第7話
タチバナとギルドマスター「ヴァハ」は腕を組んでギルドの出口に向かっていた。ヴァハはかなりの大男だ。腕を組んでいるといっても、端から見ればタチバナがしょっぴかれているように見える。
ヴァハはクー族。例に漏れずニンゲンが大好きだ。久しぶりのタチバナにすこぶるご機嫌で、二人きりの楽しい時間を少しでも長引かせようとクネクネしながら通路を歩いていた。
周りの魔導師たちのいろいろな意味を込めた視線が痛い。そんな奇異の眼差しもヴァハは全く気にする様子も見せず、楽しげにタチバナに話しかけた。
「ねぇねぇ、布袋監督ってどんなニンゲン?」
「見れば分かるから急いでくれよ」
「や〜ん、タチバナちゃんつれない〜。イリスを止めてあげたのに〜」
イリスとは金縁眼鏡の受付嬢の名前である。ヴァハの乱入が無ければ、今頃タチバナの指は折られ、それよりも何よりも氷の杭で串刺しにされていたことだろう。タチバナは思い出して一瞬身震いし、ほっと息をついた。
「本当に間一髪だったよ。ありがとな、ヴァハ」
「うふふん」
タチバナに感謝されたヴァハは嬉しそうに胸を反らした。クー族は素直で宜しい。タチバナは上目遣いでヴァハを見上げた。
「だけど、急いでくれたらもっと助かるなぁ」
「もぉ、しょうがないわねぇ♡」
「おわっ!?」
クー族は素直で大変宜しい。ヴァハはタチバナをお姫様だっこし、出口に向かって風のようにひとっ飛びした。タチバナはイヌ耳帽子が飛んでいかないように抑えるのに必死だった。
扉を風圧で開け、ついでに近くの魔導師たちも跳ね除け、あっという間に外に飛び出す。タチバナは道案内しようと口を開いた。
「場所は―」
「場所ってあそこ?」
ヴァハの視線の先にはさっきまでタチバナたちがランチを楽しんでいたレストランがあった。何やら人だかりが出来ている。しかも、ちょうどシェリーたちが座っているテラス席の付近だ。遠くてよく見えないが喧嘩をしているようなオーガっぽい種族もいる。タチバナの心臓がドクンと大きく波打った。
「シェリーと監督の命が危ない!」
タチバナをお姫様だっこをするヴァハの手に力が入った。痛みで声が漏れたタチバナにヴァハの野太い声が降り注ぐ。
「シェリー? 女? まぁいいわ。話は後で」
言うが早いか、ヴァハは人だかりの目の前まで飛んで行った。風圧で何人か吹っ飛ばされたほどだった。タチバナはヴァハから飛び降りると、我も忘れて人だかりに分け入った。もみくちゃにされながらも喧騒に負けないように、大声で叫ぶ。
「シェリー!! 布袋監督!!」
「おい、押すな!」
オーガ族に殴られて鼻血が出る。血を袖で拭ってそのままもう一度人だかりに突っ込む。ヴァハが氷の手錠で次々に人だかりを捕縛していく。おかげでタチバナはかなり動きやすくなった。
「シェリー! 無事か? 返事しろ!!」
「順番守れよ。次はオレだ…ブヒッ!」
タチバナに拳を挙げたオーガの鼻先にヴァハの稲妻が命中し、オーガは気絶して倒れた。かわいそうに白目を向いている。
ヴァハの助けを借りながら、早くシェリーと監督を探さねばと隙間を掻い潜り、何度目かの顔を上げたタチバナの目の前に、ついにそれは現れた。銀色に輝く美しい髪にタチバナは手を伸ばす。
「シェリー!!」
「社長?!」
人だかりを抜けた先、そこには目を見開くシェリーと監督が、タチバナと別れた時と同じようにテラス席に座っていた。タチバナはシェリーの前に倒れ込む。
「シェリー、無事だったか? 監督も無事か?」
見上げたシェリーの顔は今にも泣き出しそうだった。
「私たちは大丈夫です。でも社長が…なんでそんなにボロボロに…?」
「無事なら良かった…オーガに囲まれてたからてっきりひどい目にあってたかと…」
目の前の二人には傷一つない。タチバナは二人の無事を確認し、安堵の息を息を吐いた。埃を払い落としながらゆっくり立ち上がる。布袋監督の笑い声が耳に届いた。
「タチバナくん、君が思っているほど彼らは乱暴な人たちじゃないよ」
「いやいや、あいつらは野蛮なんですって…ってうわぁあっ!」
タチバナは思わず叫んだ。布袋監督の目の前にオーガが一人腰掛けていたからだ。鋭い目つきでタチバナを睨み何か言いたげだったが、何も言わずに布袋の方へ向き直る。妙に緊張した様子で身じろぎ一つせずにいる。
布袋監督の手元にはスケッチブックがあり、目の前のオーガの似顔絵が描かれていた。シェリーがタチバナに耳打ちする。
「みんな、監督の絵に惚れ込んじゃって。似顔絵を描いてほしいって順番待ちしてるんです」
「なんだそりゃ…」
「でも、監督も楽しそうで」
「…そうだな…」
二人の視線に気がついた布袋は、視線はオーガとスケッチブックに向けたまま腕を止めることもなくタチバナに言った。
「今回の映画、実は乗り気じゃなかったんだ」
「えっ?」
突然の暴露にタチバナは素っ頓狂な声をあげてしまった。布袋が朗らかに笑う。
「構想が全然できてなかったんだよ。だけど、『構想はもう考えてあるから』って。ボクが監督ってだけで売れるからって。言われたとおり作れば良いって。ボクはやりたくもない映画を撮ろうとしてたんだ」
「それで…」
タチバナもうすうす感じていた監督への違和感はこれだったのだ。やる気のないような、やる気を絞りだそうとしているような、本意でないような、投げやり感。
それが今、目の前にいる監督からは全く感じられない。監督の目は生き生きとしていた。
「だけど分かった。ボクはやっぱりあの映画は取らない。全く心がワクワクしない。自分がワクワクできないのに人をワクワクさせられるとは思えない。ボクがなんで映画監督になったと思う? たくさんの人を楽しませたいからだよ。ボクの映画でワクワクしてほしい。ただそれだけ。彼らのおかげで初心を思い出したんだ」
そう言いながら、布袋は一枚似顔絵を描き終えた。それを目の前のオーガに渡してやる。彼は嬉しそうに瞳を輝かせると、大事に胸に抱いてその場を後にした。そして、その空いた席にすぐさま別のオーガが座る。彼女の瞳もまたワクワクと期待に満ちていた。
オーガの似顔絵を描き続ける監督とそのサポートをするシェリーを、タチバナは離れたところで眺めることにした。これだけ離れていると言葉の自動通訳は出来ないが、監督の描く絵が言語の壁を越えるので特に問題はなかった。空中撮影は必要なくなった。監督が残りの時間を、出来るだけ似顔絵描きに費やしたいと言ったからだ。
タチバナは無駄足になったヴァハに侘びをいれた。
「わざわざ来てもらったのに悪かったな」
「本当よ。貸し1だからね。窓ガラスまで割ったのに」
タチバナという男が来たという連絡を受けて、文字通り飛んで帰ってきたに違いない。タチバナは「貸し1」の重みに頬を引き攣らせ、苦笑いした。
「本当に、すみませんでした…」
「シェリーって、あの子、サイモンの娘でしょ」
急な話の展開に、タチバナは少し戸惑いつつも頷いた。
「そうだ。似てるかな」
「似てるわよ…で、サイモンは見つかったの?」
「いや…」
シェリーとチャコの父、サイモンはタチバナの命の恩人で、この「異世界ロケーションサービス Co.」の初代社長である。数年前、ロケ先で突然姿を消して以来行方知れずになっていた。
「『ネプチー』でそれらしい姿を見た人がいるって情報は知ってた?」
「!?」
「その様子だと知らないわね。連絡先教えてあげるから今度訪ねてみなさい」
「ヴァハ、本当にありがとう…!」
「これで貸し2ね♡ それじゃあアタシは戻るわ。さすがにイリスに怒られちゃう」
投げキッスを残し、風のように去っていったヴァハの見えもしない後ろ姿に、タチバナは深々と頭を下げた。ネプチーは遠い国だ。だけど、行かないという選択肢はない。
「一体どこにいるんだよ。「異世界ロケーションサービスCo.」の社長はお前しかいないってのに」
タチバナの独り言は異国情緒溢れるベルガの風に吹かれ、どこへともなく旅立った。
異世界ロケーションサービス Co. イツミキトテカ @itsumiki
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