第5話
ギルドの中は仕事や情報を求める魔導師たちで賑わっていた。魔導師は魔導師であることに誇りを持っている。そのため、見るからに魔導師という格好をしており職種がとても分かりやすい。
タチバナは慣れた足取りで受付に進んだ。一見、ニンゲンに見える受付嬢の背中には鳥の翼が生えている。この世界でエイラと呼ばれる有翼の種族だ。タチバナは金縁眼鏡の受付嬢の前で軽く咳払いした。
「マスターはいる?」
「お約束でいらっしゃいますか?」
「いや違う。でも、タチバナって言ってもらえれば分かるから」
受付嬢は眼鏡の奥から鋭い視線でタチバナを舐めるように見た。明らかに怪しんでいる目だ。羽耳エルフ族の同僚に目配せすると、何かを察した同僚はそそくさとギルドの奥へ消えていった。それを見送った眼鏡嬢は、なぜだかバサッと翼を広げ、タチバナに改めて向き直った。
「マスターは今外出しています」
何の感情も感じさせないフラットなトーンでそう告げられる。どうやら受付嬢からの第一印象は最悪だ。タチバナは天を見上げ息を吐いた。
(「面倒だな…」)
あてが外れたタチバナは一瞬にしてやる気を失った。頭の中ではすでに布袋監督にどう言い訳するか考え始めている。
しかし、今頃監督は空中散歩を期待してワクワクと待っているだろう。そしてなにより、手ぶらで戻ったら「今度は私が行ってきます!」と言い出しかねないのがシェリーだ。鼻息荒く張り切る姿が容易に目に浮かぶ。
考えた結果、当たり障りのない言い訳を考える方がよっぽど面倒だという結論に行き着いた。ここまできたらやってしまう方が結局早い。腹を括ったタチバナは普段は決して見せることのない爽やかな笑顔を、顔面をひくつかせながら取り繕った。
「マスターがいないならしょうがない。じゃあ、君にお願いするよ。早速だけど、風属性の魔導師を紹介してほしいんだ」
「ご依頼ですか? では、こちらに記入してください。決裁後、掲示板に貼り出します」
受付嬢は受付用紙と羽根ペンを機械的に差し出した。マニュアルどおりで何の落ち度もない対応だ。しかし、タチバナは無視するようにそれらを一旦脇に避けた。
「ちょっと急いでるんだ」
ギルドの内部はお役所仕事だ。仕事の依頼がくると、受理する前にまずは内容を精査する。依頼主はどんな人間か、難易度はどのくらいか、推奨される属性は何か、人数は何人必要か、そして、リスクに対して報酬は見合っているか…などなど。それらの確認が全て済み、上長の決裁を経て、ようやくギルドの掲示板に載せてもらえる。どれもこれもギルドメンバーが無鉄砲に仕事を引き受けて、無駄に命を落とさないようにするために必要な手順なのである。
受付嬢の広げた翼で今は見えないが、奥の棚に未決裁の申請書類が山積みになっているのを、先ほどタチバナは確認していた。決裁をもらえていないのだろう。どうやらマスターが不在というのは嘘ではないらしい。
タチバナは流暢に話を続けた。
「そんなに大した仕事じゃないんだよ。誰でもできる簡単な仕事でね。少し重たいけど…うん…」
本当に大した仕事ではないのだ。魔獣討伐とか災害救助とか、そういう命掛けでやるようなS級ランクの仕事ではない。風を操れる魔導師ならば誰でもできる初歩中の初歩。そのレベルで良いのだ。時間を掛けて慎重に審査をするような案件ではない。誰がなんと言おうとこれはE級ランク。ここで揉めている時間が勿体ないくらいだ。
(「こうなりゃ奥の手だ」)
タチバナは受付嬢の華奢な手をいきなり掴むと、両手で包み込むようにぎゅっと握りしめた。
「だから頼むよ。君の力でこう、チョチョイとさ…」
そう言って、受付嬢の手の中にサファイアの大粒が乗ったプラチナのリングを滑り込ませる。これは以前の仕事―それもかなり初期の頃の仕事―で受け取った報酬だった。しかし、あっちとこっちでは価値観が違うようで、これらの宝石には思ったほど値がつかず、タチバナはひどくがっかりしたものだ。
それでも、ちょっとした贈り物として女性の心を動かすには十分な輝きである。
受付嬢は手の中のそれに気づくと、タチバナにニコッと笑いかけた。タチバナもニコニコと笑顔を返す。意外と話の分かる
「ぎゃっ! いやいや痛い痛いっ!!」
突然指に走る激痛にタチバナは情けない悲鳴をあげた。指が曲がってはいけない方向に曲がりかけている。なんと受付嬢が指を折りにきていた。彼女は涼しい顔でタチバナを見下ろしている。
「この私に賄賂ですか。いい度胸ですね?」
「賄賂だなんてそんな…いや力強いなっ?!」
受付で揉める二人に、ギルドでたむろしていた魔導師たちも何事かと視線を交わし始めた。ここは魔導師ギルド。彼らがどちらの味方をするかは考えるまでもない。タチバナは元々それほど高くはないプライドを綺麗さっぱり捨てさった。
「後生ですから指は折らないで下さいぃ。誰か、誰でもいいから助けてぇー!!」
おっさんの情けない悲鳴は、ギルドの高い天井に至るまで響き渡った。魔導師たちは困惑しているようだ。どう動くべきか判断できずにいる。
(「もう一押し」)
タチバナがもう一悲鳴あげようと軽く息を吸う。
そのときだった。
タチバナの頭から特注イヌ耳帽子がずり落ち、よく磨かれた大理石の床にころころと転がっていった。
その瞬間、ギルドは一瞬にして静寂に包まれた。そこにある全ての視線がタチバナに集中した。頭上に耳がなく、だからといってエルフのような羽耳でもなく、ぶたっ鼻でもなく、トカゲ顔でもなく、まして背中に翼も持たない。この世界には名前のない、見たこともない、いるはずもない種族。ニンゲン―
タチバナの指に掛かってい力がさらに強まり、受付嬢の凛とした声が静寂を打ち破った。
「不審者発見! 誰か捕縛してください!!」
弾かれたように魔導師たちが一斉に動き出す。あるものは杖をかざし、またある者は掌を天に向け、タチバナ目掛けて今にも己が魔法を発動させようとしている。タチバナは慌てふためいた。
「おいおいやめろ! わかった、全部俺が悪い! 分かったから。ごめんて。ホントやめてください。もうやだぁ!」
もう駄目だ。タチバナが腹を括る。そして、身を守ろうと体を縮めたそのとき―
天窓に一瞬大きな影が映った。その何か大きな物体はそのままガラスを打ち破って激しい音とともにタチバナの前に転がり落ちてきた。
ガラスの破片が光を反射しキラキラと輝く。光の欠片を払いのけながら立ち上がったその大きな物体は、ゆうに二メートルはあるだろうか。
魔道士の一人が驚き、氷の杭を誤発射した。それをノールックで弾き返し、ゆっくりとタチバナを振り返る。腰まである燃えるように紅いくせっ毛。鴇色の垂れ目はどこか飄々とした印象を与える。そして聞こえてくるのは艶のある野太い声…。
「タチバナちゃん、来るなら言ってよぉ!」
「マスター!」
男のふさふさのイヌ耳がピクリと動く。
「んもぉ〜、その呼び方は止めてってば。ヴァハよ。名前で呼んで♡」
そう言って男はタチバナに向かって投げキッスを寄越す。彼こそがクー族ながら五属性魔法全てを使いこなすエリート魔導師にして、このギルドのマスター「ヴァハ」その人であり、タチバナと旧知の仲のタチバナ大好きオネェなのであった。
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