第9話 魅入られる

 ピピッ。ピピッ。

 目覚ましの音が鳴り響き、俺は携帯のタイマーをオフにする。

 現在の日付は九月十八日、夏期休業も終わり、今日から大学の後期が始まる。俺は瞼を擦りながら、テレビの電源を付け、ニュースを流しながら朝の準備へと取りかかった。

 九句里山で恐ろしい体験を味わってから、もう一か月近くが経過しようとしていた。あれ以来、謎の気配や妙な夢を見ることはなく、いつもの日常へと戻っていた。

 やはり、白井さんが言っていた通り、ククリ様はもう自然消滅したとみていいのだろう。これまで何人も殺害を繰り返してきた凶悪な妖らしいが、呆気ない最期だった。

 そのようなことを考えていた時、とある訃報を知らせるニュースがテレビから流れて来た。


『女優として活躍している南静江さんが本日未明、東京都内の自宅で倒れているのが発見され、病院で死亡が確認されました』


「……えっ?」


 それは最近よくテレビや映画でよく見かける女優の死を伝える報せだった。年齢までは存じてないが、まだかなり若かったはず。その女優が突如、命を絶ってしまった。実に痛ましい事件だ。

 あのような存在を知ってしまったせいなのか、以前より一層、最近は自殺という言葉に敏感になってしまっている。いや、というより──なぜか、最近自殺関連のニュースがよく耳にする機会自体が多くなっていた。

 一か月ほど前にも、それなりに有名だった著名人が自殺したというニュースが流れていたし、二週間前には宗教団体が集団自殺したという事件まで発生していた。ネットでも、この相次ぐ事件に対して、様々な憶測が飛んでいる。

 まさか、な。いや、無関係のはずだ。だって、白井さんが言っていたじゃないか。うん、偶然だ。絶対に。

 その時、携帯から着信音が鳴った。こんな朝に、一体誰からだと疑問に思い、発信者を確認する。そこには母の名前が浮かんでいた。

 刹那、俺は背筋に嫌なものを感じてしまった。こんな時間に母が電話をかけてきたことは一度もない。まさか、身内に何かあったのではないか。恐る恐る、俺は指を動かし、応答した。


「も、もしもし」


「あぁ、ノブ。どう、元気にしてる?」


「うん、何ともないけど。ど、どうしたの、何かあった?」


「いや、何か用事があるってわけないのよ。ただ、ノブの声が聴きたくなっただけ」


「……はぁ。なんだ、驚かすなよ」


 俺は胸を撫で下ろす。どうやら、危惧していた事態ではないらしい。


「ほら、最近、結構物騒な事件が多いでしょ? そっちも大丈夫なのか、ちょっと気になっちゃって」


「何ともないよ。こっちは。わざわざそんなことで電話してこなくても、メッセージでいいじゃん」


「こういうのは声を聴かないと分かんないでしょうが」


 正直、朝から不穏なニュースを知ったということもあり、電話越しに聴こえてくる母の声は安心感をもたらす。それから十分程度、俺たちは他愛のない世間話をしていた。大学の一限の時間が迫っていたこともあり、そろそろ話を切り上げて、家を出ようと思っていたまさにその時──母から、耳を疑う話が飛び出してきた。


「あ、そうそう。そういえば、ノブ。あんた、願祝寺って知ってる?」


「えっ」


 願祝寺。白井さんが和尚をしており、俺たちがお祓いを受けた寺の名だ。あの一連の事件について、俺は母には何も言っていない。なのに、なぜその名を母が知っている。


「いや、知らないけど」


 少し悩んだが、俺はしらを切ることにした。


「実はね、そこの和尚さんが先日、自殺したみたいなのよ。あたしもさっき、隣の真壁さんから聞いて、ちょっと怖くなっちゃってね」


「……は?」


 脳が凍結する。

 白井さんが、自殺。どういう、ことだ。

「あんたも、何かあったらすぐに母さんに相談してね」


「…………」


「ちょっと、聞いてる?」


「あ、あぁ。聞いてる」


「そう。じゃあね。また、仕送りするから」


 そう言うと、母は電話を切った。しばらくの間、俺は携帯を耳元に当てたまま、立ち尽くしていた。

 一体、何が起きている。なんで、白井さんが自殺なんて。一か月前に出会った時はそんな様子は一切感じられなかったし、和尚という立場の人間が自殺なんてするわけがない。

 そうなると、本人の意志ではなく、自殺に見せかけて殺された、ということになる。まさか、白井さんはククリ様に──いや、それはあり得ない。だって、ククリ様はそのうち消えるって言っていたじゃないか。

 その瞬間、俺は寺を離れる際に、彼から告げられた一言を思い出した。



『野村くん、実はククリ様に魅入られているのはあなただけなんですよ。飯田くんと浪川くんは無関係です』



 この発言の意図は山から脱出した後に感じた視線や気配は俺だけが体験していたものであり、ツヨシとヒサはただ勘違いをしていただけ、ということになる。

 ククリ様に気に入られているのは俺だけ。つまり、もしも、万が一、ククリ様がこの現代に適応し、消滅することなく、呪いを振り撒いているのだとしたら──無事を保証されているのは日本で、世界でただひとり、俺だけだ。

 急いで俺はメッセージアプリを開き、ツヨシとヒサに適当にメッセージを送った。数十秒後、すぐに返事がきた。


『おう、どした』


『なんかあった?』


 一応、ふたりは無事みたいだ。どうする、白井さんのこと、そして、彼から告げられた真相を教えるべきだろうか。

 一瞬、俺は悩んだが、すぐに思い直した。

 そんなことを言ってどうする。何の解決にもならない。いたずらにふたりを怖がらせるだけ。白井さんもそのことを分かっていたからこそ、俺だけに真実を告げた。

 間違ってメッセージを送ってしまったことを謝罪する文章をふたりに送り、俺はソファにもたれかかる。


「……どうなるんだよ。これから」


 恐らく、すべての真相を知るのは世界で俺だけになってしまった。いや、それだけじゃない。白井さんの死も、最近の自殺事件も、ククリ様が関わっているのだとしたら、俺は間接的に、それらの死に手を貸したということになる。

 だって、ククリ様の封印を解いたのは他の誰でもない、この俺だ。

 警察に自首でもするか。いや、こんな話を信じるわけがない。頭がおかしくなったと思われるだけ。じゃあ、どうすればいいんだ。どう償えばいい。その時、ふと、ある考えが頭を過った。


「……死んだら、いいのか」


 刹那、俺は背後に何かの気配を感じた。咄嗟に振り返るが、当然、何もない。

 間違いない。その気配は──以前感じたものと同じだった。


「は、はは……そうか。俺が死ぬのは許さない、ってことか……」


 俺は悟った。ククリ様は確かに、そこにいる。

 そして、九句里山から解放されたククリ様はこれから先も、死という呪いを振り撒くのだろう。だが、俺だけはその呪いの対象外だ。なぜなら、俺は魅入られてしまったのだから。

 夏が終わり、季節は秋へと移り変わり、いずれ冬になる。果たして、ククリ様は世界をどう変えてしまうのか、俺には想像もできなかった。




〈了〉

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ククリ様に魅入られる 海凪 @uminagi14

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