血、したたっている血、固まりかけた血。

 壁に掛けられたウサギ模様の電波時計が、ピコピコと十二時をお知らせしている。

 家に飛び込んできた僕を見て、

「ど……どど……どどど、どうしよう……」

 彼女はもつれた声を出した。白いソファ、黒いテレビ、緑色のカーペット。ちゃぶ台の上にはコンビニ弁当が二つあって、片方からは湯気がぼんやり上っていた。戸を開いたままの電子レンジに、流しっぱなしの水道水。それらに囲われ、中年の男がべったりと仰向けに寝転がって――いや、「寝転がる」というよりかは、「落ちている」という方が正確だろう。誰かのポケットから転がり落ちた、裸の大福を思わせる。大福の餡はあちこちにべったりと張り付いていた。家具に、壁に、彼女の服に。

「どどどど、どうしたの」僕はいった。「ここ、殺したたた、たの?」

「違う」彼女はじろり、と僕を睨む。「殺してない。喧嘩して、突き飛ばしたら、頭をぶっつけて、血が出て、死んじゃって……殺しちゃった」

「どどどどどどっどどど、ど、どど、どうしよう」

「それを私が聞いてるんじゃない!」彼女はヒステリックに声を荒げた。「早くしないと、お母さんが帰ってきちゃう」

 僕らはうなった。うなって、一生懸命考えた。

「警察に電話……」

「嫌よ。そんなのってない! 私が逮捕されるじゃない……」

「他にやりようなんかないだろう」

「手伝って!」彼女は叫ぶ。「埋めましょう。庭に。お母さんが帰ってくる前に。埋めてしまえばきっとばれない」

 そんなはずはない。

「君のお父さんは突然いなくなるわけだろう。誰だって探すさ。庭に掘り返した跡があったら、お母さんだって不審に思う」

「いいから、黙って手伝ってよ!」

 彼女の目が、きゅっと細くつり上がった。

「埋めた後に、逃げればいいじゃん。死ねっていうの? 私に死ねって? 死刑になれって? 嫌だよ、絶対。埋めようよ。一緒に逃げてよ……電車代くらい出すからさ……」

 いいながら、こちらへつかつか近づいてくる。血まみれの服で。ふらふらと、不安定な足取りで。

「でも……無理だよ……逃げられっこないし……ほら、コンクールの絵……描かないとだし」

「手伝ってよぉ!」

 僕は一歩、また一歩と後ずさる。そしてある瞬間――彼女が僕の腕をつかもうと、指先をついと動かした瞬間――とうとう我慢できなくなった。家から飛んで、逃げ出したのだ。

 悲鳴のような甲高い怒号が背中に深々と突き刺さった。

 決して、背後を振り返らない。

 僕はひどく混乱してて、あきれるほどに臆病だった。


 毎週のようにギロチンで首をはねていたら、犯罪者はあっという間に不足する。重罪人はいなくなり、万引きでさえ時期が悪ければ死刑になりかねないご時世だった。尊属殺なんて、当然ながら見世物にされる。都庁前のギロチンで、ズドンと首を切断される。

 裁判は簡潔で、弁護の余地はどこにもなかった。故意であるにせよ、そうでないにせよ、死んだ者は死んだのだ。だから死刑、と。

 ――最近、ちょっとマンネリだよな。

 モノレールを降りて徒歩五分。広場に集まった誰かの声が、ふと僕の耳に入った。

 ――そうそう。なんか飽きてきたかも。もっと泣いたり暴れたりすりゃ、面白いはずなんだけど。演出がダメだよ。

 ギロチンに拘束された彼女を見ながら、どんな気持ちだろうかと想像する。

「みんな死んでしまえばいいのに――か」

 死刑だって、結局のところ無数の娯楽の一つでしかない。なら、飽きることだってあるだろう。誰も、真剣に彼女の死を見ることはない。無数の眼球に照らされながら、そこにいないも同然だった。

 彼女の目が、唐突に僕の姿を捉える。一瞬、ひどく悲しげに、くしゃくしゃと顔を歪ませた後――「安心した」とでもいうかのような、妙に柔らかい笑みを浮かべた。彼女は唇を大げさに動かし、こちらへ言葉を伝えようと……。

「何がインスタ映えだ、バカ」

 断頭台でピースするやつを、僕は生まれて始めて見た。

 これが彼女の意地なのだろう。あるいは精一杯の抵抗か。

 ズドン。

 微笑みが、宙を舞う。

 くるくると、愉快そうに回転する。

 断面からあふれ出る大量の血液を推進剤に、ぽーん、とびっくりするほど遠くへ、飛ぶ。

 描き残したい――と、僕は思った。


     ※


 絵を描いた。

 ぽーん、と飛んだあの表情を、一心不乱に描きつけた。刺激的でも、鮮烈でもない、あのしっとりとした微笑みを、美しいと感じたのだ。

 彼女は僕を、どう思っていただろう?

 裏切り者? あるいは友達? それとも全く別の何か?

 宙を舞った表情の中に、どんな感情があったのだろう。

 答えはなかった。それでも想像することが、僕にとっては重要だった。あるいは僕だけでなく、本当は誰にとっても、大切なのかもしれなかった。

 けれど。

 この考えに、誰かが同意することはないだろう。今まで通り、断頭の映像はほんの一瞬ネットに流れ、たくさんの「good」ボタンと「bad」ボタンを獲得し、どこかへ静かに消えてしまう。決して、変わることはない。未来永劫、絶対に。彼女が憎んだこの世界は、どうしようもなく丈夫だろうから。

 結果として。

 完成した絵は、コンクールで大賞を取った。大変な額の賞金が出て、大学の推薦まで決まってしまった。

 美術の先生は「カブトムシに人間の顔をつけるというのは……」と感心したような釈然としないような表情で、「ま、面白い絵なのは間違いない」なんて口にする。「これはなかなか笑える絵だよ」

 ――死んでしまえばいいのにな。

 みんなみんな、自分も他人も、誰も彼もが死ねばいいのに。先生のはげ頭を見て、僕は思った。

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