第6話
シェリーは布袋とともに件のカフェテラスでタチバナの帰りを待っていた。空撮のために魔導師を連れてくるはずだが、思っていたより時間が掛かっている。
(「社長ヘマしてないかな…」)
椅子の隙間から垂れたシェリーの尻尾が力なく揺れる。実際その頃、社長は指を折られる寸前で、全然大丈夫では無かったのだが、まさかそんな事になっているとは知る由もないシェリーは言いつけどおり待っているしかなかった。
シェリーの隣では、監督がベルガの街並みをスマホで撮影している。とりあえず目につくものなんにでもカメラを向けるその姿に、シェリーはなんとなく違和感を覚えた。
スマホ越しに異世界を見つめる監督の瞳には、なげやりな、やるせない感情が渦巻いているように見える。以前は、もっと楽しそうに、それこそ、ずっと欲しかったおもちゃをようやく手に入れた子どものように、ワクワクした気持ちが全身から溢れ出していたものだ。
それなのに今日ときたらどうだ。安くはない依頼料を支払ってわざわざ異世界に来ているというのに、ときおりどこか心ここにあらずの様相を呈する。
シェリーは布袋監督ではない。だからいくら考えても彼の気持ちは分からない。だけど、いつもの監督とはやっぱり違う気がする。ランチの時の突き放すような物言いも、いつもの監督らしくはなかった。これはもう気になってしょうがない。いっそ直接本人に聞いてしまおう。そう思って口を開きかけたシェリーは、結局、何も言わずに押し黙った。
(「社長がいないと自動通訳できないんだった」)
タチバナのスキルはあっちとこっちを繋げる能力。いわば、あっちとこっちの橋渡し役だ。
それは、言葉にしてもそうだった。タチバナが近くにいれば自動的に翻訳されるシステムで、つまり、タチバナと離れている今はシェリーと布袋は会話が出来ない状態ということだ。
沈黙する二人の間をスマホのシャッター音が隙間なく埋めていく。いつも以上に無機質に聞こえるその音に、シェリーがようやく耳慣れてきた頃。
「△□×○×…!」
監督がなにやらぶつぶつ言った。意味は分からないが、その声音にはわずかに苛立ちと失望の色が滲んでいる。気がつけばシャッター音が止まっていた。何事かとシェリーは振り向く。監督はその視線に気が付くと困ったようにスマホを振ってみせた。
さっきまで目の前の景色をそのまま映していたその画面は今や真っ黒になっている。どうやら電池が切れたらしい。こっちで使うあっちの電化製品は電池の減りがやけに早いと、そういえば以前タチバナが言っていた。
それほど本気で困ってはいるわけではなさそうだが、分かりやすくガクリと項垂れた布袋監督に、シェリーは自身のインスタントカメラを差し出す。
「これ使ってください」
言葉は通じなかったが意味は通じた。監督は一瞬感謝するように口を開いたが、すぐに首を左右に降ると、差し出されたカメラを押し戻しシェリーの善意を固辞した。
「遠慮しないでくださいよ。監督のおかげでフィルムはたくさんありますから」
そう言ってもう一度差し出すシェリーの隣で、布袋は自分のカバンをごそごそと探り始めた。中から出てきたのはスケッチブックと色鉛筆。こっちではあまり流通していない画材だがシェリーはそれらの用途を知っている。茶目っ気たっぷりに笑う監督に釣られて思わずシェリーも目を細めた。
「写真でなくても記録はできますね」
シャッター音の代わりに、今度は色鉛筆が厚めの画用紙の上を滑る音が響き始める。
シェリーは布袋監督の絵を見るのはもちろん、描いているところを見るのも初めてだったので興味津々だった。
目の前に広がる色彩豊かで雑多な町並みを、布袋はささっと、しかし、精確にスケッチしていった。真っ白な画用紙はみるみるうちに彩られていく。布袋は時折、立てた鉛筆を前に伸ばし片目でじっと見つめた。長さを目測しスケッチの精度を上げていく。薄い緑に濃い緑を重ねてみたり、黄色の上に青色をのせてみたり、せっかく塗ったところを練り消しで消してみたり、ひっきりなしに動く監督の手元と正面の背景をシェリーの目は行ったり来たり。
あっという間に一枚の絵が仕上がり、シェリーは尻尾をぶんぶん振った。
「上手だわん!」
絵の中のベルガの町並みは写真よりも、柔らかくファンタジーな雰囲気で、見ているだけでシェリーの心はわくわくした。それに何より、絵を描く監督は今日一楽しそうだ。それがシェリーは一番嬉しかった。ニンゲンの喜びは犬っぽいクー族の喜びそのものなのだから。
布袋は画用紙をめくり早くもニ枚目に突入した。今度は何を描くのだろう。シェリーは前乗りに覗き見る。サーモンピンクの色鉛筆が何か丸いものを象っていく。
「そんな可愛いものありましたっけ?」
シェリーは小首を傾げながらテラスの前を見回した。すぐに、通りの奥の小さな路地裏で二人のオーガ族が取っ組み合いの喧嘩をしているのが見つかった。彼らの体色はサーモンピンクではないが似たような色合いといえばこれしかない。一人は腕に赤いバンダナを、もう一人は青いバンダナを巻いている。大方この街のオーガ族の派閥争いか何かなのだろう。シェリーは嫌そうに眉根を寄せた。
「オーガ族ってなんであんなに野蛮なんだろう。話し合いってものを知らないのかしら…あんなの描かないほうが良いですよ」
もちろんシェリーの言葉は監督には伝わらない。監督は手を止めることなくいろいろな構図を描き留めていく。デフォルメされた全体像を描いたかと思えば、腕だけ抜き出し筋肉の隆起を緻密に描写したり、殴られた青バンダナの歪んだ顔をどアップで描いてみたり、鋭く繰り出された赤バンダナの手刀の軌道を左から右に描き連ねてみたり。
次から次に画用紙の白い部分が埋まっていく様は圧巻だった。シェリーは監督の色鉛筆さばきに夢中になっていた。
だから気が付かなかった。いつもなら、鼻のいいシェリーはすぐに気がついたはずだ。彼らの体から放たれるどうしようもない獣臭さに。
突然、布袋監督とシェリーの頭上に大きな影が落ちた。二人の間を割るように背後からピンク掛かった浅黒い腕がにゅっと伸びる。驚くほど太い腕には目の前の路地裏でボコボコにされているオーガと同じ青いバンダナが巻かれている。それは監督のスケッチブックをむんずと掴み取ると怒ったように唸り声をあげた。
「これは何だ!」
他よりも一回り大きなオーガの地鳴りのような吠え声に、シェリーはとっさに布袋監督の上に覆いかぶさった。オーガ族は野蛮な種族だ。彼らとまともな対話は望めない。
(「私が監督を守らなきゃ!」)
シェリーの覚悟とは裏腹に、足は震え、ご自慢の尻尾は股の間に隠れている。本当は怖くて怖くてしょうがない。シェリーは心の中で強く願った。
(「社長、お願い早く帰ってきて!!」)
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