第4話
「ネコ耳、ウサ耳、トカゲ顔、ウマ耳、イヌ耳、ぶたっ鼻、羽耳、キグルミ、そしてコアラ耳♪」
布袋監督は街行く人を次々にスマホのカメラに収めていた。種族の名前は右から順に、クー族、クー族、レプ族、クー族、クー族、オーガ族、エルフ族、プルシュ族、クー族が正解なのだが、タチバナは面倒だから訂正しない。布袋の帽子がずれていたので、それは黙って直してやる。タチバナとお揃いのイヌ耳のついた特注の帽子である。
この世界にニンゲンという種族は存在しない。そして、この世界でも異端はきっちり疎まれる。異物は異物であることを主張しないに越したことはない。郷に入っては郷に従え。どこの国でもどこの世界でも、つつがなく生きていくために必須の処世術である。
足元には規則正しく敷き詰められた石畳が広がっていた。通りの両脇に規則正しく連なる大小様々な建物は、ベージュ色のレンガの壁とモスグリーンの屋根瓦で見事に統一されている。それぞれの建物のドア横の壁からは看板が突き出し、記号や模様でそこが何の店なのか一目で分かるようになっていた。
水彩絵の具で塗られたような水色の空の下、シェリーは統一感のあるベルガの街並みを年季の入ったインスタントカメラで撮影している。ダイヤル式電話機同様、こちらの世界に本来はあるはずの無いものだ。いつかの仕事の報酬としてあっちから持ってきてもらった。もちろんこっちでは電池もフィルムも手配できない。なので、仕事を受けるたびに報酬の一部としてあっちから持ってきてもらっている。例に漏れず今回もそうだったので、シェリーは気兼ねなくシャッターを切っていた。
シェリーが写真を撮るのには理由がある。
彼女はロケ地候補の資料作りをしている。ネットもテレビもカメラでさえも、独自に持たないこの世界では、ロケ地を見つけるのも自分の足で探して回るしか方法が無い。一度足を踏み入れた場所は詳細を地図に描き留め、いつでもロケ地のストックとして案内できるようにはしているが、やはりどうしても頭の中の記憶は時とともに薄れていくものである。
その点、写真は優れている。今その時を半永久的に保存しておくことができるからだ。
シェリーが初めて写真というものを見たのは、彼女が人型になりたての頃だった。こちらの世界に来て間もないタチバナが、あのドーム型の家の前で撮ってくれた家族写真。そこには、鼻垂れシェリーとぬいぐるみを齧るチャコ、そして、二人を包み込むように満面の笑みで後ろに立つ父親の姿が写っている。この写真は貴重なものだ。もう二度とこの光景を実際に見ることは叶わないのだから。
そういうわけで、シェリーには写真に対する並々ならぬ思いがあった。だからだろうか、彼女の写真には人の心を惹きつける何かがある。見るものが思わず目を留めてしまうような何か。きっとセンスがあるのだろう。そう思ってもタチバナは口にはしない。わざわざ言う必要はないだろう。そんなふうに思っている。
宿から出てしばらくの間、布袋はスマホで、シェリーはインスタントカメラで、街や人や白い雲や道端に咲き誇る草花にいたるまで、風の吹くまま気の向くまま、思い思いに撮影を続けていた。
気が付けば太陽はすでに真上を通り過ぎている。
「もう…ダメ…」
朝から縦横無尽に動き回った一行は、タチバナの切ない悲鳴でようやく遅めランチタイムに入ることにした。
ベルガにはたくさんの民族が暮らしているとあって、料理のヴァリエーションも豊富だ。沿岸部はやはり魚介類が抜群に美味しいのだが、ここ内陸部では肉料理がオススメだった。
どこからともなくただよってきた食欲そそる香辛料の匂いにつられ、彼らはカフェのテラス席に陣取った。ランチの時間には遅いこともあり、客はまばらで頼んだものはすぐにやってきた。
布袋が頼んだのは何かの肉詰め。ナイフで一口大に切り分け、肉汁滴るそれを大きな口で頬張ると、彼は至福のため息を漏らした。
「昔クロアチアで食べたパプリカの肉詰めを思い出すよ。あれも素朴で美味しかったなあ」
タチバナは自分で頼んだローストチキンの大きさに絶句していた。しばらくどこから手をつけようか悩んでいたが、一旦諦めて、布袋の顔をちらり見た。
「ところで、今度の映画は中世ヨーロッパが舞台なんですか?」
「うん。まあね」
目の前の食事に集中しているのか、布袋の口数は少なかった。タチバナもそれ以上は聞かなかった。布袋監督は『異世界ロケーションサービス Co.』にとってかなりの上客だ。変なところで機嫌を損ね、リピートしてもらえなくなっては困る。
だから「現代のヨーロッパにも中世の面影を色濃く残している場所なんてごまんとあるのに、これまたなんでわざわざ異世界に?」なんて野暮なことは絶対に聞いてはいけない。
実のところ、タチバナは依頼の電話を受けたときからこのことが気になっていた。ベルガのような街はあっちにもたくさんある。たしかにクー族みたいな変わった種族はいないが、何度もこっちに来たことのある布袋ならば、あとは自身の想像力でいくらでもどうにかできそうなものだ。だって、彼は名うてのアニメーション監督なのだから。
そんなことを考えながらタチバナがフォークを口に運んでいると、隣でシェリーが何やらそわそわしていた。早くもオムライスを食べ終わってしまったようだ。布袋の方をチラチラ見て様子を伺っている。
「なんだい? そんなに見られたら照れるよ」
布袋は快活に笑った。シェリーは気づいてもらえて嬉しかったのか遠慮がちに尻尾を振った。
「監督…質問してもいいですか?」
「構わないよ」
「やった!」
タチバナはシェリーに「余計なことは聞くなよ」と視線を送った。しかし、シェリーの眼中にはすでに布袋監督しか映っていない。瞳を輝かせ尻尾をブンブン振っている。
「今回の映画はどんなストーリーなんですか?」
「ナイショだよ」
ウインクで誤魔化してはいるが、その声音には明らかにそれ以上の詮索を歓迎しない響きがあった。シェリーはちゃんと空気が読める。伏し目がちに微笑み、話題を変えた。
「いつか監督の作った『映画』っていうものを私も見てみたいです。前作も大ヒットだったって雑誌に載ってました」
あちらの世界の雑誌も報酬として持ち込まれるものの一つだ。異世界を舞台にした布袋監督の前作は、主人公の少年が困難に立ち向かいながら成長していくという王道の冒険活劇だった。その作品は、リアリティのある異世界描写、登場人物の抱える悩み・葛藤の絶妙な表現、挿入歌のタイミング、言わずもがなの映像美、他にも様々な要素が上手くハマって、連日満員御礼大大大ヒットの記録を打ち立てており、しばしば雑誌にも取り上げられていたのである。
「前作はすごく評判が良かったね。君たちのおかげだよ」
「!」
もちろん前作のロケハンも「異世界ロケーションサービス Co.」が手配していた。監督の言った「君たちのおかげ」というのもあながち嘘ではないのである。
シェリーはがぜんやる気を出した。
「私の写真で良いのがあれば使ってください! 今回も大ヒットさせましょう!!」
布袋は、はははと笑う。
「もちろんだよ。というか、ヒットは約束されている。だって監督は僕だからね…当然だよ」
青いばかりだった空を、いつのまにか白い雲が横切り、テラスが一瞬日陰にのまれた。顔を上げたタチバナは目の端に自嘲気味な監督の横顔を捉えた。普段は見せない表情にタチバナは眉をひそめた。
突然、「そうだ」と布袋監督が両手を合わせ、タチバナとシェリーの視線を集めた。上空は風が強いのか、雲はどこかへ過ぎ去り、すぐにまた春の優しい陽射しが戻ってきている。改めて見た監督の顔にはいつもの茶目っ気のある微笑が浮かんでいる。
「この街を上から見てみたい。ドローン撮影をしよう」
「そんなものこっちには無いですよ。知ってるでしょ」
「そうか、残念だな…」
この世界では電気やガスは実用化されていない。それでも明かりは灯るし、簡単に火も熾せる。この世界には、目には見えないが雷や火や水やその他もろもろの妖精がいて人々の生活を手助けしている。
とは言っても妖精たちにそのつもりは無い。妖精の習性を利用して人々が合わせているのだ。
もし、機械を電気で動かしたいのなら、雷の妖精に気に入られる機械を作らなければならない。それは、ヤドカリが自分にピッタリの殻をあーでもないこーでもないと探して回るのに似ている。相性が大事なのだ。
その動力としての心もとなさゆえに、こちらでは機械と呼べるものはほとんど無い。もちろん充電されていないあっちの機械がこっちで動いたことも無い。どうやらあっちの物は妖精たちの趣味に合わないようだ。
(「それに、ドローンなんか無くても困らないしな」)
通りの向こうをちらりと見やり、タチバナはあくびを噛み殺した。スキルのせいで体力を消耗しているのに加え、空腹もすっかり満たされて、体がいよいよ睡眠を求めている。ベルガの街並みはおおかたロケハンできただろう。予定より少し早いがこれにてお開き。それも悪くない。
「監督もうそろそろ―」
「あっ、あそこにギルドがあります!」
話を遮られたタチバナはシェリーを睨んだ。シェリーは気にもせず、通りの向こうのカトレアの花がデザインされた看板を指差している。通りの向こうと行ってもだいぶ離れていて、よく見つけられたなというレベルである。
「社長ほら! あそこに魔導師ギルドありますよ!」
布袋監督がシェリーの指差す看板を認識した。どういう意味かと問う視線をタチバナに向けてくる。タチバナはがくりと肩を落とした。
「二回も言わんでいい…分かってますよ、お嬢さん…」
シェリーが気がつく前から、何ならこの街に決めた時から、そこにギルドがあるのはもちろん分かっていた。
だけど、そんな面白そうなものを教えたら布袋監督が見逃す訳がない。残念ながらタチバナの体力には限界がある。やらなくていいことは極力やりたくない。だから黙っていたのにシェリーときたら…
タチバナは大きなため息をつく。そして、諦めの境地で布袋監督に向き直った。
「ギルドに依頼を出します。風属性の魔導師が捕まれば空中散歩が出来ますよ。そうと決まればさっさと行きましょう」
「いいねぇ!」
布袋は残りの肉詰めを一口で食べきった。そして、勢いよく立ち上がりかけたが、小さく唸り声をあげ、机に突っ伏した。
「どうしました?!」
シェリーが青ざめた顔で駆け寄った。タチバナも何事かとぎょっとする。そんな二人の心配をよそに、布袋は片手を上げ、ひらひらさせた。
「イタタタ……実は膝を痛めててね。水が溜まってるんだよ、ははは…」
そう言って、冷や汗滲む顔を上げ、苦笑いしていた。急病では無いと分かり、タチバナはほっと胸を撫で下ろすとともに、どちらが良いかを考えた。布袋はここに置いていくとして、ギルドにシェリーとタチバナどちらが行くのが良いのかをだ。
タチバナは少しの間考えて、そして、面倒そうに立ち上がった。
「シェリー、監督と待ってろ。早めに戻る」
「分かりました!」
力強く頷くシェリーに頷き返し、今度は監督を見やる。
「魔導師連れてきますから、少しここで待っててください」
「悪いね」
「それと念のため。あのオーガ―じゃなくてぶたっ鼻たちは見た目通り野蛮なんで、うかつに接触しないように。大人しくしててくださいよ」
「分かったよ」
通りを歩くオーガ族を目の端で追いながら、そう告げると、タチバナはギルドに向かって歩き出した。五、六歩進んだところで、ふと疑問が浮かび振り返る。
「そういえば監督の体重っていくつなんですか?」
布袋は樽のような腹の贅肉を鷲掴み、すこぶる朗らかに笑った。
「150キロ」
デブ VS 魔導師。世紀の対決。はたして、魔導師は150キロを宙に浮かせることが出来るのだろうか…
タチバナは考えるのを止めた。そして、ギルドに向かってできる限りで駆け出した。
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